閑話 ジェイとジャス 7
侵攻してきた帝国軍はリデュースの国境線まで押し返したものの、王太子を殺害されるなんて最大級の損害ではある。徹底抗戦を唱える声もあった。
しかし王国軍の被害は大きく、反攻作戦もかなり厳しい状況で行われた。加えて国境砦が陥落した事もあり、リデュースは戦争を継続するだけの基地機能を保有していなかった。多くの町村を放棄したせいで魔物が活性化して、軍を長期間滞在させる事すら困難だった。
更に皇国が参戦した為、一層の混乱が予想できる。
卑劣な侵攻を行った帝国へ誅罰を下すと宣言しての介入ではあったけれど、いつ矛先が王国へ向いても不思議はない。反攻作戦で精一杯であった王国は、皇国からすると絶好の狙いどころでもあっただろう。
帝国の監視に協力する。帝国に対して盾となる。実効支配の口実ならいくらでも作れた。武力を用いなくとも皇国軍の駐留を許すだけで国土を再び奪われる事は予想できた。
王太子を殺されたまま引き下がるのはこの上ない屈辱であり、ここで戦闘をやめる事は実質的な敗北とも言える。王太子殺害の責任を追及する機会も失われてしまう。戦争被害の大きさは明らかに王国側へ傾いていたが、終戦でなく休戦では賠償を迫ることも叶わない。
けれど二面作戦を展開する余裕はとてもなく、休戦協定へ調印する以外の選択肢を我々は持たなかった。
王太子の葬儀と戦死者の追悼式典には私も出席した。
貴族籍を得ておいて、国儀を欠席などできる筈もない。家族と顔を合わせたくないだなんて、理由にもならない。
当然、その場は戦争の落としどころに関する憤りで紛糾していた。そこにはどうしてもノースマークの名が混じる。
そして、王都へ来たならその後の行事へも強制参加となる。
戦勝などと言ったおめでたい雰囲気は何処にもないけれど、戦功を称えるための式典が行われた。王太子や多くの犠牲者を悼む沈んだ空気を変える為でもあったし、戦功は戦功としてその活躍に称賛を向けないといけない。
栄誉の中心は勿論、反攻作戦を成功へ導いたアルケイオス・カロネイア殿となる。
多くの者が栄誉のみを貰って褒章は辞退する中、彼には戦征伯と言う尊称が与えられた。そして今回の実績でもって、軍事面の最高責任者に就任する。混乱する軍部の再編成は英雄に委ねられた。
反攻作戦にも参加したリデュース辺境伯位の継承者、帝国軍の前進を許さなかったパリメーゼ辺境伯家、リデュース強襲時に誰よりも早く援軍を送ったオクスタイゼン辺境伯とその部隊を率いた子息、反攻作戦軍の編成に心血を注いだエルグランデ新侯爵、次々と大貴族が栄誉を受け取る中、五大侯爵家の中でノースマークとエッケンシュタインだけが名を呼ばれる事はなかった。
エッケンシュタインは仕方がない。これだけの国の苦難にあって兵糧一つ送っていない。この頃から領地の困窮は有名だった。曰く、戦況を引っ繰り返す為の新兵器を開発していたそうだが、その実態は確認できていない。
それと同等の扱いを受けたのがノースマークだった。
普通に考えてこんな不名誉はあり得ない。当然、後方支援が功績として数えられなかった訳でもない。むしろどの領地よりも多くの物資を送った。
王太子死亡と補給路設定の失敗は因果関係が確立されていないから功績を無効とする理由にはならない。
これは言外の叱責だった。
国の礎たる侯爵家。その役割に期待する活躍には足りていない、と。
加えて、それが大勢の貴族が集まる場で為されたと言うのは大きい。そして叱られた以上、是正措置を王家へ示さなければならない。
「…………」
祖父はともかく、私の胸の内はノースマークの歴史を築いてきた先人達とその名を誇る領民への申し訳なさでいっぱいだった。
その日の夜、あんな事があっても相変わらず離れで暮らす私のところへジャスがやって来た。戦功からのノースマーク外しに思うところがあったのは私だけではなかったらしい。
「兄さん……」
弟は今日の式典を待つまでもなく消沈していた。
致命的な失敗を悔い、周囲の非難を自戒と共に受け入れているのだろう。
「その……、なんて言っていいか……」
ジャスはあの時、どうすればよかったのか正解を見つけられていない。
私は輸送経路指示をジャスだけの失敗だとは思っていない。あの時点で成功しようのない状況だった。
けれど、どうしようもなかったかと言えばそれは違う。
「展開する帝国軍に対する下調べが足りていなかった。前線で兵士が補給を渇望する中、希望的観測に頼った判断を下すべきではなかったんだよ」
「あ……」
それにも関わらず、ジャスに任せられる仕事だと投げた父が悪いと言えば悪い。
「せめて、判断に足りる情報が揃っていないと上申するべきだったんだ。それを怠ったせいで、補給を待ち望んでいた前線の士気は低下した」
「そのせいで……、殿下は……」
「ジャスだけじゃないよ。私も物資を送って、それで仕事を終えた気でいた。ノースマークの人間のお腹を満たす筈だった食料を差し出させておいて、その先の責任を手放した。物資は確実に前線へ届くのか。無駄なく活用してもらえるのか。しつこいくらいに確認するべきだった。そうしていれば、補給路の調査を徹底させられたかもしれない。護衛部隊を増員できていたかもしれないのに……」
侯爵家が念を押せば現場の人間も無視できない。
少なくとも、輸送路を決定するだけの楽な仕事だと父が仕事を誰かに託す事態を回避できた。
ジャスはそんな父へ苦言を呈すべきだった。私は領民へ無理を言って物資を預かったのだと、無為にする事など許されないのだと強く進言するべきだった。
「理不尽は何処にでもある。私は今日の事でつくづくそう思ったよ」
「兄さんが疾患を抱えて生まれて来たみたいに?」
「ああ。君は健康に生まれた事。口にはいけない言葉を漏らしてしまった祖父がいた事。……そして、ジャスが母を上手く振り払えなかった事も……」
もっとも、言うほど簡単な事ではない。
貴族である以上、母子であると同時に明確な上下関係が存在する。爵位を持つ父、その夫人である母、私は貴族籍を持つだけの人間に過ぎず、今のジャスは未成年でしかない。
歯向かうなら周囲の協力を得て、一族内で確固とした影響力を身につける必要があった。
「そして今日、ノースマークは失格の烙印を貰った」
「うん。これまでの私達はどうしようもないのだと嘆いていればよかった。一夕一朝で健康な身体が手に入る訳でもないのだと……」
「俺には俺のやり方があると言ってみたところで、あの母様が聞き分ける訳もなかったからね」
そうして結局、流されるままに今日を迎えてしまった。
「でも、今日からはそれでいられない。俺達も……俺達が変わらないといけない」
「陛下に大きな釘を刺されてしまったからね」
私達家族の不和は多くの貴族が知っている。侯爵家のごたごたが国王陛下の耳へ届いていない筈もない。
それが今回の叱責の一因だと、私もジャスも理解していた。侯爵家が抱える責任は、爵位の譲り合いが許されるほど軽くないのだと突き付けられた。私が功績をジャスへ譲っているようでは務まらない。
最優先なのは領地の未来が明るい事。
母を刺激しないようにと行動を抑えるのはノースマークらしくない。
「私が不健康だからと言う理由は、私が次期侯爵を目指さない事の弁明にはならない」
「俺が健康上の不安を抱えていないからって、次期侯爵に収まる理由にもならない。本来、そうあるべきだったんだよ」
「その通りではあるんだけどね。……あの母様がこれで大人しく引き下がると思うかい?」
「……ちょっと想像できないかな」
乗り越えないといけない壁は依然として存在する。
でもだからと言って、怯んでいる事は許されなくなった。
「王太子殿下は俺が死なせた……。俺はずっとそう言われ続けなきゃいけないんだろうね」
「怖いかい? 心が折れてしまうかもしれないと、怖気付く気持ちはあるかい?」
「……正直なところ、怖いよ。逃げたしたいって気持ちもある」
「だからって耳を塞ぐだけにはならないで欲しい。学院生活ももうしばらく続く訳だから、やるべきことを見失わないで欲しい」
「俺が何か成果を示せたなら、見直してもらえる事もあるかな?」
「きっと、ね。烙印は烙印だと評価を変えない人間もいるかもしれないけれど、そんな連中だけじゃないよ」
「……うん」
「これまでも色々あった。それを思えば、これからだって何が起こるか分からない。可能性を自分で閉ざしている場合じゃない。昔は医学が発達すれば……なんて考えていたのに、現にこうして倒れずに済むくらいの身体を手に入れられた。健康……とは言い難いかもしれないけど」
「……そう言えば、兄さんは随分と見た目が変わったね」
屋敷へ立ち寄らなかったから、ジャスに今の姿を晒すのは初になる。今日の式典でも驚きの視線が多く集まった。
「手紙で報告を受けていたとは言え、実際に見ると驚くよね」
「でも、倒れる心配が要らない日常と言うのはそれなりに快適だよ。苦労した甲斐はあったかな」
「そっか。それも兄さんが頑張った証なんだよね」
旅に出ていた間もジャスとの繋がりを断つ気はなかったから、意図して太るのも大変だったと苦労話も手紙にしたためた。
「俺も、もう少し踏みとどまってみるよ。侯爵家を継げるかどうかは分からないとしても、貴族の責任まで消える訳でもないからね」
「ああ、改めて競い合おう。私も次期侯爵を目指すよ」
「―――!」
はっきり言葉にすると、ジャスは驚いた様子を見せた。
私に対して劣等感を抱いていたのは知っている。次期侯爵の道がほとんど閉ざされたのだと思ったのかもしれない。
そうするべきなのではないかとずっと頭の隅に置いていながら、私は向き合う事から逃げてきた。
不健康な私にその資格はないと。
私が目指すのはジャスの補佐なのだと。
領民へ恩を返せるなら立場にはこだわらないと―――
でも、今に至って明確にしておくべきだと思った。
私は侯爵家の当主になる。
ジャスは名誉の挽回を目指す。
きっとそれが、私達に課せられた“是正”だろうから。
言うだけなら簡単、実際に辿るべき過程を思うとうんざりするけどね。
爵位の継承者を決めるのは現当主、つまり父となる。父と母を説得するか、領内の有力者を味方につけて納得せざるを得ない状況を作り上げるか。
どちらにしても並々ならない道となる。
本当に身体は大丈夫なのかと不安も過ぎる。
だけど、困難な道を行くのはジャスも同じだから。それだけ今回の悪評は重い。私達は1人じゃないから、きっと乗り越えられる。
「お互い頑張ろう。母様に不安は残るけど、私が領地にいるならジャスが頑張るのを否定するほどではないだろう?」
「……うん、そうだね。俺はもうしばらく王都から兄さんを応援してるよ」
そう言って、ジャスはいつもの飴玉を差し出した。
確かに、応援の代名詞と言っても差し支えはないかな。ただし、取り出した飴は1個だけで、今日は自分用を口へ放り込もうとはしなかった。
ま、あまり美味しくないしね。
私の場合、活力補給と割り切って味を後回しにするのにも慣れている。
ジャスが去った後、私は成り行きを見守っていたハイドロへ向き直る。
彼の協力無しに、私の目論見は成就しない。
「そう言う訳だからハイドロ、どうか力を貸してほしい」
「勿論です、ジェイド様。きっと私は、ずっと以前からこの日を待っていたのです。何処までもお供いたします」
ハイドロは私の傍に跪いて忠誠を示す。
その姿勢は大袈裟だと少し呆れながら、待たせていた事には申し訳なく思う。幼馴染みと言っていいほど長く共にいるけれど、短い先行きと運命を受け入れていた主に仕え甲斐がある筈もない。
「当主夫妻を説得できるとも思えませんから、領内の掌握となりますか?」
「そうだね。ジャスが私の決意を吹聴するとは思っていない。だから、私の動きを気取られるまでにどれだけ派閥を大きくできるかが勝負となるのかな」
「帰領次第、ソルベントの説得にあたります。少なくとも妻は我々の側に付くでしょう」
「うーん、ハイドロの一族が忠誠に篤いのは知ってるけれど、確実に引き込めるのがテトラだけだと言われてしまうと、今後に不安を感じるよ」
今回のジャスの失敗を強調して味方に引き込むと言う方法もある。しかしそれは避けたい。ジャスを貶めて信任を得るのではなく、私へ期待を抱いてもらいたいと思う。
私の王都滞在は短い。できるならその間に数人は家人を招き入れておく必要がある。覚悟を決めた以上、悠長に構えている余裕は無くなった。
早々にハイドロと協議を進めながら、私は飴玉を強く握りしめる。
「そうか……これが君の決断なんだね、ジャス」
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