閑話 怪盗の追憶 4
結果として、わたくしが聖女候補となるのは間に合いませんでした。
鏡面間転移をそのまま報告したのでは神官の警戒が強まります。
神官達の利益の為に利用されないとも限りません。わたくしもお姉ちゃんを連れ去った教皇や真正矯団を完全には信用できませんでした。
そこで、祈りを捧げれば何処かに実りをもたらす魔法なのだと偽る事にしました。効果の先をぼかして、悪徳貴族や商人から盗んだお金で貧民層を支援するのです。祈りの過程でその場所の情景が浮かぶのだと語っておけば、効果のほどを確かめてくれます。
大陸中広範囲に散らばっているのですから、転移魔法に結びつかない限り細工を疑われる心配はありません。中には偶発的な好景気も混じって特定できなくなるでしょう。
けれど効果が伝わり辛い事が災いして、権能と認められるのに思いのほか時間がかかってしまいました。
わたくしが神殿に迎えられる前に、お姉ちゃんの訃報が知れ渡ったのです。
「う……、そ…………?」
あの時の衝撃は忘れられません。
まさか、十数年でお姉ちゃんが命を落とすなんて、考えもしませんでした。
突然目標を失ってしまいましたが、それで聖女への道を諦める事はしませんでした。
聖女候補はわたくししかいない。
お姉ちゃんの遺志を継ぐのも、わたくししかいない―――そう思えたのです。
その決意を、両親は尊重してくれました。聖女となるなら、出生は秘匿しなければならない。教国出身が前提なのですから、身元不明であってもいけません。
わたくしと距離を置く事を受け入れ、お父さん達は首都アルミンを離れてゆきました。時折届く手紙が家族の繋がりです。
負い目がない訳ではありません。
お姉ちゃんと同じくらい大切な2人です。お父さん、お母さん達の近くで仕事を見つけて、いつか恋もして新しい家族を作る―――そんな未来も思い描きました。
それでも、例え離れてもお父さん達とは家族でいられる。両親との絆は切れない。お姉ちゃんと同じ道を行く事だけが彼女との結び付きだと信じました。
実際に聖女となってみて、内から見た神殿の腐敗ぶりは想像以上でした。
履き違えた傲慢、強欲に塗れた有様を見る度に、呆れと蔑みの感情が渦巻きました。ヴァラッハ司教のようなまともな神官達がいなければ、神殿はとっくに破綻していたでしょう。お姉ちゃんが放っておけなかった気持ちも分かります。
わたくしが財産を盗む対象としていた悪徳貴族達にも負けていません。
それなら彼等の財産も神殿立て直しに利用しようと家探ししていた時、希望を見つけました。
記憶にある姿そのまま黄金像となったお姉ちゃん。
そして、お姉ちゃんを元に戻せるかもしれない奇跡の霊薬の製法。
この2つがほとんど同時に見つかった事は、神様の思し召しだと信じて疑いませんでした。
霊薬さえ完成させればお姉ちゃんを救える。
お姉ちゃんの証言が得られたなら、お姉ちゃんをこんな目に合わせた奴等を神殿から追い出せる。
全てが上手くいくと妄信したのです。
これまで、わたくしは不正を働いた対象以外を盗みの対象とは見做していませんでした。けれど、それでは霊薬完成が遠ざかってしまいます。
神殿改革に尽力したお姉ちゃんを助ける為なのだから、これは正しい事なのだと信じました。誰もお姉ちゃんを助けなかったのだから、そのお姉ちゃんの為に素材を差し出すくらいは当然の償いだと割り切りました。
そんな折、ひょんな切っ掛けからシドへ行ける事となりました。
偶発的な魔法発動で跳んで以来、初めての帰郷です。勿論その事実を明かす訳にはいきませんが、わたくしの心は浮き立ちました。
あの場所は今もそのままだろうか。
わたくしのもう一組の両親、院長夫妻は元気でいるだろうか。
ランにも会いたい。
もしかすると、新しい家族を紹介してくれるかもしれない。
できるなら、お姉ちゃんの事も語り合いたい。
そんな期待は、儚く砕け散ります。
「聖女殿がいたと言う孤児院は既になくなっています。建物も焼失したと聞きました」
え?
案内役のリーヤ様の言葉を聞いて、わたくしの中に赤い記憶が吹き出してきました。
どうして、忘れていられたのでしょう。
お姉ちゃんを奪われた悲しみも癒えぬまま、理不尽に燃やされた孤児院。
無惨に撃ち殺された院長先生。
炎の向こうから聞こえた泣き声、悲鳴。
熱い熱いと何度も繰り返して、そのまま動かなくなった友人。
わたくし達の居場所を、小汚いと吐き捨てた現教皇アバリス。
何もできなかった無力な自分。
あ、あ、あ、あ、あ…………!
とても平静ではいられませんでした。
何もかも投げ捨てて、かつて孤児院の有った場所へ走りたい衝動を抑えつけて、何とか態度を取り繕います。話はほとんど頭へ浸透しませんでした。
幸い、何も知らない振りをして神官達と相対する事に慣れてしまったせいで、感情を隠す事には長けています。動揺を知られずには済みました。
だと言うのに、辛い現実が更に突きつけられます。
「ようこそグランダイン養護院へ。私はフェルノ・ジエノンと申します。何もない場所ですが、ごゆっくりされてください。聖女様方を迎えられて、きっと子供達も喜びます」
どうして、この男がここに居るのでしょう?
お姉ちゃんが連れ去られるきっかけを作った男が!
お姉ちゃんが攫われる様子を嗤って見ていた悪党が!
何故グランダインの名を冠した場所で、まるで好々爺みたいな顔してのさばっているのです!?
訳が分かりませんでした。
怒り、憎悪、悲嘆、絶望、後悔、様々な感情が綯い交ぜになってあふれ出してきます。正気を保つだけで精一杯でした。
許せない。許せない……。許せない……!
アバリス教皇も、唯々諾々と応じた真正矯団も、そして何より今は目の前にいるこの男が許せない。
養護院? 院長? そんな偽善で罪が雪げる筈がない。
お姉ちゃんの意思を遂行した事だけは認めてもいい。だからと言って、それでわだかまりが消える筈もない。
お前のせいでお姉ちゃんは攫われた!
お前のせいで孤児院はなくなった!!
お前のせいでお姉ちゃんは絶望しながら金になった!!!
感情を表に出さないままなんとか会談を終えたわたくしは、深夜に固有魔法を使って養護院へ忍び込みました。
このどうしようもない胸の内を晴らすには、1つしか方法はありません。
わたくしの手にはナイフがありました。
昼間、あれだけ死にたくないと語っていたのに、抵抗する素振りも見せない事が余計に気に障ります。無様に命乞いでもしてくれればいくらか溜飲も下がったかもしれないのに、おかげで更に腹が煮え立ちます。
殺害に躊躇いは感じませんでした。
「あはははは! あはははははははは……!」
誰もいない部屋にわたくしの声だけが響きます。気が付くと視界は歪んでいました。笑っているとも泣いているとも分からないまま、必死で刃物を振るいます。
何度刃を突き立てても、一向に気は晴れません。
どうして? どうして? どうして!?
仇を討ったのに。憎悪を晴らしたのに。この手で罰を下したのに……?
気持ちは全く好転しないまま、わたくしはこの場を去りました。
わたくしが行いの愚かさを思い知ったのは翌日でした。
「嫌だよ! 義父さん! 義父さん! あああーーーん!」
「そんな……どうして……?」
「なん、でだよ? くそっ! 義父さん……っ!」
「誰が……こんな、事を……!? 許せない!」
泣いている子がいます。
理解したくないと、心を閉ざそうとしている子がいます。
悔しそうに顔を歪める子がいます。
怒りを露わにしている子がいます。
当然でしょう。
フェルノさんはこの子達に慕われていました。
わたくしにとって孤児院の院長夫妻が、今の両親が父母であったのと同じように、彼等にとってフェルノさんはお父さんだったのでしょう。
それを、わたくしが殺しました。
彼等は、理不尽に大切な人を奪われました。かつてのわたくしと同じです。
十数年前、この国でお姉ちゃんを連れ去られて泣いたわたくしが、今度は彼等のお父さんを奪って泣かせています。
あの涙は、お姉ちゃんがいないと泣いたわたくしと同じです。
記憶をなくしてさえいなければ、ああして怒ってもいたのでしょう。
どうしてこんな事になったのか、原因も今なら分かります。
わたくしは自分を抑えなかった。
今回だけの事ではありません。
聖女になりたいと、悪人からとはいえ盗みを許容した時。
言い訳を重ねて権能の内容を偽ると決めた時。
お姉ちゃんを助ける為だと、何の瑕疵もない人々からの盗みさえ躊躇わなくなった時。
わたくしは自らの行いの正当化を繰り返してきました。
これまで不幸だったから。
わたくしも奪われたから。
わたくしの悪事で救われる人がいるから。
お姉ちゃんの為だから、と。
実際のところ、悪事を働いている自覚すらありませんでした。手を汚す覚悟すらないまま、大切なお姉ちゃんすら言い訳の道具にして、自分は正しいのだと常に言い聞かせてきたのです。
そのせいで、今回も衝動を抑えられませんでした。
被害者なのだから、堪える必要はないと何処かで思っていたのでしょう。
それで何が起こるか、考えもしませんでした。
直接手を下した事は初めてでしたが、魔王種の素材が欲しいからと戦士国では悪魔の心臓を解き放ちました。犠牲が出た事も知って、目を逸らせました。
わたくしは、とっくに道を踏み外していたのです。
そんな自分と向き合う事すら避けていました。
かつての自分と同じ子供達を見てどうしようもなく突き付けられただけで、わたくしはずっと間違え続けてきたのでしょう。
ごめんなさい、お姉ちゃん。
そしてフェルノさん。
わたくしは貴方を責める資格など持っていませんでした―――
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価で応援いただけると、やる気が漲ってきます。
今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




