聖女の演説
衆目に晒された先代聖女の金像は痛々しい有様だった。
売却の目的で削り取ったせいで左半身が欠けている。絶望に染まった表情を見れば、病による衰えや事故でない事は明らかだった。
先代聖女イリスフィア様は時間の許す限り市井で交流の時間を作ったという。
当時のアルミナは貧富の差が激しく、資産の多少で生活の場が別れていた。その状況に心を痛めた彼女は、貧民区画の開発に自ら生み出した金塊を投じ、高所得者達へ真摯に協力を求めたらしい。
半ば攫われてきたにもかかわらず、先代はここで暮らす人々の為に尽力した。
そうした聖女の活動は信仰を生む。
先代については金を生む道具ってくらいにしか考えていなかった神殿上層部も、これらを黙認していた。代替わりして5年、滅多に姿を現わさないクリスティナ様より先代を称える声は未だ大きい。
「そんな……、イリスフィア様!」
「嫌、嫌、嫌ーーーっ!」
「まさか、そんな事が……」
「嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ……!」
「なんてことを……、聖女様」
「どうして、そんなお姿に……」
そんな聖女の成れの果てに、随所から悲鳴や慟哭が上がる。彼女がこうなった原因を人々が求め、神殿関係者へ怒りを向けるようになるにもそうかからない。
当然、その義憤は連合国へも伝わる。
神殿は突入部隊が制圧した。けれど、その意を受けた真正矯団はまだ残っている。
完全に流れが傾いたのを確認して、アノイアス様は右手を高く掲げた。
『不徳の聖職者に仕え、戦闘に民を巻き込む事すら是とした瑕瑾の守り手達に告げます。大人しく捕縛されるか、ここで消えるか、選びなさい』
「「「―――!」」」
五千人もいるなら、実情を知る者ばかりだとは思わない。上層部に裏切られたと、こんな事に加担しているなんて知らなかったと、憤りを燻らせる人もいるかもしれないけれど、彼等は神様ではなく、人に仕えた。神の威光を騙った。容赦する気はない。
アノイアス様が右手を振り下ろせば、連合軍が侵攻を開始する。一方的に轢殺される未来が待つ。
民が共に立ち向かう事態はもうあり得ない。それどころか、暴徒となって襲い掛かってくる可能性すらあった。
『―――、―――……! ……投降する』
連合軍の査察を受け入れれば、少なくとも指揮官クラスは無事に済むと思えない。さっき、国民を巻き込む事を許容した将官には間違いなく処分が下る。それでも、ここで無駄に命を散らす選択はしなかった。
かつて様々な障害に阻まれてきた教国の制圧は、こうして一滴の血も流さないまま実現した。
神殿に籠っていた教皇達がどんな目に遭ったかについては、特に言及しない。吐かせる事柄はいくらでもあるから、多分死んではいないと思うよ。
『皆さん、聞いてください』
けれど、先代聖女への非道を上層部に追及するだけでは終われない。
教国を解体する時が来たのだと告げる為、クリスティナ様は拡声の魔道具を取った。
「あれは……今の聖女様?」
「どうして神殿の外に?」
「あんな容姿だった……か?」
「うーん、もっと不健康そうだったような……」
先代の聖女とは違い、公式の場への露出が少なかったせいで戸惑いも混じる。
『わたくしは他国の方々と話し合い、今後の方針を皆様へ提示する為にここへ来ました。権能の行使によって蝕まれていた身体については、王国の聖女様に癒していただきました。わたくしが聖女クリスティナで間違いありません』
……そうやって噂の種をばら撒くの、止めてもらえないかな。
『かつてわたくしは、とある小さな孤児院にいました。そこで大好きだった姉こそ、先代聖女イリスフィア様だったのです―――』
そして彼女は語る。
イリスフィア様が無理矢理連れ去られた事。
聖女が国外にいた痕跡を消す目的で孤児院が焼かれた事。
姉の傍に居たいと神官を目指したけれど、時遅く彼女は金像へ姿を変えていた事。
こんな扱いを代々の聖女が繰り返してきたのだと知った事。
内容については各国の代表者も交えて詰めている。権能は嘘だったとか、実は怪盗だったとか、余計な事は喋らない。
『これまでの教国の横暴は、目に余るものがありました。それだけ、諸外国は歪んだ信仰、神様の政治利用を放っておけなかったのです。初代聖女を中心に生まれた国にも関わらず、肝心の聖女を蔑ろにしていた。決して許されてはいけない罪です。連合軍の裁可は、受け入れなくてはならないのだと思います』
先代聖女の惨状を見て、クリスティナ様の過去を聞いて、教国を否定する事への不満は溢れなかった。
『神はこの地に聖女の奇跡をもたらしてくださいました。かつて病が蔓延ったこの地は、初代聖女のおかげで救われました。ですが、今一度考えてみてください。神様はこの地を特別扱いしたのでしょうか?』
奇跡の地だから代々聖女が生まれる。
そんな迷信を聖女自身が否定する。事実、固有魔法使いがこの地に偏ったなんて例はない。
『神はあまねく平等です。この国だけが特別だなど、あり得る訳がありません。当時病に苦しむ人々へ慈悲の手を差し伸べた、それだけだった筈です。わたくし達は神様の偉業を語り継ぐだけで良かった。それにも関わらずこの地を殊更に特別視し、権威を強化する為と聖女を迎え続けた歴史は、人の傲慢だったのではないでしょうか?』
教国に住んでいるのだから神様を近くに感じられる。真摯に祈り続ければ、きっと再び奇跡をもたらしてくれる。
少なからず特別視していたと自覚した人々は不安そうな様子を見せる。
『信仰を歪めた教国という枠組みは本当に必要でしょうか? わたくし達が教国を特別扱いしたからこそ、神殿関係者は増長し、多くの聖女の人生も悲しみで彩られたのではないでしょうか?』
私が演説しても、きっと彼等の心には届かない。
姿を現す事は少なくても、いつも何処かの誰かの為に祈り続けてきたのだと知られているクリスティナ様だからこそ、この場で説得力を持つ。
『奇跡という対価がなければ祈るのをやめるのでしょうか? 祈りの場所が整備されていなければ信心は消えるのでしょうか? そんな事は、決してない筈です。神殿関係者に裏切られた今だからこそ、改めて信仰を見つめ直してみませんか?』
クリスティナ様は信徒たちに寄り添う。
固有魔法は魔道具で封じてある。最終的には刻印を肌に刻んで、魔法自体を使えなくするのだと決まっている。事実を知る者は一部であっても、彼女へ向かう視線は厳しい。当然、監視も外せない。
その上で、クリスティナ様には聖女の立場に座り続けてもらう。
鏡面転移は勿論、祈りは何の効力も持たない。神殿の要職にあっても、権限は与えられない。それでも、教国を失って不安を抱く人々の拠り所になるのだと、彼女自身が受け入れた。
『わたくしも含めて、我々はこれまで過去の奇跡に縋った先人に縛られてきました。わたくし達は居場所を失うのではありません。しがらみから解放されるのです!』
演説の内容については精査したけれど、訴えかける内容は彼女自身のもの。
クリスティナ様は自分の意思で、役割を果たそうとこの場に挑んでいる。
『神様は常にわたくし達を見守ってくださっています。祈りは何処からでも届きます。国が変わろうと、場所が変わろうと、神様への畏敬が変わる事はないでしょう』
不安に苛まれる民衆へ語り掛けるだけじゃない。
彼女は決意を言葉に変える。
『平等を重んじる神様だからこそ、安易に奇跡を起こす事はないかもしれません。それでも、わたくしは神様がもたらしてくださった今日を、感謝し続けたいと思っています』
新しい歴史が、始まる。
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