閑話 ジェイとジャス 3
「侯爵家の次代はジェイにこそ任せるべきだ!」
突然の方針転換だったが、驚きはなかった。
母に囲い込まれたジャスを祖父が快く思っていないのは知っていたからだ。だからと言って例の発言以来、本邸で暮らしていた私へ何か教育を施した訳でもないのだけれど。
お母様は他家からノースマークへ嫁入りした身なので、郷里の方針を引き継がせているとでも疑っていたのかもしれない。
それ以前に、貴族の後継は当主が決める。
私が学院へ向かう前に爵位を父へ譲った祖父にその権限はなかった。
「今更何を言っているのです? 確かに、ジェイが想像していたより優秀だったことは認めます。しかし、ジャスに瑕疵があった訳でもないのに、そんな事ができる筈もないでしょう」
「そうよ! ジャスは侯爵家を背負って立つべく努力を重ねてきたのよ。それを今更否定するなんてかわいそうな真似、できないわ」
祖父が当主を降り、発言権を増したのは母だった。
父は侯爵家に君臨していた祖父へ苦手意識を持っていた。思うがままになんでも決めてしまう祖父の顔色を窺いながら生活してきた経緯から、物事の判断を他者に委ねてしまう傾向にあった。
これまでは、当主であった祖父に従っていればよかった。けれど侯爵を継いでから、決断材料として頼る先は母へと変わった。
無理もない。
祖父に抑圧されて父の胆力は育たなかったかもしれないが、チオルディ伯爵家で教育を受けた母にはその気位が備わっている。
そもそも祖父のかつての発言は、母にとって侮辱以外の何ものでもなかっただろう。けれど、母は堪えた。
祖父が侯爵、上位者だったから。
家と家の問題にしてしまえば、伯爵家が被害を受けるから。
そして今、祖父は侯爵でなくなった。
各地の首長や家人に影響力は残しているとしても、謙る必要はない。現侯爵は父で、侯爵夫人として家を守る立場にある母は父に次ぐ立場にある。
本来なら慮るくらいはしたかもしれないが、先の暴言がその気遣いを剥ぎ取った。
こればかりは祖母も母の味方で、私が学院へ通う間に祖父は孤立していた。
ここぞとばかりに持論を展開した祖父だったが、誰の心にも響かない。むしろ、周辺貴族の反応に流されて容易に方針を違えるようでは混乱しかもたらさない。
「入学から僅か2年で講師資格を得たのだぞ? 研究も注目を集めている。その成果を認めなければ、周囲に笑われる!」
「それはジャスの優秀さを否定するものではないでしょう。ジャスもこれから学院へ向かう。国中がジャスを知る。それで評判は覆るわ!」
「ジャスに恥を呑み込めと言うのか!? 優秀な兄がいながら、健康に生まれたと言うだけで次期侯爵の座に居座る。世間は嘲笑し、我々も物笑いの種になるのだぞ?」
「ジャスの優秀さを証明すればいいだけの話です。虚弱で賢しいだけの子供など、すぐに霞んでしまうでしょう。笑い者になど、私がさせません!」
「ジャスを完全に否定しようと言う訳ではない。兄を補佐し、ジェイに何かあった時には代わりを務められるだけの実績を積み上げていけばいいではないか。それで世間も受け入れる。ジャスの奮励も無駄にはならん」
「ジャスがジェイの後塵を拝すなんてあり得ないわ! あの子はノースマークを背負って立つべく、私が育てた子供です!」
不毛な言い争いが続く。
私が祖父に共感する事はないし、大人しくしておけば母もいずれは黙る。そもそも私が母の視界に入った事もない。
短い夏季休暇の間、私は自室に籠った。
「兄さんも大変だね」
飴玉を持って遊びに来たジャスだけは迎える。
もう少し味を改良した似た代物を用意してはいたけれど、弟の気遣いを受け取って互いに口へ放り込んだ。懐かしい味が広がる。
「確かに、私にその気もないのに周囲に騒がれるのは煩わしくはあるかな」
「それだけの事を成し遂げたって事だから、胸を張ったら? 母様が非難するからって委縮する必要はないと思うよ」
私の配慮は母に対するものではなく、ジャスを無駄に追い込んでしまった事へのものであったが、弟が気にしている様子はなかった。1年前、講師資格を得た私を誇らしそうにしていたのもジャスだけだった。
ただ、次期侯爵としてこれから王都へ向かうジャスの事を思えば、世間の評価を得るのは彼の入学を待ってからで良かったかもしれない。補佐する側が目立って良い結果は得られない。浅慮だった自分に後悔が滲む。
「講師資格……とまでは言えないかもしれないけど、俺は俺で頑張るよ」
意気を新たにする弟が頼もしい。
「あれはなぁ……取得した私が言うのもなんだけど、正直どうかしてると思う。狂気に少し足を踏み入れてるとすら思えるからね」
「そんなに凄いの?」
「必修以外の選択科目が桁外れに幅広いと言うべきかな。どんな分野でも専門的な習熟ができるように教師がいるから、将来的に関わる事がないような教科についても学ばないといけない。興味がないとか苦手とか言っていられないんだ」
「……そんなもの、よく取れたね」
「本を読む時間だけはあったからね。将来活用する機会がなさそうに見えても、絶対はない。それに、侯爵家の蔵書量も凄いと思っていたけれど、王都は遥か上を行くんだ。どんな認知度が低い分野でも専門書があるんだ。少しずつ読み進めているのに、全然読み切れる気がしない」
「あー、うん、聞いているだけでうんざりしたよ」
あれ?
ジャスを追い込む意図はなかったんだけど?
「でも、そうか。王都は学ぶ意欲さえあれば、いくらでも学べる環境が用意されてるんだね」
「そう言えるかな。私みたいに広く浅くでなくても、興味のある分野を突き詰めていて頼れる人も大勢いるよ」
「兄さんには、王都の環境が合っていた訳だ」
そう、だったかもしれない……。
私はノースマークとジャスに尽くすと決めている。その為の用意は望むままに与えられてきた。
それでも、お屋敷で私を取り巻く環境は呼吸を難しくしていたのだと今なら分かる。王都で得た気楽さはここにない。
それでも、卒業後にノースマークへ戻らない選択肢は私にない。
それから、当人達のいないところで後継者問答に忙しい母と祖父は放って、私とジャスは2人で過ごした。私がジャスといる事に母はいい顔をしないが、使用人はその限りじゃない。細かな報告がなければ伝わらない。
夏季休暇が終わればジャスも一緒に王都へ向かう。学院へ入って貴族としての基礎を学ぶ。
その為の準備はほとんど終えたジャスに、私は王都がどんなに凄い場所か伝えた。
とても広くて、体力の無い私ではとても回り切れる気がしない。
軍施設の物々しさには、防衛に対する頼もしさを感じられる。特に今、強化魔法に特化したとても優秀な軍人がどんどん頭角を現しているらしい。
空中球池のある公園から王城と魔塔を臨んだ時は身震いがした。
頼もしさを覚える反面、貴族の愚かな部分も視界に入る。
私が語る王都の様子を、ジャスは興味深く聞いていた。ジャスが王都に来たなら、活動範囲が限られる私と違って、ずっと多くを見て血肉に変えると思う。
そして私は、魔力を扱うコツも教えた。
属性が異なるから魔法そのものは教えられない。それでも、私が実技を突破する為に修得した体力消費を抑えて魔力を放出し続ける手法はジャスに驚きを与えたらしい。
「凄い! こんなに楽に魔法を発動できる!?」
魔法に必要なだけの魔力をいきなり引き出すのではなく、普段から魔力の放出を身体に慣らしておく。ゼロから100を引き出すのではなく、放出する魔力を1から100へ引き上げる。これだけで驚くほど滑らかに魔法を構築できた。
私の場合はこの技術を使っても人並み以下だったけれど、ジャスならこんな小手先の技術でも大きく魔法の可能性を広げてくれるだろう。
時には、ジャスが苦手とする教科の教師役を買って出た。講師資格まで目指す必要はないにしても、好成績に越した事はない。
母に伝わらない工夫は必要だったが、これも補佐の一環だと私は考えていた。
ジャスにも王都で名を馳せて欲しい気持ちがある。
だから、伝えられるだけは伝えよう。私が積み上げてきたものは、全てジャスと領地へ捧げるべきものなのだから。
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