閑話 ジェイとジャス 8
決着はジャスが学院を卒業した後と決めた。
王都に常駐しなければならないような役職はノースマークにない。王城との窓口は王都邸を管理する家人が務めている。社交には当主が適宜訪れるので、侯爵家の人間が常に詰める必要はなかった。
そもそも、今は戦争の傷跡がまだまだ色濃い現状で、貴族も社交どころではない。西方貴族は荒れた土地の復旧に忙しく、それ以外も戦場へ派遣した防衛軍の再編成や経済対策に追われている。次へ備える必要もあるだろう。
今の王都でお茶会や夜会に興じていられるのは、領地を人任せにして、国が置かれる状況を理解できていない者だけだろう。貴族の役目を部下の前で踏ん反り返る事と履き違えている。
当然、関わる価値もない。ジャスが卒業すれば母も領地に戻るだろう。
チオルディ伯爵家の干渉は避けたかったし、侯爵家の醜聞を他家へ晒そうとも思わない。
時期を合わせて、父には西方支援の為にと王都へ行ってもらった。リデュース辺境伯領にクネフ子爵領、戦争の損害で苦しい運営を強いられている領地も多い。戦功を認められなかったノースマークはそれらへ支援を行い、名誉を挽回する。
私の提案に父が首を振る筈もない。思惑通り、母とジャスを伴って帰領してもらった。
「今戻った。……うん?」
領主が帰宅したのに出迎えがない。本来なら玄関の前に何人か並んでいるのが普通で、車に積んである荷物は指示がなくとも使用人が邸内へ運ぶ。それなのに、今は人の気配さえ感じられない。
門番を最後に、目の届く場所には人を配置しなかったから尚更だろう。普段と異なる様子に父は首を傾げた。
屋敷は父の留守中、既に掌握してある。
私は映写晶を通してその様子を窺う。
「おい! どうした? どうして誰もいない?」
「まさかサボっているの? 私達を待たせるだなんてどういうつもり?」
「……」
しばらく待つと、夫妻は揃って苛立ち始めた。
特に母は、居住場所を移す為に大量の荷物を外の車へ積んである。それがなくても寝泊まりに困るほどの事態にはならないが、愛用品が不足して少し不便を感じるくらいはするだろう。
しかし、私はこのまま彼女にここへ居座ってもらうつもりはない。
新しい住居は別に用意してあるから、荷物は車から降ろさない方が手間を省けるだろう。
狼狽える2人とは対照的に、少し訝しがる様子は見せたものの、ジャスが取り乱す様子はなかった。1つの可能性として覚悟があったのかもしれない。
「お帰りなさい。王都での職務、お疲れさまでした」
「「―――!!!」」
十分に2人を焦らしてから、私は姿を見せた。正面階段を上った先から玄関ホールを見下ろす。
私の登場は驚きをもって迎えられた。
何しろ、私はここに居ない筈だったから。
爵位を継ぐと決めた後、私は領都に戻らなかった。これまでがそうであったように、定住しないまま領地を巡る。以前と変わらなく見える生活を数カ月続けた。
父へ西方支援を提案して物資を送ったのも地方から。戦後、私が領都へ姿を現す事はなかった。
理由は3つ。
1つは私に変化はないと見せかける為。国王からの無言の叱責を経ても、私がジャスの補佐を目指すと言う方針に、心変わりはないのだと思わせたかった。
もう1つは水面下で有力者の取り込みを進める為。領都でそれをするなら当人を私のところまで呼び出す必要がある。当然、どんな目的があるのかと探りを入れられる。だから、私の方から直接会いに向かった。
最後に私の行方を晦ませる為。私は今日まで、命を狙う何者かから身を守る必要があった。特に、毒殺し放題の実家になど近付ける筈もない。
「どうして? シンジョの街にいた筈では……!?」
特に母の動揺は大きい。
私に関心を持たなかったのは過去の話。この数ヶ月は執拗と言っていいほど私の居場所を追っていた。
「度々刺客を送り込んでくださっただけあって、流石によく御存知ですね。私に似た男と一緒に、ハイドロをシンジョへ置いてきた甲斐はあったようです」
「!!!」
屋敷の掌握が済んだと悟らせない為、私と最も繋がりの深い側近を囮に使った。隠密行動の私より危険だろうから、勿論十分な護衛も手配してある。おかげでまんまと騙されてくれたらしい。
補給路の失敗で、ジャスが侯爵家を継げる目はほとんど無くなった。悪評を背負ったジャスの後継を世間は認めない。
けれど、それは決して不可能と言う訳でもなかった。
手段は単純、私がいなくなればいい。
現侯爵夫妻に子は私達しかいない。父には弟妹がいたが、既に他家へ籍を移しているため継承権を持たない。臣籍降下した傍系一族の子を予備として貴族籍に戻す提案は、ジャスを確実に領主の座へ着かせる為に母が却下した。
他領の従兄弟を父が養子に迎えると言う方法はあるものの、成長の過程で他家の思想が深く染み付いている。あまり侯爵候補として望ましくない。侯爵家を下位貴族に牛耳られるようなものだから、そうなるくらいならジャスで……と周囲の意見が翻らなくもなかった。
母がその方法へ走るだろうとは容易に予想できた。
実際、何人もの暗殺者を撃退している。質を重視しつつ護衛も増員した。
正直、どこまで躱せるかは賭けだった。
けれどこうして全ての根回しを終えて2人と向き合えた以上、勝利したのは間違いない。
姿を晒した私の後ろには、領主を代行するオキソラとノースマーク騎士団を率いるシモンが控えている。領主へ意見できる立場にあるほとんどが私側に付いたと伝わらないほど愚かではないだろう。
夫婦共にあまり危機感を抱いていないようだったが、あれだけ尽くした後方支援が功績として認められなかった意味は重い。彼等は戦時中に私に従って苦労したからこそ、それを無為とした父より私へ天秤を傾けさせた。
「侯爵家は私が貰います。父様、既に継承手続きの書類は揃えてありますので、署名をお願いします」
「簒奪すると言うのか? 多少は体調が改善したとは言え、憂慮が全て消えた訳ではないのだろう?」
「そうですね。倒れるような事態はほぼなくなりました。とは言え、寿命の長短については分かりません。それでも、貴方達に侯爵家をこのまま任せておくよりは余程良いと判断しました。多くの賛同も得たからこその要請ですよ」
後継についても急がなくてはいけなくなった。冷遇されて婚約話一つなかったせいで、これからを思うと頭が痛い。
「拒否しますか? 弑逆したいとまでは考えていませんから、できるなら要請に従って欲しいのですが」
「受け入れないなら殺すと?」
「……必要なら仕方がありません」
反抗の意思を残したなら後々の面倒事に繋がりかねない。
今のところ私の就任へ賛同してくれた者であっても、後の治世に不満を抱いて父を担ぎ出す事態もあり得る。禍根は断っておいた方がいい。
完全な降伏か死、それ以外は提示できない。
ちなみに、現当主の承認は必須ではない。
書類は爵位の継承を国へ報告する為のもので、国側はそれに異論を唱える権限を持っていない。それは国王陛下であっても同じで、不本意な継承を非難はできても否定はできない。
父を排除できる状況を作った時点で、爵位は私へ移ったとも言える。既に僭称にはならない。
「譲位後、我々はどうなる?」
「生活の場所は用意してあります。爵位を降りてもすぐさま困るようにはさせませんよ」
「蟄居しろと言うのか? 父親に向かって……!?」
よく分からない事を言う。
暗殺者を送っておいて、それを黙認しておいて、まだ親として敬えと言うのだろうか。問答無用で殺害を計画しなかったあたり、最大限に譲歩したつもりなのだけれど。
「不思議な事を言いますね。随分前に放棄したのではなかったのですか? それとも、そちらは私に息子として配慮しないのに、私には親として扱えと?」
「そ、それは……」
「理解はしていますよ。健康なジャスが継いだ方が家は安定する。いつ死ぬか分からない私を領主として仰ぐより、周囲の不安も少ないでしょう。おまけに母の激情に晒されなくて済む。事実、私もそれに倣っていたではありませんか」
私は決して声を荒げない。父達への怒りから簒奪を計画した訳ではないからだ。
それが不気味に思えてしまうのか、私を見る父は恐れを滲ませていた。
「それなら何故、今になってこんな事を……?」
「戦争以降、状況が変わったのだといい加減理解してください。私も静観している場合ではなくなったのです。今更、ジャスを次代に据えて充足を得られるのは貴方達だけです」
「ふざけるのもいい加減になさい! 何が状況が変わったですか!? 少し健康な体を手に入れて、爵位が惜しくなっただけでしょう! ジャスを補佐するなどと殊勝な事を言っておいて、実のところ長男である自分が継ぐべきと機会を伺っていたのだと、露呈しただけではありませんか!!」
私としてはジャスを貶める事を意図した言葉ではなかったのだけれど、母には聞き逃せなかったらしい。
とは言え、今更母と会話が成立するとも思っていない。
「お前のその浅ましさは、私が見抜いていた通りです! 漸く本性を現しましたね。それなら秘密裏の殺害を計画するまでもありません! 反逆者らしくここで死んでしまいなさい!」
激昂する母に反応して、護衛の1人が武器に手を掛ける。
彼は母が実家から連れてきた護衛で、説得の対象外だった。母が幽閉されたなら、職を失ってノースマークからも追放となるだろう。母に加担するだけの理由もある。
けれど別段焦りはない。
チオルディ伯爵家の元騎士が武器を抜くより早く、私は魔法で彼の脳天を貫いた。
「―――!」
悲鳴も残さず倒れる。
彼は母に命じられたとはいえ、侯爵家子息の殺害を実行に移そうとした。見せしめの意味でも容赦する必要性を感じない。
普段から微量の魔力を放出する状態に慣れた私は、いつでも魔法を発動できる。加えて光属性の私より早く魔法を放てる者はそういない。
これのおかげで暗殺者の襲撃を退けられた事もあったし、説得に難色を示した騎士の一部は武威でもって従わせた。
私は父の不甲斐なさを強調するだけで支持を得たのではない。私なら今よりマシな生活を約束できると期待を持たせ、正常に領地運営が行われる理を説き、時には私の就任後の役職や特別支援で懐柔し、場合によっては弱みを握って脅迫、個人の武技でも歴代当主と遜色ないのだと見せつけて私側へ引き込んだ。
その手腕を認めたからこそ、領主代行を任じられていたオキソラも私の前に膝を折った。
母は認識していないかもしれないが、虚弱で何もできなかったジェイド・ノースマークはもう何処にも存在しない。
「聞いていませんでしたか? できるなら弑逆を望まないと言いました。選択肢の1つとして存在しない訳ではないのですよ?」
それを示す目的で私が柏手を1つ鳴らすと、2階の奥に控えていた騎士が欄干に沿ってずらりと並び、一斉に銃を構えた。
先程死んだ男の後に続く者がいるなら、次は玄関に立つ全員が蜂の巣になる。
「あ、あああ…………ああっ!」
ここまでの敵意を向けられると思っていなかったのか、母は慄いて崩れ落ちた。
その様子を見て、こんなにも柔だったのかと呆れる。
母へではなく、自分達に対して。
あれだけの覚悟しか持たない母へ気を遣っていたのだろうか。
あんなにも気概が足りない人なのに、ジャスは振りほどけなかったのだろうか。
あの情けない女性に侯爵家は振り回されたのだろうか。
もっと早く決意を固めていれば良かった。そうすれば、侯爵家の名を貶める前に立て直しができた。母も間違え続けずに済んだ。
「み、見ろ! 書いた、書いたぞ。署名した。こ、これでいいのだろう?」
父もだ。
死を身近に感じた途端に態度を翻す様子を見て思う。
父こそ補佐に回り、責任から離れた立場で執務に取り組んでもらえば良かった。少なくとも、私が成人した3年前からならそれができた。
次期当主はジャスが……と彼等の方針に寄り添おうとした私も、体調の不安を理由に逃げた私も、この事態を引き起こした1人だった。
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