今後の取り扱い
私の断定を聞いて、アーント統括官は目に見えて慌て始めた。
少なくとも、知って手に入れた様子はない。
「や、やっぱりそうだったのですか? 不思議な模様が気に入って買い取ったのですが、まさかそんなとんでもない代物だったとは……!?」
おばちゃんに指摘された時点では、まだ何かの間違いだと思い込みたかったらしい。でも私が言い切った事で、疑いようがなくなった。元々顔色の悪かったアーントさんから益々血の気が引いてゆく。
昨日、教国で揃っているのを確認したばかりだよね?
以前から教国で封印されていた6個に加えて、戦士国で事件を引き起こした1個、それらとは別物だって事は、見ればわかる。何しろ、模様が違う。これまで見てきた中で最も色が多い。
じゃあ、悪魔の心臓って何?
「教国が厳重に隠したせいで、一部の人間しかその外観を知らない。そのせいで、悪魔の心臓と知られないままに拡散してるんじゃないかって、あたしは今回の件で疑念を持ったよ」
「そう、ですね。十分に考えられると思います」
そういうものがあると学んでいた私でも、おばちゃんが看破してくれなければ正体不明のままだった。そのくらい、悪魔の心臓に関する情報は表に出ていない。
これも、あの教国だからってヤツだよね。
何もかも伏せれば平穏で済むって道理はない。教国に面倒事が降って来ないってだけで、戦士国のような事件は起こり得る。ただの責任放棄でしかなかった。
「念の為の確認ですけど、商人が悪意を持ってばら撒いていると言う可能性は?」
「恐らくないね。稀覯品を買い取ったはいいが、持て余していたって話だった。うちの冒険者に軽く尋問させてみたけど、悪魔の心臓について知っている様子はなかったと聞いてるよ」
まあ、ただの商人が悪魔の心臓について知る機会があるとも思えない。
「でも、知らないまま売買されているのも拙くないですか?」
「そうだね。軽く調べた限りでも、この数年で3回持ち主が変わってる。装飾品だと謳われてたから、危険な代物だなんて考えもしなかったろうね」
「何かの拍子に魔物が触れたら、大変な事になります。注意喚起した方が良いのではないですか?」
それがスライムだったとしても、一気に分裂して周囲が埋まる。
魔物の強弱はあまり関係ない。愛玩種として生活圏にいるドラコパピーやラットスピネルすら脅威になり得る。
「だけどね、兵器としての運用を考えそうな連中もいるのが厄介なところだよ。まずは信頼できる冒険者や商人を頼って情報収集、その間に各国と調整って流れだろうね」
おばちゃんが面倒そうにぼやく。
本来なら、教国が率先して体制を整えておくべき事だった。勿論、今の教国にそんな重大事は任せられない。彼等の怠慢のツケが、今更ギルドに回ってきた。
一番兵器転用を考えそうだった国が弱体化しているのが、まだ幸いかな。
「とは言え、間違いが起こる前におばちゃんが気付いてくれて良かったです。今回はゼルト粘体のような魔物誕生を水際で防げました」
「ああ、あたしとしてもホッとしたよ。あんな面倒なものは二度とごめんだ」
「ひっ……! ゼ、ゼルト粘体とは、戦士国の海を埋め尽くしたと言うアレですよね? そんな恐ろしい事態になるところだったのですか!?」
そんな事にならなくて良かったねって私とおばちゃんが安心する横で、状況の拙さを呑み込んだアーントさんが悲鳴を上げた。
ゼルト粘体はまだマシな方で、最悪魔王種が生まれる可能性もあった訳だから、その深刻さは間違っていない。
ヴィーリンで事件が起こると少なからずノースマークにも被害が出る。その意味でもここで止められてよかったよ。
「あ、あの! お二方どちらかに引き取っていただく訳にはいきませんか?」
「いいのかい? かなり頑張って買い取ったって話だったじゃないか。現時点で法に反しているとは言えないから、アンタを罰する権限はあたし達にないよ?」
危険性を把握してきちんと保管するなら、趣味の収集品だったと流して問題ないと思う。今回の件で益々信用を落とした教国へ通報しようとは思わない。
「と、とんでもない! そんな恐ろしいもの、とても持っていられません。どう考えても、私の手には余ります。ですから、是非、是非! 私を助けると思ってどうか……!」
「そうかい。で、どうする、嬢ちゃん?」
「あれ? 私ですか?」
「冒険者から情報が洩れて、悪用を考える国が現れないとも限らないからね。オリハルコンなんて抱えるアンタのところの方が守りも堅いんじゃないのかい?」
先日怪盗に後れを取った私としては、耳の痛い話だね。
とは言え、不必要に刺激しない為に保管を教国に任せたけれど、利用方法が手詰まりってだけで興味がない訳じゃない。勿体ないとも思っていたから、私としても都合がいいかな。
再び怪盗が私のところに来る可能性はない訳だし。
「分かりました。購入金額の半分で引き取ると言うのはどうでしょう?」
「は、半分……ですか?」
私が値切ると、アーントさんは渋い顔になった。
でも、どうせ商人に唆されて大金を積んだんだよね? 見境なく趣味に注ぎ込んだ補填まではできないよ。現時点で悪魔の心臓に価値がある訳でもないんだから。
「……わ、分かりました」
しばらくの交渉の末、6割まで粘ってアーント統括官が折れた。
もしもの場合にヴィーリンが被る災厄に比べれば破格だと思う。他国で王国貴族の特権は及ばないから、接収するとまでは言わないよ。
なんて思っていたら―――
「それでは、6000万ゼルでお譲りいたします……」
は!?
ロクセン? ロクセンマン???
え?
不思議な幾何学模様の訳の分からないものに、1億ゼル払ったの!?
欲しい物の為ならお金に糸目を付けないマニアもいるとは知っていた。周りから見ればゴミ同然でも、当人にとってはかけがえのない宝もあるって知っている。
それでも、想定より桁が1~2個多かったよ。アーントさんの熱意を甘く見てた。
と言うか、それ、個人で出したの!?
現時点で領地の発展に繋がると言えないから、私の研究費から割くしかない。それだけあったら、ちょっといい測定機とか買えるよね。
この出費がなければ、あれもこれもそれもできたかた思うと、契約書にサインする手が震える。領地の事業なら桁が2つ3つ増えたところで躊躇わないけど、これ、個人の買い物だよ!? サインはこれからでも口頭で約束した以上、反故にするって選択肢を貴族は持たないんだけどさ……。
アーントさんも4000万の損を呑んだと考えれば、私が渋る道理はない……のかな?
「あっはっは! 高い買い物になったね。そんな予算、ギルドではどう頑張っても出てこないよ」
おばちゃんが豪快に笑う。
オーレリアは全力で引いていた。趣味で1億、普通に怖いよね。
ギルドなら、大陸の安全を守るって名目で徴収できたんだけどね。おばちゃんに任せておけば良かったよ。
「思い切った買い物をしたお嬢ちゃんには、あたしが晩御飯を奢ってあげよう。とっときの店に案内してあげる。あそこの焼き牡蠣は絶品だよ!」
「ありがとうございます……」
牡蠣は大好きな筈なのに、どうにもテンションが上がらない。
いや、確かに美味しかったよ。
現役時代、この辺りを庭にしていただけあると感心した。牡蠣って海の僅かな環境で味が変わるから、ここでしか食べられない貴重な体験だった。
同席したアーントさんによると、既に旬は過ぎて徐々に味が落ちているって話だったから、もっと寒さの厳しい時期に改めて来たいとも思ったね。
それでも、6000万ゼルが頭から離れない。
このまま戻ったところで、カミンが私へ愛想を向けてくれるとは思えない。どう考えても婚約者が優先に決まってる。
それにあの子の場合、仕方ない出費じゃない? って切って捨てられそうな気もする。
ここからならノースマークが近い訳だし、ちょっと寄り道してヴァンで癒されて帰ろうかな……。
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