蟹
「最近ではあまりなかった展開ですね。内心はどうあれ、子爵となったスカーレット様に最低限の敬意は当然ですし、将来的に研究成果を提供してもらおうと思えば無下になどできません。侮られるなんて久しぶりだったのではありませんか?」
「んー、あれだけ噂が独り歩きしてたなら実態と噛み合わなかっただろうし、見た目から子供扱いも仕方ないんじゃない?」
最近ではなかった事なのは確かだけど、いちいち取り合って腹を立てたりしない。旅行中の事だし、今後関わる可能性も低い人達だしね。
「俺としては少し腹立たしいのですけど、スカーレット様がそう言うなら呑み込んでおきます」
「それに、オーレリアが海を割ってくれたおかげですっかり態度を変えたからね」
ヤバい連中だと思われた可能性はある。
音には吃驚したものの、オーレリアが海を斬るくらいは今更だから平然としていたから、余計に恐れられた気もするけどね。
「ああ、あれは痛快でしたね。ストラタス商会もまだ国外では無名ですから、少し口が堅かったのですが、あれを切っ掛けに情報が集まりやすくなりました」
「あはは、オーレリア様様だ」
「それで、やはりと言いますか、商人達は皇国へ流れているようです」
「限られる陸路、普段の往来が少ないのは東も西も同じだけど、西側の方がまだ危険は少ないからね」
ノースマークへ向かう海沿いの険道と魔物が蔓延る山間を抜ける古道、小国家群から王国へ向かう陸路はそのくらいしかない。一方で西の皇国側は、過疎化こそしていても魔物の危険や勾配は少ない。
海路を塞がれた商人が皇国へ向かうのは自然な流れではある。
「今のところ影響は軽微ですが、この状況が長く続いた場合は小国家群と王国の交易に障るかもしれません」
「初めは緊急的な措置であっても、皇国へ向かうならそこで商機を広げる。新規の顧客を開拓したなら、王国商人との取引をすぐさま打ち切るまではないにしても、関係を見直すくらいはあるかもしれない。そういう事だよね?」
「はい。長期化した場合、ゼルト粘体の脅威が去ったから元通り、と単純にはいかないと思います」
それは流動的に動ける商人の話で、その場合は小国家群での生活は立ち行かなくなっているかもしれない。
現状でも、軍需を産業とする戦士国だから景気の悪化が軽微で済んでいる面がある。
「通信でイローナ様に確認してからになるけど、コントレイルで王都と戦士国首都ラクタムの輸送を確保して」
「あくまでも非常時の支援という形で、空の輸送路を構築するんですね?」
「うん。今後、空路貿易を開拓する場合の試金石になるよ。ただし、輸送費の差額は海洋封鎖で困窮した世帯への援助に充てて」
「聖女基金の出番ですね」
いや、だから、扶心会……って、もうどうでもいいや。
慈善団体なら国境を越えての活動も問題ない。
それだけ輸送費が浮くって宣伝にもなるよね。
「ところで、この状況を皇国が画策したって可能性は?」
「……粘体が増殖する原因がある筈だと言う話ですか? 人為的な原因を考えているのですね?」
「うん、偶然や自然現象にしては規模が大きいからね。帝国がダンジョン化の魔道具を侵略に使ったくらいだし、皇国が小国家群を手中に収める為に生体兵器を用いたからって驚かないよ」
中でも戦士国、武力面の中核を押さえるのは戦術の基本だからね。実際、この状況で何か起こっても傭兵団の派遣に陸路しかないから、どうしたって到着が遅れる。
「皇国が被る悪影響も少なくありません。この辺りの海域は皇国が東大陸と交易する上で玄関口ですから、身を切るにしても被害が大きいと思います」
「うーん、帝国の政府が形骸化している今なら侵略って無茶も通せるかと思ったんだけど……」
「小国家群を押さえられるなら、非難は王国からしか上がりませんからね。しかし、三大強国がまとまる前ならともかく、国としての体制がそれぞれに確立している小国家群を治めるのは簡単ではありません。余程被害を省みず国土拡大を掲げる指導者が立たない限り、あり得ないと思いますよ」
「確かに、皇王が代替わりしたって噂は聞かないね」
でもそうなると、何故って疑問が残ってしまう。
ノーラの観察であの魔物が群体だって確定した。
アメーバに近い定型を持たない魔物が群集化している。細胞膜が曖昧になって一体化しているから元の形が分かり難いけど、個体としてはソフトボールくらいの下等種でしかない。該当する魔物の情報を聞いた事がないから新種か固有種だろうね。
ただしそれらが特殊なネットワークを形成して結び付いて、一個の魔物と化している。
魔王種は特級の魔力体ではあるけれど、群体くらいが飲み込めるほど甘くない。例えばここに墳炎龍が現れた場合、周辺の海は蒸発して代わりにマグマが満ちる。粘体は墳炎龍へ触れる前に炭化し、蒸発する。
王国の歴史に残る魔黒竜だって、半物質の闇で構成した外皮に覆われていたと言うから触れる事すら容易ではなかったと思う。
常識で測れないのが魔王種って存在だから、偶々この海域に生まれた個体を粘体が吸収して肥大化したって可能性はないと思う。
だと言うのに、魔王種にも匹敵する魔力を得てゼルト粘体が肥大化した謎が気にかかる。ざっと計算しただけでも、周辺の魔物を吸収したくらいじゃ全く足りないんだよね。
「増殖の原因を特定しないと、解決は難しいですか?」
「オーレリアが斬ってもすぐ再生したって事は、まだ魔力の供給が続いているんだよね。ノーラも極端に含有魔力が高い箇所があったって言うし、この辺りはワーフェル山みたいに魔素が満ちている訳じゃないから、私の魔力が足りるかどうか分からないんだよ」
私は外部から魔力を持ってこられるだけで、内包魔力量は墳炎龍やキミア巨樹の方がずっと多い。あれだけ無差別に広がっている訳だから、ゼルト粘体もそうだって可能性も十分に考えられた。
「近付くのは当然危険。遠隔から何とかするしかないんだけど、原因が分からないと対応が難しいよ」
「失敗した場合、スカーレット様の魔力を喰らって更に広がるとも考えられますね」
「魔力を直接吸収できるみたいだから、当然そうなるよね。でもって今より大きくなるとなると、海側へ広がるのか陸へ魔力を求めるのか、まるで読めないし」
オーレリアの煌剣は初級魔法の応用なので消費魔力は多くない。だから海ごと割っても肥大化にはつながらなかった。
でも私の魔力の場合、失敗がそのまま大惨事になりかねないんだよね。
「なるほど、なかなかに面倒そうですね。そのあたりを、明日は共和国大使に説明するのですね?」
「うん、情報は共有しておかないとだからね。……って感じでいいかな、皆も」
「ふぁい?」
「……キャシー、返事は飲み込んでからでいいよ」
「ふみまふぇん」
「……オーレリアまで」
認識の擦り合わせは必要だとしても、蟹を食べながらする話でもなかったね。
ウォズしか会話に参加してこないと思ったら、2人とも食べるのに夢中だったみたい。ノーラなんて未だ顔を上げる気配もない。
私達は既に戦士国から移動している。今日はミーティアで一泊して、明日改めて入国手続きの予定になっている。
それだけだと味気ないので、何か美味しい海鮮を食べさせてくれないかと要望したところ、籠いっぱいの蟹を持って来てくれた。なんでも、肥大化スライムを養殖の餌に使うようになって、蟹の飼育が容易になったんだとか。
秘匿する必要性が薄いからと、発見の時点で公開した技術だね。意外なところで私へ帰ってきた。
で、味も向上したから是非確かめてほしいと勧められたよ。
ロックゴレムって分類的には魔物になる蟹は、確かに絶品だった。
殻が堅くて食べ難いんだけど、その分身が締まって、噛むと旨味が溢れた。シンプルに塩茹でも楽しめるけど、焼いた香ばしさも堪らない。
いっぱいあった筈なのに、凄い勢いで減ってるね。
「ミソ! ミソ! ミソぉ! これはホントに……!」
「く、口から溢れるよ!? もう、これ、最っ高のスープだよ!」
私もちょっと我を失ってた覚えもあるけども……。
巨島鯨も食べられるらしいし、もう一泊して行ってもいいかな。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価で応援いただけると、やる気が漲ってきます。
今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




