悪魔の心臓
悪魔の心臓。
その存在だけは知っていた。
ルミテット教国に保管されている異物で、扱い方を間違えると世界が滅ぶと言い伝えられている。教国で厳重に封印されているのだとか。
もっとも、悪魔って種族が実在していてその心臓を抉り取ったって話じゃない。
悪魔。
創造神様に敵対する存在、或いはその配下と定義されている。聖書によると、有史以前、神に敗北した勢力で、復権を狙ってこの世界で暗躍しているとある。
あくまで神話や御伽噺的な存在で、これに該当する超常種族が確認された例はない。
歴史を振り返ると、強力且つ特殊な能力を備えた魔物がそれだと誤認した記録もあれば、屍鬼が生まれるのは悪魔の仕業と噂された事もある。
結局現存を証明できなかった訳だから、いくつかの不審な事件を悪魔と結びつけてしまうだけで、実際にはいない、或いは滅んだのだろうって見解が強い。
とは言え、ここは割りと何でもありのファンタジー世界だから、絶対にいないとも言い切れないんだよね。少なくとも神様の方は時々存在を感じる訳だし。
で、そんな悪魔の名前を冠する代物が何なのかって言うと、人間に敵対する魔物を強化する目的で、悪魔がもたらした異物とされている。人間や動物には扱う事が出来なくて、勿論原理も分からない。
出所も不明で歴史的な価値がある訳でもないから遺物じゃなくて、世界を混乱させる目論見で送り込まれた異物なのだと言う。
「元は下等な粘体があれだけ増殖、肥大化したのですから、伝え聞く異物による惨状なのだと言われてしまえば、納得してしまいますわね」
「対処が遅れていたなら戦士国に多大な被害が出ていただろうからね。世界を滅ぼしかねないって危惧も当て嵌まるよ」
「ノーラが情報を読み取れない点も、人知を超えた存在だからと、理屈が通ってしまいますね」
既に確認している現状が、そのくらいのトンデモ存在でもなければ説明できない。分からない事を超常存在のせいだって片付けるみたいで据わりは悪いけど。
悪魔を迷信としながらも不審な事件の度にそれを連想してしまうのは、こんな理不尽物体が現存しているからだね。本当に悪魔がもたらしたって証明されている訳じゃないとは言え、こうして被害が広がってみるとそこに悪意を垣間見てしまう。
「血液じゃなくて魔力を、接触した対象へ循環させる。なるほど、心臓って呼称も頷けるかな」
「でもレティ、魔物にだけ有用な効果をもたらすなんて、本当にあり得るのでしょうか?」
「確かに不思議だとは思いますけど……、それなら試してみればいいんじゃないですか、オーレリア様」
なんて言うが早いか、キャシーは窓のすぐ外で蠢いていたスライムを拾ってきた。多少暴走しても安全だし、割と使いどころ多いよね、この原初生物。
ゼルト粘体は触手で絡み捕っているように見えたけど、スライムにそんな器官はない。埋め込むには供給源が大き過ぎるから、そのまま上に置いてみた。
「って……、わっ!!」
効果は覿面だった。
僅か1、2秒の接触で、スライムは十数匹にまで増えてテーブルから溢れて転がった。あまりに分裂が早い。しかも水を与えていない。魔漿液の生成に必要な水分を、同時放出されている水属性魔力で補っていた。
放っておくとギルドの建物をスライムが満たしかねない。
私は慌てて、幾何学物体をマジックハンドで引き抜いたよ。
悪魔の心臓の効果もトンデモだけど、あの速度で分裂できるスライムもいい加減出鱈目だよね。
「凄いですね、想像した以上でした」
「ホントにね。それから今気付いたけど、スライムから引き剥がした瞬間に魔力の放出も止まったよ」
スライムと何かしらで繋がってたって訳でもないのにあれだけの魔力を放出しておいて、私が触れても何の反応もない。ついでに魔力を流したり吸引を試みたりしてみたけど、まるで動く気配はなかった。
ゼルト粘体の時も同じだった筈だけど、あの時は気にする余裕がなかったから今更気付いたよ。
「へー、本当に魔物でないと効果が無い訳ですか。それに、レティ様もきちんとこちら側なんですね」
どういう意味かな、キャシー?
私、人並みを外れてる自覚はあるけど、魔物に堕ちた覚えはないよ。
「見た目も特性も、不可思議な現象も揃ってるなら悪魔の心臓と見て間違いないね。まあ、問題は……」
「教国で保管されている筈の悪魔の心臓が、どうしてこんなところで被害を引き起こしているか、ですね?」
一気にキナ臭くなってきたよ。
悪魔の心臓、それから同様の悪魔関連の異物が悪用されないように、テルミット教国が管理、保存する事になっている。悪魔の心臓に触れられなかった点から分かる通り、破壊できないから人目に触れさせず封印するしかなかった。
でも実際は、戦士国でゼルト粘体が発生した。
「何らかの理由で移送する必要があったとして、戦士国近海で紛失や事故が起きたなら周辺国政府への通達がある筈ですよね?」
「うん、オーレリアの言う通り教国はその義務を怠った。もしくは隠蔽しようとしたって疑惑があるよね」
「あんまり考えたくありませんけど、意図的に事故を引き起こしたって可能性も考えられますよ」
「うーん……、それを追求したとして、テルミット教国から回答があると思う?」
「……」
「……」
「……」
……だよね。
戦士国が滅びかねない事態にまで発展して、それでも沈黙を貫いているって事は、隠蔽にしろ故意にしろ悪意を持って沈黙を続けているか、全く関わりがないかの2択しかない。
後者だったとしても、悪魔関連異物の紛失って大問題だから、噂くらいは流れて来る筈なんだよね。
「どう考えても私達の手に余るよ」
そもそも教国の暗躍が明らかになったとして、私達にはそれを裁く権利も糾弾する資格もない。
私達はいち貴族、ゼルト粘体討伐の依頼を受けて国外へ出ただけで、国際問題に介入できる立場じゃないんだよね。それ以前に、こんな特大の面倒事関わりたくもない。
「とりあえず、イローナ様やヤンウッドさんに報告して、私達はゼルト粘体に集中しようか」
「「「はーい」」」
悪魔の心臓もゼルト粘体から産出したのに違いないから、保有権は私にある。不思議物体に興味がない訳じゃないけど、何処から手を付けたものか見当もつかない。研究を始めるだけの情報が全く足りていない。
おまけに厄介事が付属してるとなると、スライムの増殖に便利そうだな……とか思ったところで、労力が釣り合うようにはとても思えないよ。今回は関わりを断った方が賢明そうだね。
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