閑話 雲上祭
今回は元ハミック伯爵、ヒナちゃんのお母さんのデイジーさん視点です。
収穫祭の季節がやって来た。
食料を扱うと決めた時点で分かっていた事だが、商会の仕事が忙しい。
王都西の穀倉地帯から小麦を引き上げ、南から果物を運ぶ。人の移動とは別に貨物車両が空を行くから、東の魚介類や北の山岳地帯で肉類を買い付ける。これまでの輸送手段では届かなかった遥か向こうで、これらを待っている客がいる。
この季節は自慢の作物を前に農家達の顔も明るい。
商売が軌道に乗るにはもう少し時間がかかると思っていたけれど、手塩にかけた収穫物を国の反対側まで届けられると説明すると、自分達の作物の素晴らしさを是非とも遠方に轟かせたいと顧客が殺到した。
売却先でも、地元では手に入らない食材で料理の幅を広げられると人気だった。
貨物車両の所有は国へ届け出が必要と、手続きが多少面倒でありながら、既に購入した車両は5台目となる。
走らせれば走られるほど利益を生むのだから躊躇いはなかった。
後に続く商人が出始めているので多少折り合いは必要になるだろうけれど、このいい流れは当面続きそうだった。
成功の理由には南ノースマークとエッケンシュタイン、大口の取引相手を構えている事もある。彼の2領は自給率が不足しているだけあって、運んだ分だけ買い取ってくれる。
しかも気に入った食材は増産の要望書を送るものだから、お貴族様から直接依頼を賜った農業従事者が張り切って畑を耕していた。幼い領主様と代行様は、お貴族様御用達の栄誉が何をもたらしているのか、いまいち分かっていないところがある。
そうして繋いだ縁が更にシャンブーフ商会の名前を高めてくれている。
特にエレオノーラ様の注文が多いものだから、正式な調印もないのに御用達商会と誤認されている状態にあった。コントレイルの貨物車両を次々増やしているのも、そう映る原因らしい。
迷惑を掛けてはいけないとスカーレット様達に相談してみたのだが、役に立っているならそのまま利用してもらって構いませんよ? との事だったので、訂正の予定はない。
忙しくも楽しい毎日ではあるけれど、それでヒナとの時間を疎かにするなんて事はない。漸く家族になれたのだから、無理にでも時間を作るようにしている。
そうしなければならない理由の1つに、再婚相手がヒナとの関係構築に失敗したと言うのもある。
どうもヒナにとっては孤児院での経験が普通の家族形態で、父親と言うのは施設の職員くらいに捉えている節があった。母親としての経験が浅い私にも訂正は難しいから、徐々に慣らしていくしかないと思っている。
そう言った訳で、忙しくてもヒナにはきちんと収穫祭を体験させようと思い立った。
大規模な農場経営者が労働力確保を兼ねて孤児院を併設させているようなところなら、収穫祭が生活の一部となる場合もある。将来的には農地の管理を任されて農場の職員になると言う。ガッターマン伯爵領ではよくある形態と聞いている。
けれど、ヒナのいた孤児院では小さな畑で野菜を育てていたくらいで、本格的な参加はない。お小遣いを握り締めて屋台をいくつか回るのが楽しみ方だったらしい。
それはそれで悪くないとは思うけれど、神事の見学から本格的に知っておくのもいい。
とは言え、実家のダイソン領の収穫祭は盛り上がりに欠ける。手放したハミック領へ行くのも気が引ける。いち市民目線では見られないだろう。口を出す権利もないのに、もどかしさを味わいに行く必要もない。
どうせなら王都まで足を延ばすか、実家から近いガッターマン領へ行ってみるか、とりあえず本人に希望を聞いてみた。
「ヒナ、お祭りに行ってみたい場所はあるかい?」
「うん! あたし、お姉ちゃんのところがいい!」
おっと、聞くまでもなかったね。
考えてみれば当然だった。今でも月に数回は遊んでもらっているのだから、他の選択肢が思い浮かぶ筈もないよね。
「あのね、あのね、こんとれいるがいっぱい走るんだって!」
「へえ……。なら、それを一緒に見に行こうか?」
「うん!」
ヒナの説明はどうにも要領を得ないけれど、コントレイルを使った何かの催しがあるらしい。半月ばかり前、サン君に遊んでもらった際に何やら吹き込まれてしまったみたいだね。
父親より懐いているのだから、彼の誘いに期待してしまっても仕方がない。
そして収穫祭当日、丁度エッケンシュタインへの納品があった私は所用を終えた後、ヒナと一緒にコントレイルの発着場へ向かった。
協力関係にあるだけあって、エッケンシュタイン領都アルベルダから収穫祭専用の特別便が出ていると言う。
「お母さん、早く! 早く!」
ヒナが急かすように手を引くが、今はありがたい。
何しろ人出が凄い。
どうせなら南ノースマークとエッケンシュタイン、両方の収穫祭を体験しようと大勢の姿が発着場にあった。そうなるように誘導したのだろうね、発着場には複数のコントレイルが控えていた。
ヒナが迷子にならないように手を引いてもらいながら、整理番号の車体へ乗り込む。遷都でもするのかって人だかりであっても、道中景色を楽しんでもらおうと全員に席を割り振ってあるらしい。
そんな気遣いが、お祭りへの期待を膨らませる。
「走る~♪ 走る~♪ こんっとれいるが走る~♪」
収穫祭参加の記念にと、搭乗の際にお菓子を貰ったヒナもご機嫌で鼻歌を口遊んでいた。
「行くよ~♪ 行くよ~♪ 皆のゆーめを乗せて~♪」
「朝も~♪ 夜も~♪ 僕らの明日を繋ぐ~♪」
なんとなく耳に残ったコントレイルの車内放送曲を一緒に歌いながら、眼下に流れる景色を眺める。
領都コキオへ向かっているものと思っていたけれど、どうも高度を下げる様子がない。折角エッケンシュタインの領民を案内したので、領都の象徴、キミア巨樹の周りでも遊覧するのかと思っていたら、コントレイルの窓外が雲に覆われてしまった。
どうも行き先は、私も見た事のない巨樹の頂上らしい。
雲上から巨樹を眺めると言う得難い経験のまま、コントレイルは雲を囲んで動きを止めた。先行していた車体も、後続の車両も、巨樹を眼前に浮かぶ雲へ隣接して並ぶ。
「はぁ~~~……。綺麗だね、お母さん。雲の上の国みたい」
ヒナの素直な感想は的を射ていた。
雲の上、遥か大地を見下ろす天の御座には神が住まうと言う。唯一、世界樹だけが天と地上を繋ぐ。
人は大地で生きる事を選んで楽園を降り、神と人で生活圏を別けた後、世界樹は役目を終えて大地へ還ったと聖書にて謳われる。
まるで、創世の時代にあったと伝わる楽園の再現だった。
『ようこそ、1年の実りを寿ぎ、天により近い場所から感謝を捧げる祭場へ』
拡声された美しい声が響き渡り、真っ白な雲上へ1人の少女が浮かび上がる。
赤を好む彼女にしては珍しく黒のドレスに身を包み、巨樹の登頂部へと祈りを捧げていた。
「わああああ…………! お姉ちゃん、綺麗……」
思わず溜め息を零したヒナと同様に、私も美しさに呑まれていた。
おそらくは闇の女神を模した衣装なのだろう。
会った頃は少女らしい闊達さと人形のような愛嬌を備えた美しさだったけれど、僅かばかりの幼さを残して女性らしく成長した今では、神々しさすら感じてしまう。
そんな彼女が女神の意匠を身にまとっているものだから、楽園の再現を彩っていた。
たなびく金色の髪は闇女神の使徒には似つかわしくないものの、相反する光を象徴するようで、神との決別を選ぶ他なかった人間の不完全さの顕れに思えた。
スカーレット様が立ち上がり、天を仰ぐと、雲が祭壇を形作り、中央には白銀色の樹木が聳立した。
あの輝きは、王都で見た聖剣と同じものの気がする。
『さあ! 私達が住まう領地が見渡せるこの場所で、実りを喜ぶ宴を始めましょう!』
いやいや、何処の世界に神の領域へ足を踏み入れるお祭りがあるんだい?
思わずそんな突っ込みをしたくなるくらい、色々と桁外れの収穫祭が始まった。
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