閑話 ジェイとジャス 4
王都へ移ったジャスは積極的に貴族との顔を繋ぎ、その存在感を高めていった。
様々な会合、夜会へ出席する。家が力を持たない下級貴族の共同体作りに協力する。魔塔の惨状について憂う討論会で意見する。軍の演習に参加して国防について学ぶ。勿論、私の研究会へも顔を出した。
講師資格を得ると言う訳にはいかなかったものの、こうして円滑に周囲との意思疎通を行う様子は流石の一言で、早期から次期侯爵として教育を受けていただけあると感心できた。
引き籠りだった私に到底身に付く筈もなかった社交性は、参考にできる部分も多くあった。
こうして貴族が私達兄弟を知る。
私の不健康さは周囲も知るところだったから、ジャスが私と並び立てるのだと知らしめるだけで十分だった。
不足は補い合えばいい。
私達に確執があるのではないかとの噂はすぐに払拭できた。揃ってノースマークを背負うのだと示せば、変に私を推す声も減っていった。
上手くいっていると思っていた。
少なくとも1年間はそう思えた。
しかし、母の望む成果とは違ったらしい。
ジャスは常に私を越える結果を残さなければならない。学院の2年目を終える前に講師資格を得るようにと、大勢の家庭教師を送ってきた。
国外へ出る可能性の低いジャスに別大陸の言語は必要ない。使者と会談する機会があったとしても、国内で会うなら共用語を使えばいい。
小国家の現況を知る事は必要でも、詳細な歴史の学習へ時間を割くのは効率が悪い。大まかな流れを追えれば十分だと思う。
基本さえ押さえておけば良いのに、魔道具の構造についてジャスが細かく知って活用する機会があるとは思えない。
そのくらいなら、政治や経済について習熟する為に時間を使いたい。
時間をかけて学べるなら、全てを我が物にできるくらいの能力はジャスも持っている。けれど、本の世界が全てだった私と違って、短期間での詰め込みは向いていない。せめて在学中の取得を目指すくらいならともかく、僅か1年で私に追いつくのは急が過ぎた。
ジャスも母をそう諭したが、聞き入れられる事はなかった。
かえってジャスの要望を曲解されて、政治について学びたいのなら実地で学べばいいと、母が王都へやって来た。
弟の政策案を母が聞き入れて領地へ伝える。最終的な決定は父になるけれど、あの人は母に強く勧められると拒否できない。
どれほど聡くてもまだ13歳。経験不足は否めず、しかも過度の勉強の合間に絞り出した着想が、碌な精査もされないまま実行された。
何とか世に出る前に素案の見直しをしたいところだったが、母に阻まれた。それなら長くジャスを支える側近にくらいは相談してほしいと願ったのだが、母が用意した新しい側近に囲まれて無理だった。
母も馬鹿じゃない。ノースマークの家人が私とジャスの橋渡しをしていた事には気付いていた。そして王都へ来た事で、母の実家から文官を呼ぶ事が容易になってしまっていた。
それなら、その文官達がジャスの素案を見直して改善すればいい。補足すればいい。いっそ、彼等の立案をジャスの成果と見せかければいい。
しかし、母の意見はそうでなかったらしい。
政策を通すのはあくまでジャス自身でなくてはならない。私が手伝うのは論外として、それ以外も他の者の成果となってしまう。ジャスにはそれだけの能力があるのだから問題ない。若い時分に多少の失敗はあって当然、いつか成功を重ねられるようになれば巻き返せるのだと言った。
けれど事実として、領地でのジャスの評判は下降の一途を辿った。そうなれば、王都や他の地でも噂として上る。
実務経験の乏しい次男が領地に混乱をもたらしているのだと。
無理もない。
公共事業に投資しようにも、それを最も必要としていて効果的な場所について知る手段が王都には無い。詳細な情報を領地で調べてこちらへ送ってくれるのを待つほど母が悠長に構えてくれない。
それなのに、魔物の流入を抑える為に冒険者を派遣する計画書を作れと催促される。役人の不満が溜まっているから改革案を出せと詰め寄られる。
それでジャスの意図を伝えるべく母の推薦した役人を派遣すれば、碌に報告を行わないまま税金を懐に入れた。そもそも人事に関わった事がないから、誰を頼ればいいかも分からない。
勿論、全てが悪い結果を呼んだ訳ではないが、小さな成功は評判に繋がらない。領民からしてみれば生活が保たれているのが当然で、それを乱す、或いは問題を放置するなら悪政に他ならない。
いくつかの良案も悪評に塗り潰された。
ノースマークの民が不満を抱えてゆく。私が補いたくても、今の私にその権限はない。領主が判断を誤れば民がどうなるのか、否応なく見せつけられた。
僅か半年で、ジャスは目に見えて衰弱した。
過度の詰め込みはこれまでに修得した科目の精彩さえ剥ぎ取った。
「いい加減にしてください、母様! 今のままではジャスが消耗するだけです! 誰の為にもなっていません!」
母の方針が弟と領民を追い込んでいるのは明らかだったが、彼女はその原因を他へ求める。
命令を実行しただけの役人へ責任を被せ、ジャスを上手く導けなかったと側近を入れ替える。根本の見直しはとても期待できなかった。
見かねた私は直接談判に出た。
「そう言って、ジャスの失敗をお前は嗤っているのでしょう? 自分に当主の座が巡ってくるとほくそ笑んでいるのでしょう? そうはさせません!」
「何を……、言っているのです?」
「今の時点であの子を止めてしまえば、失点だけが残る。お前がそれを狙っている事などお見通しです!」
最近の私の評判はまた上がっていた。あくまで相対的に、だったが。
私は何もしていない。できる状況にない。研究室での成果の発表も控えていた。それでも加点が無いだけで、ジャスと私の差は開いてしまった。
「私はそのような事を望んでいません! 私はジャスの補佐です。今の状況に手を出させてもらえない事を歯痒くは思っていても、弟の失敗を喜んだ事などありません!」
「口先だけでなら何とでも言えます。先代に取り入ったお前は、ジャスに擦り寄るふりをしながら、裏切る機会を窺っているのでしょう!」
ジャスはチオルディ伯爵家の意を汲むよう母が育てた子で、私は身体的な問題を抱えていても正しくノースマークの子であるよう祖父が育てた。
それが世間の認識で、母の中でもそうなのだろう。
実際はほとんど放置と言えた。顔を合わせる度にジャスを支えられるようになれと繰り返されただけで、それも1年あたり片手で足りるほどしかなかったのだけれど。
「私のジャスはお前などいなくともノースマークを背負って行けます。補佐などと自惚れるのはよしなさい。ジャスが領地を継ぐ様子を、お前はベッドの上から死ぬまで眺めていればいいのです。起き上がる事すら困難なお前に、それ以上は求めていません!」
「……母様の私への認識がそれなら、それで構いません。けれど、ジャス自身を見てやってください。今の状況はあの子の負担にしかなっていません。ジャスを壊す気ですか!?」
「あの子を追い込んだのはお前ではありませんか? 兄に劣る弟が健康だと言う理由だけで侯爵家を継いだ、そんなふざけた事を周囲に言わせない為にも、私は厳しくせざるを得ないのです。病人なら病人らしく、屋敷に引き籠っておけばよかったものを……!」
結局、話し合いにはならなかった。
あの日以来、これだけ母と話したのは初めてだったと思う。母は私を視界から外していたし、私もそんな母との関わりを避けた。その結果、私達の溝は埋めようのないものとなっていたらしい。
私と母では会話すら成立しないのだと思い知った。
侯爵家を継ぐ子を成して相応しく育てる。
母はノースマークへ嫁入りする際に課した義務に囚われている。障害を抱えた私がその条件を満たせない以上、母はジャスに縋るしかないのだろう。
もっと兄弟がいればもう少し余裕を持てたのかもしれないが、それについても私が妨げてしまったのかもしれない。また“出来損ない”だったらどうしよう、そんな恐怖が付きまとっても仕方ない。
私達が貴族でなかったなら、継がなくてはいけない家などなかったなら、もっと普通の家族でいられたのだろうか?
……などと詮無い事を考えてしまった。
私が母の説得に失敗した事で、益々ジャスは余裕を失くしてゆく。
「俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が頑張らないと……、俺が……頑張らないとっ!」
どこまでも自分を追い込もうとするジャスに、原因となってしまった私はかける言葉を持たなかった。
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