入念な準備
冒険者登録を終えてミーティアへ戻ると、キャシーの潜航艇が形になっていた。
定員数人の小さなものだけど、アイテムボックス魔法で広げればここに居る全員が乗るくらいは何でもない。居住性を考慮してないから長時間揺られていたい訳ではないけれど。
それから、ゼルト粘体対策には大勢の火属性魔法使いが必要になる。
一定以上細かくすれば活動を止めると分かったものの、あの巨体を細切れにするのは現実的じゃない。せいぜい、風魔法でミキサーみたいに撹拌してズタズタにするくらいだけど、効率が悪い事には違いない。
そこで、ウォズには十分量の魔法籠手を用意する為に王都へ飛んでもらった。
その件について、私も機密漏洩防止の約定を戦士国、ギルドそれぞれと交わさないといけないから忙しくなる。
ウォズが忙しくなる分、船の手配はオーレリアに頼んだ。
住民との折衝が得意って訳じゃないけど、戦士国では人気者の彼女なので、事態解決に必要だからと船の徴発を認めさせられるんじゃないかな。
私は私で、その船が壊れたり沈んだりした場合の補償をヤンウッドさんに認めさせないといけない。この事件、魔物が相手なのに素材って見返りが期待できないから予算を引き出すのは大変なんだよね。
少しずつ、ゼルト粘体討伐に必要なピースが揃いつつある。
中でも最も大切な2つ、その片方がキャシー作の潜航艇になる。
海中の状況を確認し、魔力の流れを辿って供給源を突き止めたい。海上では小山ってくらいに増殖が加速しているせいで、詳細な位置が分からないんだよね。対象が大き過ぎで大雑把な位置すら追えなかった。
水上に生息しているけど触手以外は接水を避けているから、海中からの方が魔力供給源を捜索しやすいんじゃないかって期待がある。
「でもレティ様、粘体って水属性の魔物なんですよね? 海に浮かばない理由は何でしょう?」
「あー、それは現地の冒険者が調べた情報の中にあったよ。蜘蛛の巣部分と触手で特性が違うみたい。蜘蛛の巣部分は海水に浸すと徐々に細胞が崩れるんだってさ」
「あ、浸透圧!」
「そう。粘体の水分が海中へ染み出して細胞が状態を保てないみたい。でもって触手はそれを抑えるだけの厚い細胞壁を持ってるんだろうね」
生物の細胞って膜で覆われて水分を内包している。
それでもって濃度の調節機能があって、内部の塩分をはじめとした溶質濃度は一定に保たれている。食事や水分補給で細胞組成が変わらないための仕組みだね。
外的要因に対応できていないこの原始的な細胞を海水に浸けた場合、海水の方がずっと塩分濃度が濃いから細胞内の水分は出て行ってしまう。状態維持に必要な水分を失えば細胞は死ぬ。
そんな生物学的な話を冒険者が知っていた訳じゃないだろうけれど、海水に浸けると形態を保っていられなくなるって現象はおばちゃんがまとめてくれたメモにあった。
「もっとも魔力供給源が機能しているなら、多少海水を被ったところで再生するんだろうけどね」
「それって、そもそも海の生物じゃないんじゃ……」
「多分ね。偶々発生が海の上だっただけで、元になった粘菌自体は陸棲の魔物だったと思うよ」
「どうしてそんな事に……?」
ホントにね。
益々人為的な関与を疑うよ。
「あれ? もしかしてこのまま増殖を続けて上陸した場合って……?」
「増殖速度が急激に上がって、大変な事になるだろうね。今でも接近を抑える為に火属性の魔法使いを動員してるって話だから、それがなければ私達も間に合わなかったかもしれない」
「……ギリギリだったんですね」
「うん、だからのんびりしてる余裕は無いよ」
「分かってます。私は私のできる事を続けますね」
現状でも潜るだけならできるけど、海中には粘体の触手が蠢いている。その対策はどうしても必要になる。キャシーにはその為の改造まで頼まないといけない。
「それでレティ様、具体的にはどうやってマーレちゃんを守るんですか?」
「……もう名前つけたの?」
「はい! 危険水域探査進水艇マーレちゃんです!」
あー、情報の拡散を防ぐ為に潜地機能はオミットしたからね。
考えてみると、このマーレがこの世界初の純粋な潜水艦って事になる。キャシーの思い入れが強いのは、だからって訳じゃないだろうけど。
「今回は私が火属性魔法を放出して守るよ。だから、魔素吸収用の羽根に放出機能を追加しておいて」
「分かりました。水中で火属性を使うとか、レティ様あってのマーレちゃんですね」
「探査用に使うなら、将来的には遭遇した魔物に応じて防御属性を変えたいよね。キミア巨樹の魔石がある訳だし、攻撃魔法を放つ機構とかも欲しいかな」
「面白そうですね。今回は間に合いませんけど設計は考えてみます」
「うん、お願い」
それができるなら深海探索とかできるかもしれない。
ほとんど謎に包まれた海中を解き明かすのも夢があるよね。
「それからノーラ、実験は進んでる?」
「はい。予定した工程の4分の1は終わりましたわ」
今、彼女は切り取ってきたゼルト粘体片に魔力圧を加えては、活動への影響を観察するって作業を繰り返している。
私が頼んだ仕事で、粘体討伐の最重要調査になる。
「虚属性ってだけでは反応が悪いです。やはり他の属性を混和させた方が良いと思いますわ」
その分調査量が膨大になる訳だけど、ノーラが怯む様子は見られない。
とは言え測定器を使うと、対象へ機器の接続に使う時間、魔力波照射装置の調整時間が積み上がっていつ終わるか分からなくなる。鑑定に特化した彼女にしか頼れない。
海中調査にもノーラは必須だから、彼女に寄せる期待はどうしても重い。
無茶と分かって頼んだ私に、食べた分は働きますわって返したやる気も、未だ陰っているようには見えない。
私の役に立てるならって無理を押している懸念もあったけど、繊細な実験を繰り返す彼女の横顔には笑みがあった。
未知の固有種、その生態を解き明かす。
そんな作業に携われる事への喜びと果て無い好奇心を感じた。本から知識を得るだけだった彼女は、自ら知識を生み出す楽しみを知ったみたい。自分の魔眼を生かせる機会を喜んですら見える。
「スカーレット様、折角なら複合属性も確認したいので、戦士国とギルドとの会合の後、手伝っていただけますか?」
こんな事を自分から言い出すくらいだからね。
本当に、頼もしい研究者になったよね。
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