閑話 破壊の化身?
ウェルキンが到着して以降の避難は順調に進んだ。
万が一に備えて当面の食糧や生活必需品を揃えてくれていたのも大きい。大量の物資を見せて人々の不安をいくらかは和らげられたし、改めて積み込む手間も省けた。飛行ボードもあったので、身体の弱い住人を優先的に避難させられた。
更には大量の武器や薬品も輸送してきており、異形を抑える騎士団の助けになった。それらを運搬し、支援できるだけの冒険者も連れている。
私達が王都を発って数時間、それだけの間にこれほどの準備をできる手腕に舌を巻く。おそらく自前の商会だけでなく、実家のビーゲール商会も頼ったのだろう。必要なら何を利用する事も躊躇わない姿勢が窺えた。
彼にしろエレオノーラ嬢にしろ、本当にレティは素晴らしい縁に恵まれたのだと実感する。おまけにカミンが選んだ女性と親友だと言うのだから出来過ぎている。
「領都スケイラの避難、完了いたしました!」
諜報部員の報告を、私はアドラクシア殿下と共にソールの車内で聞いた。
収容の後、彼等は聞き取りを行って避難民一覧を作成して領民の所在確認を行い、避難後の家屋を回って取りこぼしがないかの点検まで実行してくれた。
領主の屋敷にほど近い邸宅からは、念の為に家財の運び出しまで終わっている。こちらはアウルセル氏の要請に応じたラミナの軍関係者の協力で実現した。
一通りの避難を終えるまでは私もウェルキンで指揮を執っていたが、確認作業の間にソールへと移った。避難民を宥める役は現地の代表者と第9騎士団の一部に任せられたし、前線で戦うレティの情報がいち早く伝わる場所にいたかった。
『子爵! 避難は完了した。どれだけ大規模の魔法を使おうと、人的被害が出る事はない! 遠慮なくダンジョンを破壊してくれ!』
『分かりました! ……ノーラ、力場範囲の状況は?』
『スカーレット様の掌握魔法のおかげで初期の時点から拡大していませんわ!』
『それなら、予定通りお屋敷を消し飛ばすだけで済むね。……これより、臨界魔法を使います! 全員、飛行列車へ退避してください!』
飛行ボードの支給が間に合ったので、騎士団回収の為にソールを降下させる必要もなくなった。
そしてレティも空へと上がる。
同時に、敷地を取り囲むように地面が大きく隆起した。
あれもレティの土魔法だろう。異形が外へと溢れないよう、巨岩の檻が氾濫を阻む。
「……あんな事まで出来るのか」
殿下の口から乾いた感想がこぼれた。その気持ちも分からなくはない。
全ての属性を扱える事は報告したそうだが、どうもレティが他属性を使う印象がない。どうしてもワーフェル山破壊の衝撃が先行して、その事実を忘れそうになってしまう。複数属性を扱う状況が、私達には想像し辛いと言うのも大きいのだろう。感覚が追従してくれない。
本命の前段階だと言うのに、伝説の“地殻崩し”に並ぶのではないかと思えた。
「不得意属性はないと聞いています。とは言え、それぞれの属性の魔法感性がないそうですから、多少の鍛錬は必要なようですが」
「そう言えば、帝国の墳炎龍は凍らせたと聞いていたな。現場を直接見ていないので実感が伴わなかったが、膨大な魔力をどの属性へ傾けるかといった違いしかないのかもしれんな」
「おそらく、その通りなのでしょう」
「しかし、あんな真似ができるなら最初から異形共を閉じ込めておいてくれれば、混乱も抑えられたものを……」
「そうでしょうか? 遠目からも分かるほど地面が隆起したのです。余計に恐怖を煽ったとも考えられます。ここからでは分かりませんでしたが、地面は大きく揺れた事でしょう。それで平静でいられたとは思えません」
「む……」
「それに、相手はあれで元人間です。時間を与えたなら突起を上手くつたって乗り越えるくらいの知恵はあったかもしれませんよ」
あくまでも魔力を収束させるまでの時間稼ぎなのだろう。
異形の標的は常にレティで、空へ逃げたなら積み重なって追おうとする様子が察せられた。それを散らす目的でオーレリア嬢もぎりぎりまで残っている。
レティは空から降りてくる何かを受け止めるように両手をまっすぐ中空へ広げ、意識を集中させる。
とても目視できないとソールの奥へ隠れてしまったエレオノーラ嬢と違って、私達は何も見る事は叶わない。しかし、その圧倒的な存在感は伝わってきた。
本能が警鐘を鳴らす。
全身が畏怖を伝える。
目視出来なくとも、そこにあり得ないほどの魔力が収束しているのだと実感できた。
「ここまで……、か!」
驚愕する殿下の声は震えていた。戦慄を抑えられないのは誰もが同じだったろう。
消滅したワーフェル山の跡地は見た。山が聳えていた筈の場所が、綺麗に刳り貫かれていた。あんまりな状態に、現実なのかと疑ったほどだった。
あの時より威力は抑えている筈なのに、肌に伝わる衝撃はその上を行く。
これがレティ……。
魔導士の更に上位と定義づけられた魔法使い。
圧縮で臨界に達した魔力は、あらゆるものを分解して魔素に変えるのだと言う。向ける先次第で悉くを消し去れるのだろう。事実、山と屋敷が消えている。
あれを自在に扱える時点で、どんな存在だろうと敵う道理がない。
実のところ、私はレティが大魔法を使う場面に立ち会った事がない。幼い頃から何か隠している様子は察していたけれど、無理に問い詰めるつもりはなかった。
その何かをひけらかすような態度が見られなかった為、放置できたと言うのもある。暴力に訴えたり、権力を無駄に誇示するような事がないよう育てて来たし、彼女の性質が元よりその方向を向いていた。
何より彼女にとって魔法は武威を示す為のものでなく、どこまで行っても興味の対象でしかなかったのが大きい。
けれど今、神憑り的な迫力を前に、平伏したくなるような脅威を覚える。
聖女だとか大魔導士だとか、独り歩きする噂が可愛く思えるくらいに心を揺さぶられる。場合によっては、絶対に歯向かってはならないのだと心身に恐怖を刻み込まれるのだろう。
母や元教皇達も、これを見た後なら今回のような事件を企もうとは思わなかったに違いない。反抗する意思を根元から折る、そんな苛烈さが伝わってくる。
今回は非常時だとして、どう考えてもおいそれと使っていい魔法ではない。
そんな私の動揺を余所に、集中する存在感は益々高まってゆく。
目に映る訳ではないが、レティの手の内に凶悪な何かが形成されているのだと確信できた。
「魔力収束完了―――オーレリア、もう大丈夫! 逃げて!」
「はい!」
限界まで異形と相対していたオーレリア嬢が跳ねる勢いで空へ舞う。風魔法の炸裂を推進力に変えた余波で周囲の異形も弾け飛ぶ。
その回避速度を信頼してレティが魔法を投下する様子からは、呼吸の一致が窺える。
そしてオーレリア嬢がレティの高度を超えた瞬間―――光の柱が現出した。
「―――!!!」
大地が唸り、大気が揺れる。視界は光で埋め尽くされた。
それもほんの数瞬、後には何も残らない。母も元伯爵夫妻も、地中へ消えたジャスも、今回の事件へ荷担したほとんどが光と共に消散した。
「…………」
「…………」
伯爵邸のあった場所には底を見通せないほどの穿孔だけが残る。しばらく呆然と視線を固定していたが、異形が再び現れる様子はなかった。想定通り、ダンジョン化の影響ごと消滅したのだろう。
正直、言葉がない。
ワーフェル山という前例を知っていても、これを個人が行ったとは信じ難い。
「殿下の命令、完遂いたしました。空間の隔絶でダンジョン領域を覆い、周囲の被害も最低限にとどめています。領都の中心に穴が開いた事で生活に多少の不便はあるかもしれませんが、領民の非難は抑えられるのではないでしょうか」
「う、うむ。ご苦労……」
思考が正常に働く前に、ソールへ戻ったレティが任務の貫徹を報告する。傍目には分からなかったけれど、衝撃を和らげる余裕まであったらしい。放射状に広がる衝撃波を空間魔法で受け止めた結果が、あの光の柱と言う事だったのだろう。
二度目だからか、慄く周囲の反応を彼女が気に留める様子はない。対して、現象を上手く消化できていない王太子殿下の応答は上擦っていた。
「レティ……」
私も、娘にどう声をかけていいものか定まらない。
そんなレティの視線は私の後ろで止まった。
「あれ? なんでウォズがいるの?」
「レティ、気付いてなかったのですか? 父の要請で支援に来てくれたそうですよ。武器や回復薬も差し入れてくれました」
「あー、異形を蹴散らすのに必死で周囲に気を配ってなかったよ」
いつもの様子のレティに、周囲の空気が弛緩する。
「確かに、武器も回復薬もレティには必要のないものでしたけどね」
「魔素があるなら自前でどうとでもなるからね。とは言え、疲れない訳じゃないから助かったよ。ウェルキンで来てくれたおかげで避難が早く終わったんでしょう? ありがと、ウォズ」
「このくらいでしたら、いくらでも頼ってください」
自然な動作でウォージス君の頭を撫でる。すっかり男らしくなった子を相手にその労いはどうかと思ったけれど、当の本人は誇らしそうだった。彼女達なりの信頼関係があるらしい。
気の置けないレティの様子を見て、改めて思い当たる。
ダンジョンを破壊した一部始終を見て気後れしていたけれど、レティが別の何かに変わったと言う訳ではない。臨界魔法を習得したのはもっと以前で、その後も彼女は変わらなかった。今更、力に溺れる事もないだろう。
桁外れの魔法含めてレティなのだと言える。そう気付けば、あの子がその扱い方を間違える事はないと当たり前のように信じられた。
「今回の事でつくづく思ったよ。あの魔法を授かったのが彼女で良かったと……」
心の底から安堵する殿下の気持ちは理解できた。
為政者として、あの超常戦力と敵対せずに済むと言うだけでありがたい。しかも、下手に出て機嫌を窺う必要もない。きちんと道理を弁えていて、無闇に魔法を振りかざす事もない。
今日、レティの特殊性を改めて知った。
だからと言って、私とあの子の関係が変わるなどあり得なかった。
「レティ、お疲れ様」
「うん、今日は私もちょっと頑張ったよ」
「ありがとう。君のおかげで、悲劇が拡散する事態を回避できた」
あれだけの事を成し遂げて、彼女にとっては“ちょっと”らしい。
謙遜と言う訳でもなくて、破壊行為に価値を感じていない。彼女にしか達成不可能に思えた偉業も、才能と環境に恵まれた故の責任だと受け止めている様子だった。軽率に成果を吹聴しようと言う姿勢も見られない。
それより友人の前なので少し照れながら、それでも褒められたのが嬉しいと笑顔を見せる。
血の繋がりだけで家族は成立しない。私の両親やジャスがいい例だろう。だからこそ、こうして今でも親だと慕ってくれる事が誇らしく思える。
彼女は並外れた破壊者で、私にとっては自慢の娘だ。
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
申し訳ありませんが仕事の方が忙しくなりまして、更新が不定期になっております。しばらくご容赦ください。