恨みは何処からでも湧く
「ウォズ~~~!!」
お屋敷へ戻ると同時に、報連相に不備があったウォズから事情を聞こうと大声で呼び掛けた。なのに返事はない。
「ウォズなら、ウォズならシドへ行っている筈ですよ?」
代わりに、ソーニャちゃんのおむつを替えていたマーシャが答えてくれた。
彼女は私達が領地を不在にしている間、実験結果を清書したり、実証実験について計画書をまとめたりと、細々とした作業をこなしてくれていた。
……そうだった。
情報収集で国外へ出るなら、教育機関化の進捗を確認して来てほしいと送り出したのは私だった。会談でコントレイルを離れているのか、こんな時に限って魔力波通信機も繋がらない。
「それなら仕方ない……かな。急ぐ訳でもないし、帰って来てから話そうか」
既に恥は掻いた。
事情説明を急いだところで、時間は元に戻らない。チクチクお小言を並べていたお母様の様子だと、知っておくべきではあっても緊急性は低い。
「スカーレット様の、スカーレット様の殺害容疑については何か有用な情報は拾えたのですか?」
貴族の繋がりからは距離を置いていて情報の制限された状態にあるマーシャとしては、お茶会の結果が気になるらしい。
結局、ラミナ伯爵の動向くらいしか情報は得られなかったけれど、念の為成果として共有しておく。
とりあえず領地に距離があり過ぎる事から関係は薄いと一旦は結論付けたものの、無関係と言い切るにはタイミングが気にかかる。
「伯爵家の、伯爵家の関係者と何か関わり合いになった事がありましたか?」
「うーん、帰りの道中で思い出したんだけど、当時の伯爵の子息を張り倒した事がある」
「……何があったのですか?」
お茶会やパーティーで貴族として目に余る子息令嬢を絞り上げる事が珍しくなかったとは言え、暴力に訴えた経験はない。明らかに許容範囲を逸脱したエッケンシュタイン元伯爵やガノーア元子爵、ヴィルゲロット元騎士団長は別枠で、魔導士だからと無闇に武力をひけらかしたりしない。
「……入学してすぐの頃かな、発言力の弱い令嬢を狙って暴行、監禁を繰り返していたチンピラ集団を制圧した事があるんだよね」
あれもまた、例外だった。
令嬢1人を複数人で囲むような連中を殴ったからって心は痛まない。
「あ、聞いた事があります。一斉退学になったヤツですよね。……と言うか、レティ様を襲おうとか、馬鹿ですか?」
「当時はあまり公で魔法を使っていなかったし、護衛も引き連れてなかったからね。どうも危機感が低いと思われたみたい」
「その結果が揃って病院送り、貴族籍からの抹消ですか。いい気味ですね」
複数人の貴族令嬢が被害に遭っていた事から、結構な騒ぎになった。あの頃は貴族との繋がりを放棄していたキャシーの耳に入っていたならよっぽどだよね。
家の力が乏しいからと言って、娘を傷物にされて怒らない貴族はいない。親心は勿論、結婚相手に困るような事になるなら家の存続にも関わる。
被害者の多くは男爵家や子爵家、下級貴族だったものの、彼等は徒党を組んで牙を剥いた。
そして内容が内容だけに、周囲の家も同情的だった。爵位が上だからと黙らせられる限度を軽く超えている。当然、撃退されたからって侯爵令嬢への暴行未遂も消えない。
結果として、携わった子息達は全員が貴族籍を剥奪、ほとんどは生家からも追放となった。親達は貴族籍の喪失までは免れたものの、子供達を教育する義務を満たしていなかった、息子可愛さにあれだけの暴挙を隠蔽する者など信用できないとして、当主は全て挿げ替えられた。
現在のラミナ伯爵は、当時の伯爵当主からすると又従弟にあたる。直系での継承すら認められなかった。
ついでに当時は第2王子派だったラミナ伯爵家だけれど、この事件のせいで除籍になって、未だ無所属のままとなっている。第2王子派閥敗北の余波を受けずに済んだって事でもあるんだけど。
「今の当主と追放になった子息との繋がりは薄いから、今になって復讐を考える可能性は低いんじゃない?」
「でも、でもスカーレット様、その除籍者の両親は今でも領地に残っているのですよね?」
「……うん。確か、分家扱いで何処かの街の首長に収まったって聞いたよ」
枯れてもかつては栄華を誇った上級貴族だからね。貴族籍に残したまま血を保つくらいの余裕はあるんだよ。
「私も、私もこの子達を生んだからこそ分かるようになったのですけれど……もしもこの子達に何かがあったのなら、どうしようもなくわだかまりを残してしまうかもしれません」
おむつの不快感がなくなってうつらうつらし始めたソーニャちゃんを愛おしそうに撫でながらマーシャは言う。
それは、前世を加えても私が経験した事のない母の意見だった。
「勿論、勿論……、暴行事件を起こした本人が悪いのは当然です。そんな事に手を染めないように育てなければならなかった―――そう、思います」
「うん」
「それでも、子供が罪を犯したなら庇いたい。子供が悪いのではなく、誰かに唆されたのではないかと信じたい。代わりに自分が罰を受ける事になったとしても、子供だけは助けて欲しい……そんなふうに思ってしまうかもしれません」
「今回の件は前伯爵夫妻、もしくはその人達の意思を汲んだ現当主が関わっているかもって事?」
「理屈ではなく、自分でも制御できない恨みを燻らせていたとも考えられるのではないでしょうか?」
マーシャの意見は可能性でしかない。前伯爵夫妻に同情している訳でもないと思う。
ただ、合理的でないからと言って切り捨てられない。
「でも、マーシャの理論で言うなら、可能性はラミナ伯爵家だけじゃないですよね。対象が広がり過ぎませんか?」
あの事件で罰を受けたのはラミナ伯爵だけじゃない。そして、表面化していない可能性ならいくらでも増える事になる。
「それだけ、個人的な感情を軽視するべきじゃないって事だよね?」
「はい。相手は、相手は見境なく呪詛まで使ってスカーレット様の殺害を目論んだ人物です。動機が理解できると考えない方がいいと思います」
「……だね。もしかしたら、逆恨みかもしれない。まさかとは思うけど、大火やワーフェル山で救えなかった人の遺族だとも考えられる訳だし」
誰の恨みも買わない生き方なんて送っていない。
事件を知った時点で、そう考えたのは私だった。
今の時点で可能性を特定しない方がいいのかもしれない。マーシャのおかげで目が覚めた。
「それに話している途中で思い出したんだけど、あそこには今、元教国のアバリス教皇がいるかもしれないんだよね」
あくまでも可能性。
伯爵との繋がりは元教皇が示唆していた。身一つで放逐されて、ソーヤ山脈を越えられたかどうかは怪しいけれど、決してないとは言い切れない。
「でもレティ様、既に世論は教国不要って方向へ流れています。今更レティ様を殺害したところで、復権できる訳じゃないですよね?」
「うん。だから、感情的になった人間は何をするか分からないって話。恨みをぶつけたいってそれだけで、先の事なんか考えていないのかもしれない。行動原理を理解できるとも限らない訳だから、可能性を狭めるべきじゃない」
1人では何もできなくても、結託する事で動ける場合もある。
「明らかに不審な動きを見せているラミナ伯爵は放っておけないとして、心当たりをもう一度洗い出してみるよ」
確度の高い情報が得られるまでは、虱潰しも覚悟する他ない。私がもしかしてって思える人物を総当たりしても、可能性を網羅できる訳じゃない。
改めて、サンさん達専属冒険者を動かせないのが辛い。主に護衛を任せているグリットさん達は諜報活動に向かないんだよね。
ウォズの人脈やヴィムさんの尋問結果に期待するしかないのかな。
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