ジャスパー・ノースマーク
「レティ!!」
「スカーレット様!!」
「子爵っ!」
お父様の、友人達の、王太子殿下の声が聞こえた。
私を危ぶむ悲鳴なのだと分かる。
けれど私は皆の心配に応えるより、目の前で起こった現象へ好奇心が全振りだった。
凄い……!
とても興奮を抑えられない。
他の人とは比較にならない私の膨大な魔力を一瞬で枯渇状態まで減衰させた手腕に、それを可能にするだけの原理に、感心しきりだった。
新規の発明って訳じゃなくて、既存魔法の改良ではある。でも、そこらかしこに工夫の跡が見て取れた。
まず、減衰の限界を取り払っている。私の底が量り切れない前提で、どれだけの魔力量であっても枯渇状態まで追い込む為の調整を加えていた。
簡単に言うと、魔力減衰の魔法と言うのは範囲内の人間から魔力を引き抜いてしまう現象となる。個人の体内へとどまっている魔力へ別ベクトルの作用を加えるのだから、発動した魔法側も大量の魔力を消費する。対象が私になるなら、それこそ甚大な魔力の準備が必要だった。
大規模魔法の動力は、スクノ島と同様に領都スケイル中へ敷いた導魔力線から拝借しているのだと思う。都市の規模が大きい分、利用できる魔力も増大する。
でも、領都のインフラに使用している魔力全てを注ぎ込むならともかく、一部の流用では私の魔力へ干渉するにはまるで足りない。そして、叔父さんはその可能性まで読んでいた。このくらい準備すれば十分だろうだなんて、都合のいい限界で思考を止めなかった。
とは言え、インフラに使用している以上の魔力なんてそう簡単に手に入らない。ここは魔導変換炉が稼働する7領地に入ってないから、どうしても上限がある。だから、手に入る範囲で効果を高める方法を考えたんだと思う。
さっき、叔父さんは言った。条件が整ったと。
お婆さんは思い込みの激しい人だから、私のおかげで叔父に都合のいい方向へ流れてくれたのだとか。その為に連れて来たと。
それがこの大規模魔法の肝となる。
広範囲へ効果を及ぼす大規模魔法で、どうやって対象を絞るのか。
足りなかった場合の魔力をどう補うのか。
これらを一度に解決した。
ラミナ元伯爵夫妻、ルミテット教国元教皇、オブシウスの集いの元構成員、解雇となった元王国騎士、真正矯団の元構成員、そして私が言いたい事を吐き出した結果、恨みを私へまで向けるようになった祖母。
私と因縁ある人物をラミナ領へ集めた理由がそこにある。
彼等を媒介に、私へ向かう憎悪を魔法の収束に利用した。
魔法は心の中で形作ったイメージを現実にする。その心象を規格化して、同じ魔法を共鳴させる連携魔法なんてものもある訳だから、媒介となった人間の感情は魔法へ強く影響を及ぼす。
そして、彼等の利用はそれにとどまらない。
魔法は術者の精神状態が出力を大きく増減させる。つまり、ここに集めた人達の憎しみの深さを、減衰効果の増幅にまで繋げている。
個人で大規模魔法を扱う技術に加えて、あらゆるものを利用して最大限の効果を得ようとする気概は、尊敬すら覚えるものだった。
そんな感じで考察に頭を働かせていたものだから、心が弾んでいるにしては冷静だった。
銃声に対しても焦りはない。
どうして視界が闇で閉ざされているかも、どう対処するべきかも分かってる。手順さえ間違えなければ、慌てるような事態じゃない。
ウィッチを抜いたままだったので、そのまま一振り、周囲のモヤモヤさんを吸収する。
それで視界はすっかり晴れた。万全とは言えないまでも、ある程度の魔法は使えるくらいに魔力を回復して脱力感も綺麗に消えた。
そもそも、叔父さんの魔法に私の視界を塞ぐ意図はなかった。
魔力の減衰、つまり私の魔力が体外へ溢れると言う事は、モヤモヤさんを周囲へ撒き散らすのと等しい。私の含有魔力だから、その量も濃度もちょっと洒落にならない。
自動的に私の視界は大量のモヤモヤさんで真っ黒に埋まる。
おかしな魔眼を持っているせいで、私が勝手に視界を塞がっただけだね。きっと、そんな副次効果は想定もしていなかったと思う。
視界が晴れて魔力も回復したなら、銃弾なんて怖くない。ラバースーツ魔法を外装骨格まで強化して受け止めるだけでいい。
そのくらいだから、瞬きの間に対処は終わった。
―――ぱちゅん。
弾丸は私に接触する数十センチ手前で弾けた。
と言うか、ペイント弾?
危機感のない破裂音に炸裂箇所を確認すると、不可視の外装骨格が赤く汚れていた。
「そんな……、どうして? あれだけ苦労して組み上げた魔法も、相手が魔導士ともなると通じないのか!?」
「いえ、きちんと減衰効果は発生しましたよ。急激な魔力の減少で酷い眩暈に襲われたのも事実です。けれど魔力が枯渇したなら、補給すればいいだけではないですか? 私にはそれができるのですよ」
旧式の極苦魔力回復薬に、私開発の魔素濃縮ポーション、魔力枯渇へ対処する方法はいろいろあるけど、直接モヤモヤさんを吸収する私の手法が最も速い。
「そうか、だから魔力が無尽蔵なのではないかと聞こえて来たのか……。その技術で周囲から魔素を掻き集めて、ワーフェル山を消滅させ、墳炎龍を討った訳だ。底無しだなんてあり得ないという前提自体が的外れだった。なるほど、その特殊技能を知らずに、敵う道理はなかったのだね……」
「そんなに落胆する事はないと思いますよ。実のところ、今回ほど危機感を覚えた経験は初めてです。竜種なんかよりよっぽど脅威に思えました」
「それでも……、思い描いていた勝利はまだ随分と遠かったよ」
さっきの魔法は対処が容易だっただけで、発動した効果次第では危なかったかもしれない。それだけ、私への悪感情を利用した魔法効果の収束は上手くできていた。
「ジャス、君はレティを害そうとしていたのではなかったのかい? どうしてここで塗料弾なんて……」
「俺は、大魔導士と呼ばれる鬼才に打ち勝ちたかっただけで、兄さんの大切な娘さんを害そうだなんて思っていないよ。明らかに俺が勝利したんだって結果さえ得られれば、それで良かった……実際は完敗だった訳だけどね」
まあ、実弾だろうとペイント弾だろうと、直撃していたなら敗北感に塗れていたのは間違いない。
国としては魔導士の敗北だなんて都合の悪い事実は残せない。なので隠蔽していた可能性もあるけど、私自身は騙せない。今後に深く影響した可能性は否定できない。
それ以前にあれだけの魔法を見せられた訳だから、素直に感嘆の気持ちが湧いてくる。
その感情に従うなら、畏敬を示しておくべきだと思った。
「改めて叔父様にご挨拶いたします。貴方の兄、ジェイド・ノースマークの子、スカーレットです。できるなら、叔父様とはもっと違った形で出会いたかったと思います……」
同時に、ただただ勿体ないと思ってしまう。
彼が積み重ねた知見はきっと私の刺激になった。あれだけ凄い身内がいるってだけで奮い立てたと思う。
叔父様が劣等感に塗れているなら、そんな事はないといくらだって諭した。
魔法について楽しく議論を交わしたかった。
新しい何かを生み出す切っ掛けが生まれたんじゃないかって思う。既に大規模魔法をどう利用しようかとワクワクしている。
でも、その才能を私がどんなに惜しいと思ったところで、国家への反逆へ荷担した叔父様の末路は既に決まっている。
「こんな実力行使に出なくても、理論を思いついた時点で議論を戦わせると言った方法もあった筈です。スクノから出られないなら、手紙の1つでも送ってくれればよかった。私の領地は研究都市、優秀な研究者にならいつでも門戸を開いていたのに……」
「悪いね、昔から機運には恵まれていないんだ。以前に会いに来てくれた時に拒絶してしまったせいで、君が有名になったからと言って合わせる顔はないのだと思ってしまった」
「あの頃の私は、まだまだ議論の場になんて立てない子供でしかありませんでしたからね。残念ながら、会う価値を見出してもらえなくても仕方ありませんでした」
「それ以前に、兄さんの幸せの結晶である君と会うのが辛かったんだ。すまないね」
顔を合わせた事のない親族、その時点で私達の人生は隔たれてしまっていた。優秀な叔父に私が教えを乞う、そんな未来は訪れなかった。
「兄さんも、ごめん。馬鹿な弟で申し訳ない」
「謝らないといけないのは私も同じだ。領地へ尽くせる自分にならなくてはいけない。その強迫観念に突き動かされて、私と君が違う才能を持ち合わせた人間なのだと気付けなかった。ジャスパー・ノースマークという個人を見ていなかった点では、私も父や母と同じだった」
「その強迫観念で人生を壊したのは俺も同じだよ。兄さんにスクノへ追いやられて、漸く自分が何を得意としているのかに思い至った間抜けなんだから」
無理もないと思う。
出所不明の記憶によると、お父様達は両親によってずっと隔離されてきた。お父様がベッドにいた時間が長いのもあって、普通の兄弟のように顔を合わせた機会が極端に少ない。理解し合う為の時間は圧倒的に足りていなかった。
「もっと君と話しておけばよかった。兄弟なのに、私達は本音で語り合えた機会が馬鹿みたいに少ない……」
「本当にね。母様を怒らせてはいけない、刺激してはいけない。そんな事ばかり考えて、兄さんと会う事自体を悪い事みたいに思ってしまっていた」
「スクノへ会いに行けばよかった。部下からの報告で知った気にならないで、直接君から話を聞いていればよかったのに……。それでも、まだ遅くない筈だ。今からでも話そう。もう誰に遠慮する事もないんだから」
こうして話している時間が、掛け替えのないものみたいにお父様は笑う。
多分だけど、殺されそうになった事を恨んでなんてなかったんじゃないかな? 兄弟の絆が途切れた事を無念に思っていただけで。
だから今、兄弟に戻ろうとお父様は願う。
「でも、俺は……」
「残った時間は少ないかもしれないけれど、君の命が尽きるまで、私は君に会いに行くよ。今更言葉を飾る必要もない。不満でも苦言でも、何でも聞かせてくれ」
「兄さん……。そんな事言われてしまったら俺、困って―――がはっ……!」
けれどお父様と叔父様の約束は、交わされる事なく突然の暴力によって引き裂かれた。
「え?」
「ジャ、ス……?」
唐突な凶手によって叔父様の上半身と下半身は泣き別れ、上半分は庭へと落下してゆく。傍にいたお父様は吹き出した血を浴びて、呆然としたまま叔父様を目で追った。
「あ、え!?」
訳が分からない。
驚愕はさっきの大規模魔法陣以上で、一部始終を見ていたのに頭が理解を拒む。目の前で起きた事を受け入れたくない。
やっと叔父様を尊敬できた。
やっとお父様と叔父様がわだかまりなく対話する機会を得られた。
取り返しは付かなくても、もう一度兄弟としての交流を始められる……その筈だったのに―――
「あ、あああああああぁ…………っ!」
いきなり叔父様を襲ったのは祖母だった。
印象をそのまま言うなら、“祖母だった筈のもの”だった。
錯乱したとか、怒りで我を忘れたなんて話じゃない。正気を失ったなんてレベルですら甘い。
筋肉がおかしな状態に隆起して、両目は赤鈍く光る。呼吸は荒く、叔父様を引き裂いた右腕の先には強靭で鋭い爪が伸びていた。
どう見ても別人、目を離している間に魔物と入れ替わったと言われた方が頷ける。
『ノォォォーース、マア゛ァァァァァァグゥーーーーーーッ!!!』
呪言のように吐き出されたのは単語ではあるものの、唸り声にしか聞こえない。実際、獣みたいに姿勢を低くして、知性を映さない両眼が私を狙う。
これ、本当に何が起きたの!?
いつもお読みいただき、ありがとうございます。
申し訳ありませんが仕事の方が忙しくなりまして、今回のように更新が不定期になる事態が続くかもしれません。できる限り早く元のペースに戻せるように頑張ります。