余話 夢の中で 1
解決編に入る前に余分なお話です。この対話が何を意味するのか、判明するのはずっと後になります。長い目でお付き合いください。
ふと気が付くと、私は温泉に浸かっていた。
周囲に誰かがいる気配はない。どうやってここに来たかも覚えていない。
でも、私は慌てていなかった。
温泉にいるなら、とにかく楽しむだけだよね。お屋敷でもないのにフランが私の傍を離れている不思議とか、とりあえず端に置いておく。
お湯はちょっと熱め。
冷たい山風が丁度いい。
湯舟のすぐ横は植え込みになっていて、その向こうは断崖が下っている。真下には道が走っているのかもしれないけれど、視界には山しか映らない。
噂に聞く天空温泉ほどの壮大さはなくても、紅葉が彩る山に囲まれた空間はすっごく贅沢だった。
ここは私の記憶にだけ残る場所、夢でないとあり得ない場所。
住んでいたところからとても離れていたから、ネットで情報を仕入れて、少しずつお金を貯めて、時間を作る為に仕事をやりくりして、やっと実現したのを覚えている。
実のところ紅葉で囲まれた様子を見たのは写真だけで、私が行った時には冬の寂しい山しか見られなかった。だからって、別に心残りはない。
確かあの時、頑張ったご褒美に奮発して、ちょっといい旅館でご馳走食べたっけ……。
そこも再現してくれるのかな?
「夢に期待が大き過ぎじゃない?」
湯舟と共に思い出にも浸っていると、いつの間にやら昔の芙蓉舞衣の姿が増えていた。黒目黒髪の向こうの方が、和っぽいこの場所には合っているよね。ちょっと悔しい。
え?
だって、貴重な追体験だよ?
楽しみ尽くさないと勿体ない。
「貴女って貴族だったよね? 贅沢はそっちで堪能すればいいと思うけど?」
それはそれ、これはこれと言うか……、こっちだと風情が足りないんだよね。豪華なホテルや美味しい食事は用意できても、懐かしい空気は再現できないんだよ。
どうせならホテルより旅館を、豪華じゃなくてもいいから和食を楽しみたいかな。
「んー、じゃあ、聞くけど、あの日食べた献立って思い出せる?」
え……っと、そう言われると困ったね。
実はあんまり覚えていない。和食だったろうって思い込みと、美味しかったって感想くらいかな。記憶は戻ったと言っても、もう数十年も前になるから細部までは思い出せない。
「でしょう? それで再現は無理だよ。下手すると、最近の記憶で補填すると思うよ」
あー、それは興ざめだね。
折角の温泉宿で異世界料理とか並んでほしくない。
仕方がない、諦めよう。和風文化の再現は、いつか領地の何処かで叶えればいい。懐かしいって感傷は、その時まで取っておく。
当分は先になりそうだけど。
「何だかんだと勝手してるよね?」
私の領地だからね。欲しいものを作るのに自重なんてしないよ。
観光資源になるし、雇用も生まれる。きちんと計画を練るなら誰にとっても悪い話にならない訳だし。
「自分の欲求が最優先で、正当化の材料を他から集めてくる。貴女らしいかな」
折角の異世界、楽しまないと損じゃない?
「その目的の為に、今度は怪盗を排除するの? 正体も分かっている筈だよね」
うん、勿論。
回答に躊躇いはない。
とは言え、咆哮臓を盗まれたって怒りは随分退いていた。墳炎龍の巨体だから、喉の奥にある小さな臓器であっても私が両手で抱えるくらいはある。全て消費するのは難しい。希少品であると同時に危険物でもあるから、簡単には捨てられない。
咆哮臓については、怪盗が消費した以外が戻ればいいと思ってる。
「盗みを働いたから、殺人を犯したから。怪盗を捕まえる理由は、そんな道義的な話じゃないよね?」
そうだね。
それがないとは言わないけど、全てじゃない。一番の理由は、やっぱり自分の為かな。私の目的を果たす為に、怪盗の正体を利用する。
罪を償わせるのはその後でいい。
「あの人も、まさかこんな事になるとは思っていなかったんじゃないかな」
怪盗からすると、偶々欲しい素材が私のところにあったってだけだろうからね。その後、全然関係ないところで私と関わるとか運がない。
「運に恵まれなかったのはそれだけじゃないでしょう? 調査の報告を聞く限り、碌な人生じゃなかった訳だし、貴女が正体に辿り着いた経緯も偶然の積み重ねなんだから。そんなあの人に同情はないの?」
私が手心を加えたところで、まともな結末は待ってないよ。
多分だけど、本人も望んでいない。
「だから、貴女が別の道を用意するって? それこそ望んでいないと思うけど?」
だろうね。
きっと、私は現実を突きつけるだけになると思う。
あの人が怪盗として、そのもっと以前から目論んでいた全てを否定する。罰を与える目的じゃなくて、結果としてそうなるってだけで。
「防犯が不完全で咆哮臓を盗まれたとは言え、恩人を殺された訳でも、憎悪を向けられた訳でもないのにね」
まあ、確かに、ほとんど部外者と言っていい。
でも必要な事だよ。私にとっても、王国にとってもね。
「そう言って貴女と、貴女の周りの都合を押し付ける訳だ。体のいい建前だとは思わない? 三大国家、侯爵令嬢、更に今は未成年子爵。運が良かっただけの筈なのに、随分便利な立場を手に入れたよね」
不幸を煮詰めたみたいな怪盗とは、対極とも言えるかも。
「で? いつまでそんな生き方を続けるつもり?」
それは勿論―――
…………。
………。
……。
私が答える前に、世界は急速に色を失ってゆく。質問だけ投げつけた相手の姿はすでにない。
私はそこで目が覚めた。
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