海中探索
覚悟を決めて潜った戦士国近海は、意外と平穏だった。思い描いていたような無数の触手蠢く地獄はない。
「魚も魔物も、普通に泳いでいますわね」
「うん。海上の事を知らなければ普通の海に見えたかも」
生き物が消えた死の海、なんて想像も完璧に外れた。
おかげで水族館気分のまま探索できてしまう。なんとなく、拍子抜けした感もあった。
いや、いい事なんだけどね。
触手に支配された生理的嫌悪感渦巻く最悪の光景を見ずに済んだ訳だし。
触手の柱はあちこちに伸びているものの、自重を支えるのみで積極的に生物を襲っている気配はない。見た目的にも支柱の要素が強くて平静に見ていられる。
「あ! レティ様、あそこで魚が捕食されていますよ」
「どこ? って、……ホントだ」
キャシーが示した方向には、柱に接触した鰯みたいな魚が何匹か触手に絡み捕られていた。でも、慌てて逃げる他の魚を追う気配はない。群れの大半はそのまま逃げ果せていた。
外敵の接近を察知して攻撃的に触手を伸ばす海上とは、様相が違うね。
「もしかして、うっかり触れた時だけ反応するんでしょうか?」
「……みたいだね。粘体に視覚や知性があるようには見えないし、そもそも陸棲生物なら水中の動体を感知できないって事はあり得るかもね」
「そうかもしれません。海上に比べて内包魔力の脈動が緩やかですわ。活動は最低限なのではないでしょうか」
とは言え鯨も捕食したって話だったから、接触した場合には急激に活性化するんだと思う。危険な魔物には変わりない。
何にせよ、安全に海中調査ができるならそれが一番だよね……とか思っていたら、進水艇マーレの側面へ角が生えた鰹みたいな魔物が突っ込んできた。
「わ!」
旋回する魔素吸収用の回転翼に沿って火属性の壁を展開しているから、魔物は激突の前に頭部を焼いて即死したけど、吃驚したよ。
更に死んだ角鰹には、さっきの鰯みたいな群れが一斉に喰い付いて、あっという間に骨も残さず消え去った。
あー、あれも魔物だったんだね。
魔物がいるこの世界に安全な海域なんてない上、この辺りの海は南ノースマーク近海に比べて強力な個体が多いんだって思い知ったよ。危険なのは粘体だけじゃない。
「スカーレット様の障壁、上手く稼働しているようですわね」
「当然です! それにマーレちゃんの装甲は、クラーケンの触腕にだって耐えられるように設計してあります。あれくらいじゃ沈みませんよ」
意図せず障壁の確認ができたと喜ぶノーラに、キャシーが大きく胸を張る。数十数百の触手に襲われるような事態にさえ陥らなければ問題のないものを作ったんだって自負があるみたい。
でもキャシー、素材が戦士国持ちだからって、やたらと高品質なものを揃えてたの知ってるからね。冒険者が多い国だけあって選択肢の幅も広かったんだよね。
まあ、私も黙っていた訳だから同罪かな。
もっとも今回、キャシー自慢の装甲が活きる事はないと思う。
正体不明の供給源から膨大な魔力を引き出すゼルト粘体は、その分、大量のモヤモヤさんを排出してる。外的要因で魔力を補給しているものの、放っておくと周囲の環境を歪めかねない魔王種みたいなモヤモヤさん量なんだよね。
この状況なら、火属性の絶対防御を展開するくらいで私の魔力は決して尽きないよ。
安全に遊覧を楽しみながら沖へ進む。
粘体の下に潜ると、途端に光が遮られて真っ暗になった。
とは言えノーラが目標の魔力収束点を捕捉してくれているし、マーレの現在座標も把握できているから迷子になるような心配はない。
それ以前に、ノーラは魔眼で光以外の情報を拾って、闇属性のキャシーは夜目が効き、私もそれを真似られる。光源の有無くらいで私達の視界を防ぐなんてできない訳だけども。
粘体の触手も接触さえ避ければ襲ってこないと分かったおかげで、闇の中をスイスイ進む。ほどなく高魔力反応の真下へ到着した。
「流石に、下から覗くだけだと何にも見えませんね」
「まあ、無防備に露出してる訳もないよね」
「それでも、海上の小山よりは粘体の壁も薄いと思いますわ。位置も確かです。スカーレット様、お願いします」
「了解」
ここからは私が何とかするしかない。
私はウィッチを構えて魔力を収束させる。イメージするのは巨大な手、粘体の奥に隠れた供給源を掴み取る。
マジックハンド魔法。
普段は無属性の魔力を固めて操るんだけど、今回は障壁形成用の魔法放出機構から火属性魔力を噴出させて拳を作る。ファイアハンド魔法と言っても良いかもしれない。
「はぁ……、相変わらず器用なものですね」
「ごめんキャシー、結構集中力を使うから相手してる余裕ない」
「はーい。それじゃ、頑張ってください」
気の抜ける声援を返した後、キャシーは魔法展開装置の観察に集中し始めた。想定とは違う使い方をしてる今の状態を細かく記録しておくつもりみたい。魔道具で再現して何かに応用する気なのかもね。
繊細な魔力操作を続ける私を気にかける様子はなくて、完全に丸投げ状態な訳だけど、これも信頼と思っていいのかな。
マーレの周囲に展開した魔法障壁もだけど、炎の手は虚属性を組み合わせてあるから熱は発しない。あれに触れた火属性に特効を持つ個体だけがダメージを受ける。無熱の炎で焼かれる訳だね。
海上の蜘蛛の巣体に魔法が接触した事で夥しい数の触手がまとわりついてくるけれど、その全てが焼け落ちる。
「これ、空から実行してたら匂いが凄かったんじゃないかな?」
水蒸気爆発を抑える為に熱は発生させてないけど、たんぱく質の炭化は避けられない。粘体の燃焼は魔法の適用外だから、海上は凄い事になっていると思う。
もしかすると、風に乗って戦士国に届いているかもしれないね。
「わたくし達は船体と海に遮られていて良かったですわね」
「あはは……、気付かなかった事にしようか」
粘体が港を襲う事態に比べればずっと軽微の被害な訳だしね。大事の前の小事ってくらいに思っておこう。
なんて、馬鹿な事を考えている間も私の魔法は上昇する。触手は勿論、蜘蛛の巣状の壁だって阻めない。どれだけ守りを固めようと、私の魔法を止めるには至らない。
魔法に集中すること数分、ゆっくり粘体を貫いた炎の手は、明らかな異物に触れた。
「って、何、これ!?」
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