閑話 怪盗の追憶 3
転移魔法と言っても、私の場合は何処へでも行けるような汎用性に富んだものではありません。私が鏡の設置を確認している場所へしか跳べません。行った事があり、鏡の移動していない場所が大前提となります。
一緒に転移できるのは身に着けている衣服、ある程度の手荷物くらいが限界でした。しかも、移動距離が長くなると疲労も大きくなります。あくまで私の固有魔法は限定的なものでしかなかったのです。
シドから教国へ跳んだ経緯を考えれば知らない遠い場所へも行けるのでしょうが、転移先は完全な無作為となります。
転移先の候補は磨いた金属面や凪いだ水面も含みますので、跳んだ先が魔物領域と言う可能性も十分考えられました。この大陸では、魔物の生息領域の方がずっと広いのです。しかも、発動には長く集中する時間が必要となります。転移後、魔物に襲われて戻れない危険は冒せません。
事故に近い状態だったとは言え、シド~教国間の転移は幾重もの奇跡を孕んでいたのだと思い知ります。
必然、知った場所を往復するのが基本となりました。前準備無しには使えません。
そうなると、私の移動範囲は教国に限られます。折角の転移魔法も生かせません。
シドへ飛ぶ事も考えたのですが、一度記憶をなくしたせいで条件を満たせなくなったのか、懐かしい孤児院へ飛ぶ事は叶いませんでした。
聖女候補になるなら、ただ珍しい魔法が使えるだけでなく、世間に貢献するものでなくてはなりません。
8歳の私が転移魔法を公表しても、私1人移動時間を短縮できたり、何処かに忍び込めたりと外聞が悪いです。お姉ちゃんに会う為に神殿へ跳ぼうとも考えましたが、魔法の悪用が見つかって聖女候補への道が閉ざされるかもしれないと、実践はできませんでした。
私が魔法を上手く活用して人々に認められようと思えば、転移できる範囲を広げなければ難しい。それを独力で行えるだけの成長を待たなくてはなりませんでした。
その間、何もせず無為に過ごしていた訳ではありません。
硬貨1個を金へ変えるだけで大きく疲労していたお姉ちゃんが、人ほどもある金の山を作れるくらいになっていたように、私も魔法を鍛えなければいけませんでした。
どうしても運べる質量は増やせないようでしたので、移動距離を磨きました。
そんな中、事件が起きたのです。
利便性を高める目的で橋を架ける計画が持ち上がっていました。
これによって川で隔てられていた街道が繋がり、商業区画、神殿がずっと近くなります。北方から品物を仕入れる商人にとっても迂回の手間が省けると歓迎すべき案件でした。
主導するのは、勿論イリスフィアお姉ちゃんです。
出資を募って資材を集め、春の増水でも揺らがないだけの橋が設計されました。神殿参拝する機会が増やせると期待は高まります。お祈りする場所で神様が願いを斟酌する事はないとは言え、できるなら神像へ向かって祈りを捧げたいと思うのが心情です。教義の上でも反対する理由はない筈でした。
けれど、明確な線引きがあった訳ではありませんが、北の富豪区画と南の貧民区画を繋げる行為でもありました。
神官一族に混じって神殿近くにお屋敷を構える事で社会的地位を示していた者達が、異を唱え始めたのです。それは工事が本格化してから突然の事でした。今更工事が止められる筈もありません。工事要望派と反対派の対立がはじまりました。
中でも最も厄介だったのは、橋の北側になる筈の土地は自分の所有物だと言い張り始めたギーヒルと言う男でした。
本来、土地など誰のものでもありません。教国では神殿に居住先を申請し、神様の許可を貰って住まわせていただいているのです。聖女様の計画を推し進める土地が、突然個人所有物になるなどあり得ません。
初期段階から計画に賛同していたお父さん達は神殿へそう訴え出ましたが、ギーヒルは巨額の寄付で多くの神官を抱き込み、所有の正当性を主張しました。神殿もまた、聖女派とそれ以外で分断されたのです。
「はあ……。工事を再開させる目途は立たないが、人足への給金を滞らせる訳にもいかない。だと言うのに、工事を進められない私達が悪いと出資を渋る者ばかりだ……」
私は当初、工事が突然止まってしまったのだと知るだけでしたが、ある日から追い詰められたお父さんが愚痴をこぼすようになりました。
橋の完成で商機の拡大を目論む豪商と反対派の間で板挟みになっていたようです。要望派の一部は味方であると同時に、出資したのだから結果を出せと迫る厄介な監督役でもあったと言います。
「神様は唯一だと言うのに、どうして神殿内ですら意見が分かれるのですか?」
神様は絶対で、その下では自然と意見もまとまるものだと信じていたこの頃の私は、本当に分かりませんでした。
「聖女様が決められたのですよね? 神様の代理人である聖女様の意見が、どうして受け入れられないのでしょう?」
「うーん……、神様は常に正しいけれど、そのご意向を慮る私達は人間だからね。神様の慈悲をもってもたらされた聖女様と言えど、間違うのではないかと疑う者は出てしまうんだよ。悲しい事だけどね」
「でも、聖女様あっての教国でしょう?」
「……イリスフィア様しか知らない君には想像が難しいかもしれないけれど、彼女の前の聖女様は私達の生活を少しでも良くしようと精力的に動かれる方ではなかったんだ」
「聖女様なのにですか?」
「うん、そうだね。聖女様はこの国の象徴だ。でもだからこそ、神殿の方針に口を挟まず、象徴に徹して欲しいと言う意見もあるんだよ。権能を使って神様の奇跡を広く示す事こそが聖女様の仕事だ、とね」
人々の為にと奮闘を続けるお姉ちゃんが、間違っているとでも言うのでしょうか。
「でも、聖女様のおかげで私達の生活は良くなったし、神殿へ参拝する人も増えて寄付だって多くなったのでしょう? それなのに聖女様を否定するのですか?」
「私も、今の聖女様は正しいと思うよ。けれど、そのせいで彼女を中心とする派閥は大きくなってしまった。変革を望まない神官達にとっては居心地が良くないんだ。だから、この機会にイリスフィア様の影響力を削いでおきたいのだろうね」
「そんな理由で、橋の工事は止められたの?」
「残念ながらね。でも、先代も先々代も聖女様に違いはないから、以前のままの神殿を望む神官達の意見も間違っているとまでは言えないんだ。権能あっての聖女様だからね」
許せませんでした。
人々や聖女様の為にと橋の完成を望むお父さんを困らせている。
無理矢理連れ去って名前まで奪っておきながら、今度は自由すら奪って金塊を生む道具としてお姉ちゃんを使おうとしている。
許せる筈がありません。
だから私は、動くと決めました。
制限の多い固有魔法ではありますが、ギーヒルを懲らしめるくらいならできます。
神殿の対立にまでは直接介入できませんが、要は聖女派を支援すればいい。橋の計画を完遂させれば、お姉ちゃん達の影響力は更に強まるでしょう。
固有魔法を使う為には、ギーヒルのお屋敷まで赴く必要があります。
要望派と反対派、対立の最中にあるだけあって、お屋敷の周辺では警備の人間が目を光らせていました。襲撃を警戒していたのでしょう。
それでも、近くを歩くだけの子供を排除する程ではありません。
そして、私は窓の位置さえ確認できれば十分です。
透明度が高い為、昼間の転移は困難です。けれど夜に内部から照らした状態なら、直射光が減って反射が際立ちます。鏡に近い状態ですから、条件を満たせました。
外から人影がない事を確認すれば、忍び込むのは簡単でした。
何日か調査に費やした後、ギーヒルの財産を片端から運び出しました。送った先は神殿で、匿名の寄付だと書き残しておけば回収してもらえます。
「な、何故……? 一体、何が!?」
一夜にして貯め込んでいたほとんどを失ったギーヒルは、信じられないと立ち尽くす他ありません。
当然、ギーヒルは盗まれたのだと神殿へ訴え出ましたが、寄付として受け入れた後は神様のものです。どんな理由があろうと戻る事はありません。莫大な寄付で言い成りだった神官達も、小出しで焦らされるより財産そのままの方が魅力的に決まっています。相手にする神官もいませんでした。
盗まれたとしても、手段は不明。
聖女様の計画を妨害していた事から、神罰ではないかとすぐに噂が流れ始めました。警戒を厳としていた者達が怪しい兆候を見つけられていなかった事も拍車を掛けます。襲撃への備えが噂を後押しする結果となりました。
大きなものを運び出す事は叶いませんでしたから、残ったそれらとお屋敷を売り払ってギーヒルは教国を出て行ったそうです。
そして、噂は他の反対派の意思も挫きます。聖女様と対立したのは事実です。原因不明の財産消失で神様の怒りを想起されて、恐れを抱かない者などこの国にはいません。反対派は自然と瓦解してゆきました。
逆に、工事要望派の勢いは強まります。
工事が止まった際には渋っていた出資家達も、神様の意向に沿っているのだと知れば追加の投資を惜しみませんでした。人足も次々と増えてゆきます。
神様が望んでくださっているのだと、大勢が一丸となって橋はあっという間に完成しました。
『この日が迎えられた事、本当に嬉しく思っています。この橋は、この国が1つにまとまる象徴となるでしょう。更なる発展と融和を、私は強く願います』
完成式典で笑顔を見せるお姉ちゃんを見て、私は正しかったのだと誇らしく思えました。私の暗躍は、誰にも知られなくて十分です。
お姉ちゃんの助けができた。
大勢の笑顔の礎となれた。
私は満足感でいっぱいでした。
そしてこの体験が、私の信条を歪ませてゆくのです。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価で応援いただけると、やる気が漲ってきます。
今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




