閑話 小悪党の悔恨 1
この国はどうしようもない。
知人の冒険者の感想だ。連中は国境を越えるのに制限がない。そうして他の国を知れば実感するそうだ。儲けたいだけなら他の国へ流れてしまえばいい。それでも戻ってくる連中は、この国を放っておけない理由があるか、放置状態で活性化している魔物相手に一獲千金を狙うからしい。
冒険者になればギルドの特権が作用する。この国から逃れようと身体を鍛える若者は多かった。
とは言え、それを俺達が真似ようとは思えなかった。魔法も碌に使えないのに、魔物相手に命懸けの生活なんてできる訳がない。
そうなると、国を出るには馬鹿みたいな金を要求される。そんな状況自体が国外ではあり得ないらしいが、俺達にとっては現実だった。
それならこの国が嫌いかと言うと、俺はそんな事もなかった。
要領良く生きればいい。
馬鹿な奴を騙して、気の弱そうな奴を脅して、警戒の薄い家へ盗みに入って、警備隊へ訴えられたところで金を握らせれば罪にはならない。あんまり頼ると付けあがって要求が膨らんでいくからなるべく関わりたくはなかったが。
人殺しはしない。良識がどうとか以前に、割に合わない。
相棒と2人、そうして生きていくんだと思っていた。
違うと思い知ったのは、相棒が刺された時だった。
「お前のせいで! お前のせいで、娘は……!」
女は激高し、血走った目が相棒へ向いていた。腹を刺してもまだ足りないのか、更に包丁を振りかぶる。
それはアイツが騙した女の母親だった。
俺には整った容姿も女を口説く才能もなかったが、アイツは結婚しようだの、必ず迎えに行くだのと適当な言葉を囁いて、女共から金を巻き上げていた。それで、いい夢を見せてやった代金だと言ってはばからない。
俺も、その金でいい酒を御馳走になった。暴力や盗みに比べれば軽い悪事だと考えていた。
相棒を刺しながら叫ぶ母親の物言いから、娘は喪失感で首を吊ったのだと知った。
「どうして? 何も死ぬ事はないじゃないか……」
思わず言葉がこぼれた。偽りのない胸中だった。
瞬間、母親の憎悪は俺にも向いた。
意味不明の金切り声を上げて俺に襲い掛かってくる。
訳が分からなかった。訳が分からないまま、恐ろしくて俺は逃げた。
逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた。逃げた……。
何処まで追いかけてきたかは知らない。振り向く事すら怖かった。何処をどう走ったかも覚えていない。待ち構えているかもと思ったら、拠点にしていた倉庫へ帰る事も出来なかった。勿論、死んだ相棒のところへは戻れない。
ただひたすらに恐ろしかった。
物陰で震えながら考える。
俺達が、俺がしてきた事は殺されなきゃならないほど酷い事だったのだろうか? あの母親だけじゃない。俺が騙して金を巻き上げてきた連中、あいつ等も俺の命を狙っているのだろうか。
俺が嘘の情報を売って摘発された家族も?
酒を奢ってもらって訊かれるままに答えたら、物騒な連中に囲まれた施設も?
珍しい薬草がいい値段で売れたとご機嫌だったから、後ろから殴りつけて金を巻き上げた冒険者の見習いも?
俺が盗みに入ったせいで、売り上げが合わないと首になった雇われ人も?
下手をすると、四六時中つるんでいた相棒の分まで恨みを買っているんじゃないか?
そう考えたら、表通りを歩けなくなった。
人目が怖い。
寝るのも怖い。
もしかしたら寝込みを襲われるかもしれない。そもそも目を閉じると、憎悪で歪んだあの母親の顔が浮かんで眠れなかった。
そして何日かさまよい歩いたある日、視線の先で子供が死にかけているのに気が付いた。
ここに蹲っていたのは俺の方が先だった。
いつの間にかやって来て、ここで倒れたのだろう。遠目に見ても痣だらけで酷い状態なのが分かった。歳は10歳前後の女の子、ただ殴られたってだけじゃない。異様に痩せて、古い痣の上から鞭打った痕がある。執拗に折檻を受けたのは明らかだった。
「おい、大丈夫か?」
何故声をかけたのかは分からない。
きっと何か買い出しでも押し付けられたのだろう。小銭を握り締めていた。この状態で外へ出したところで、官憲は動かない。顔を顰めたお人好しくらいはいたかもしれないが、誰か手を差し伸べる奴がいたならここで転がっていない。助ける余裕も心意気もないなら、見なかった振りをするしかないんだ。
俺も同情なんてしない。
こんな子供が劣悪な環境に放り込まれたところで詰んでいる。浮浪児だって珍しくないが、じき冬になってほとんどが死ぬ。折檻がここまで激化しなければ、この子はまだ運が良かった方だろう。
だと言うのに、何故か放っておけなかった。
今にも誰かが殺しに来るんじゃないかと怯えているのに、何の気の迷いだったのか。
「あ……」
患部を冷やして、水を含ませた。水筒なんて洒落たものはないからヒビの入った椀に雨水を溜めただけのものだが、何もしないよりマシだったろう。
そして、ゆっくり俺の魔力を流した。痛みを幾分か和らげる、俺に使える唯一の魔法だった。無属性の俺にはこれくらいしかできやしない。それでも、しばらく続けると女の子はゆっくりと目を開いた。
「食べるか?」
パンを差し出すと、目を真ん丸に見開いた。
肉がついたら少しは愛嬌のある子かもしれない。
視線をパンに釘付けにしたまま、しばらく迷う素振りを見せたが、結局は空腹に勝てなかった。
食べると決断してからは早い。
大したパンじゃないので水に浸けてふやかしながらだったが、俺が1つ食べる間に3つを食い切った。身体の小さな女の子でも食べ盛り、栄養はいくらでも必要としていたのだろう。きっとまだ足りていない。
「あ、ありがとう……」
「礼を言われる筋合いなんかない。お前が持ってた金で買ったパンだ」
体力を回復される為に何か食べ物が必要だった事に違いはないが、善意って訳じゃない。
拠点になら金があるが、戻れない。空腹だったのは俺も同じだ。しっかりご相伴にあずかっている。死にそうだったガキより多く食べようと思えなかっただけだ。
「え? あ!」
大事に握り締めていた筈の金がなくなっていると気付いて、ガキはすぐ泣きそうになる。
「何だ、戻るつもりなのか? また打たれるだけじゃないのか?」
「そ、それは……」
「どうせ他に行くところも無いんだろうが、次は死ぬぞ?」
脅しでも何でもない。ただの事実だった。
今も俺が痛みを抑えているから話していられるだけで、離れればまた意識を失うだろう。介抱のついでに確認したが、ここまで遠慮なく殴れるなら死んだところで心を痛める事もない筈だ。躾が行き過ぎた事故ってくらいで片付けられる。埋めて行方不明って流れもあったかもしれない。
それから俺は、女の子の事情を聞いた。
冒険者だった両親はこの子を置いて国を出たまま戻らなかったと言う。国境を行き来できるのは本人だけだ。子供の為に裏金を支払うほどは余裕がなかったのだろう。
そのあと数年は孤児院で過ごしたが、そこも無くなったらしい。院長夫妻は殺され、建物は燃えたと言うから、かなりの面倒事に巻き込まれたらしい。
運が良かったかは知らないが、住み込みの職場へ転がり込んだらしい。こんな子供を雇うくらいだから、碌な場所じゃないのは間違いない。多分、浮浪児が増える事を嫌った官憲に押し付けられたんだろうな。働きが悪いと飯を抜かれ、八つ当たりの矛先として殴られるようになったのは予想した通りだった。
そうして、ぽつりぽつりとこぼす内容に耳を傾けながら、この子は使えるんじゃないかと俺は思い始めていた。
親子連れでささやかな生活を営む。
これまでの俺の印象から大きくかけ離れている。俺を探している奴がいるとして、その目を欺けるんじゃないだろうか。何なら、心を入れ替えたのだと頭を下げて同情を買えばいい。しっかり恩を売っておけば、この子に庇ってもらえるかもしれない。
「なあ、俺と来るか?」
「え?」
「殴り殺されるのを待つだけの雇用先なんて、帰る場所じゃないだろう? 孤児院はいい場所だったのかもしれないが、そんなのはそうあるもんじゃない」
「それは……、うん」
「もうすぐ冬が来る。路上での生活が無理だって事くらいは知ってるだろう? それなら俺のところに置いてやるよ」
「でも……、私、何にもできないよ?」
余程雇用先での扱いを気にしているんだろう。だが、俺にとっての利点はそんなところにない。
「子供に何か求める方が間違ってるさ。けど、孤児院にいたなら手伝いくらいはしてたんだろう? そんな感じで、できる事を少しずつ増やしてくれればいいさ」
「……いいの? ホントに?」
「俺にも都合があってな。お前がいてくれた方が助かる。それ以上は望まない」
この子が駄目なら浮浪児を当たるって手もあるが、世間擦れしている分警戒が強い。できるならここで決めておきたかった。魔力を消費した分も無駄にならずに済む。
「……………………うん」
「よし! よろしくな」
たっぷり考える時間を置いた後、女の子は恐る恐ると頷いた。
その様子を見て、俺は上手くいったとほくそ笑むのだった。
この選択がもたらす運命を、この時の俺はまだ知らない。
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