閑話 ノースマークは標的を逃さない
正直なところ、万が一にも負けるだなんて思っていませんでした。
けれど悔しさはありません。
多分、そんな思い上がりを叩き潰してもらったからでしょう。私の中でレティに憧れて彼女の背を追っていた小さな男の子は、私が考えていたよりずっと立派に成長していたようです。
「オーレリア様、大丈夫ですか? どこか怪我でもしましたか?」
私が感慨に耽っていたからか、心配そうなカミン君が覗き込んできます。
レティは相変わらず可愛い可愛いと言ってますけれど、こうして改めて見てみると男の人らしく頼もしく成長しています。平均より少し早いくらいでしょうか。差し出された手なんて、私よりずっと大きいです。
可愛らしいちっちゃな男の子でいてほしかったのは、私の願望だったのでしょうね。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ、不格好ではありましたけど、何とか受け身は間に合いましたから」
「良かったです。あれだけの速さで動いている時、急に足場を失ったら危ないですよね。すみませんでした」
「……やっぱり、あれはカミン君が何かしたんですね」
初めて使ったカッツ騎士隊長との試合では咄嗟の行動でしたが、剣技の習得同様に魔法も反復して自分の感覚に染み込ませています。理由の分らない失敗はあり得ません。
「水魔法を薄く広げて僕の魔力で周囲を満たしました。それによって範囲内での魔法発動を阻害したんです。姉様の掌握魔法の真似ですね」
そうは言っても、基本的に魔法は体内魔力で働きかけるものです。自然物に働きかけるのは風魔法使いか、カミン君のような一部の水属性くらいでしょう。魔法習得の難易度と活用範囲が釣り合っていません。
「もしかして、今日の為にその魔法を開発したのですか?」
「ええ、姉から聞いた限り、空間跳法を攻略しないとオーレリア様に勝つのは難しそうでしたから」
なんでもない事みたいにカミン君が言います。
発想にも驚嘆しますが、私に気付かせないまま魔法を発動させるだけの研鑽は決して平坦な道ではなかった筈です。
それに、私の驚きはまだ終わりません。
「最後、急に速度が上がりましたよね? もしかして、私の不意を突く為にそれまで強化魔法を加減していましたか?」
私がカミン君を見失った原因がこれです。
人は軌道をある程度予測して対象を追います。けれどその移動が想定よりずっと早かった場合、意識から外れてしまいます。
そして最後の一瞬、カミン君は風を纏った私に迫る速さでした。
「そうですね。ちょっとした小細工ですけど、反撃に転じやすいように爪を隠していました。実は、強化魔法は得意なのですよ。おかげで判断に遅れが生じたでしょう?」
「ええ、まんまとやられました。やっぱりそれも戦術だったのですね」
忘れてました。
カミン君は強化魔法練習着、最初の被験者。そして、レティの埒外にある強化魔法を見て育ったのです。
この件についてもレティの背を追ったのでしょう。練習着を入門の為だけと扱わず、魔法追究の標にしたなら、並外れた担い手に成長していても不思議ではありませんでした。
凄い。
凄い!
本当に凄い!
対策を練って再戦するなら、私の勝利もあり得るでしょう。特に強化魔法についてはネタが割れた以上通用しません。魔法の阻害についても、対抗する手段はいくつか考えられます。
けれど、前情報無しで戦えるなら、私は何度だって敗北するでしょう。今日の敗北は必然だったのです。
「本当に凄いです、カミン君! こんなにも自身を磨いているだなんて思いませんでした。これだけの事を成し遂げる男の子、いえ大人を含めたって滅多にいません! レティが知ってもきっと誇らしいと思います」
「そこまで手放しで褒められるのは面映ゆいですよ。僕はオーレリア様について詳しく調べられる環境にあって、上手く戦術を組み立てられただけです。その上で今日は出来過ぎなくらいですから、他の誰かにも同じように勝てる訳ではないのです」
それはあるかもしれません。
例えば武道大会などに参加した場合、善戦はしても奇策は奇策、地力の差からあっさり敗北する事はあり得ます。
でも、だから何だと言うのでしょう。
「カミン君が私に勝利した、それは間違いなく事実ですよ。公式な記録には残らなくても、私は今日の敗北を心に刻み、事あるごとに勝ったカミン君を称えるでしょう。政治に集中する為にとカミン君がここで剣を置くとしても、私にとって君はいつまでも強者のままです」
「……そう言っていただけると、今日までの頑張りが報われます。叶えたい願い、その為に必死で、これまでを顧みる余裕もありませんでしたから」
「そう言えば、そんな事を言っていましたね。どんな願いを掲げたのです? 私で良ければ協力しますよ?」
後になって思うのですが、何とも無防備な発言をしたものです。
本当にこの瞬間まで、私にとってカミン君は“レティの弟”でしかなかったのですね。
「ではオーレリア様。僕とお付き合いしていただけますか?」
……。
………。
…………。
はい?
全く想定していなかった展開に思考が止まります。
けれど真剣な様子のカミン君に沈黙は失礼です。そこで私は、カミン君の発言を自分なりに噛み砕いて回答しました。
「ええ、喜んで。カミン君となら充実した鍛錬が出来そうです。いつでも呼んでくださいね」
「…………」
カミン君は頭を抱えてしまいました。
私、何か間違えたでしょうか?
正解が分からなくて戸惑う私の肩を、カミン君が掴みます。
私は魔法の発動無しに、鍛えたカミン君を振りほどけるほどの腕力なんてありません。カミン君は力強く私の動きを封じます。
敵意は感じませんからされるままですが、心臓は激しく鳴っていました。
「実力が伴わないなら貴女の視界にすら入らない、そう思って努力を重ねてきました。その甲斐あって望外の結果にすら届いて、それでも“姉様の弟”としか見てもらえないなら仕方ありません」
「え? え? え!?」
何故だか分かりませんが、逃げ出したい気持ちになります。
と言うか、カミン君の顔が近いです。
いえ、むしろ近付いて……?
「伝わらないならはっきり言います。僕は、貴女が好きです」
「え? あ、カミン君?」
「“君”じゃないです。僕はカーマインです」
「う、うん、知って、ます。知ってます、けど……その」
嘘です。
私にとってはずっと、“カミン君”でしかありませんでした。
でも彼は、それで許してはくれなさそうです。
もっとも今はそれどころではありません。真剣な様子の彼の顔が、息がかかるくらい近くにあって考えがまるでまとまりません。
細い睫毛がレティと一緒だなとか、眼力はレティよりあるかもしれないとか、どうでもいい事を考えて意識を逸らせます。
「僕は、貴女と共に未来を歩みたい。真剣に考えていただけませんか?」
なのに至近距離で囁かれて、否応なく現実に引き戻されました。
声変わりはまだですが、レティに少しだけ似た凛とした声が狡いです。
真剣にと言われてしまいましたから、彼を私とお付き合いする対象として考えてみます。
レティの弟で次期侯爵ほぼ当確。
血筋的な面では問題ありません。家格的にも釣り合ってますから周囲の反対はないでしょう。カロネイアとしても利益は大きいです。
当然レティの義妹になる訳ですが、そこに抵抗はありません。むしろ、歓喜してるレティが幻視えます。
才覚的に考えるなら、王国中を探しても彼以上は難しいでしょう。幼いながらにレティの手伝い以上を務め、私を下して見せました。文武共に得難い人材で、私なんかが彼を見定めるのが恐れ多いくらいです。
容姿もレティに似て整っていますし、正直なところを言うなら好感を抱いていました。しっかり鍛えているのに線が細いところが刺さります。
あれ?
断る理由、なくないですか?
何より、まっすぐ私を見つめてくれています。
私より強い男性が良い。
レティから私の好みを聞いたのか、子供じみた憧れを現実のものとしてくれました。彼が強者であると言う事実は、私の中から決して消えません。
そして彼の願いが私を手に入れるって事なら、この3年間、彼の努力のほとんどは私の為だった訳ですよね。その強い意志が、嬉しくないなんてあり得ません。
「考える時間が必要ですか? それならゆっくり僕を知ってください。僕が貴女に相応しいと、いくらでも証明してみせますから」
それ、退くように見えて譲歩する気はないですよね。
この強引さはレティの弟だなってつくづく思ってしまいます。
そもそも、この貴族子息令嬢としてあり得ない距離は、私の返事次第でどうなってしまうのでしょう?
「……その、前向きに考えたいとは、思います。はい」
「本当ですか!? 貴女が僕の隣を望んでくれるなら、僕はどんな願いだって叶えてみせましょう。煌びやかな侯爵夫人の椅子だって用意しますし、貴女を退屈させないだけの日々の鍛錬だって約束しましょう!」
それも悪くない未来だなと思ってしまいます。
そしてその幸せそうな家には、レティが事あるごとに遊びに来るのでしょう。
同じ未来を夢想したのか、彼が笑う仕草は年相応の幼さを感じます。
などと思っていたら、彼の唇が降ってきました。
不意を突くのが本当に上手いです。
唇―――の僅かに隣、頬と言うより口寄りの位置へ温かさを感じます。
「?!?!?!?!?!?」
心の隙を絶妙に狙われて、言葉も出ませんでした。
「不意打ちで急所を突くのは許してあげます。でもあんまり可愛らしい隙を晒すなら、次は容赦しませんからね、オーレリア」
「う……」
「ここまで尋常じゃない苦労があったんです。絶対に手放しませんから、末永く、覚悟してください」
「よ、よろしくお願いします、カ、カミン」
もしかして、これからもこんなふうに翻弄され続けるのでしょうか?
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