研究都市の1歩目
応援したくはあっても領主って立場である以上、出資までは叶わない案件はある。それをノーラが引き受けてくれたおかげで、申請書の選別が少し楽になった。
研究所開設の支援まではできなくても、個人的な投資くらいは考えても良いかもしれない。血税は使えなくても、研究用にプールしてある個人的な資産くらいはある。……フランの説得は必須だけども。
そんな訳で申請書の分別はスイスイ進む―――なんて事にはならなかった。
頭を悩ませる時間が少し減ったところで、普通に資料を読むだけで阿呆みたいに時間がかかる。好奇心を刺激されてじっくり読んでしまう案件も多い。むしろ、ほとんどがそうだったりする。
「あー! あたし、自分の研究に戻っていいですか!? て言うか、今すぐこの人呼んで共同研究したいです!」
しばらく大人しかったキャシーが突然吠えた。
手にした研究報告書が興味深くて集中してただけだったのかな?
興味が突き抜けると、衝動的に自分で研究したくなってしまう。その気持ちは痛いくらいに分かる。
ちなみに、確認した申請書をチェックする一覧の他に、私達はメモ用紙を常備してある。資料を読みこんで刺激された閃き、自分ならどうするだろうってアイディア、研究を発展させる為の助言、類似研究の覚書など、とにかく端から書き綴っている。
次々湧いて来るものだから、メモの消費も割と早い。
欲求をなんとか後に回している状態でもある訳で、私だって今すぐ地下の研究室に籠りたい。
「……そんなに刺激的な内容だったの?」
全力で同意したい気持ちに何とか蓋をして、キャシーの手元を覗き込む。
私がここで職務を放棄してしまうと、きっと誰も戻って来てくれない。皆を繋ぎ止める為にも必死で自制しておく。
「だって、発生させた風魔法を圧縮して火属性燃焼器に送り込むんだそうです。同時に液体燃料を燃焼器へ吹き込んで爆発的に燃焼させる動力案なんて、ウェル君を滅茶苦茶強化できるじゃないですか!?」
ガスタービンみたいなものかな?
羽根付けたら闇属性の走行補助なしに飛んで行きそうだよね。形状そのまま弾丸みたいに……。
「回転体部分の形状なんて芸術ですよ!? あたし、絶対この人は採用しますからね! 駄目だって言うなら個人的に雇います!」
勿論止める気なんてない。
聞いた限りでも、液体燃料をモヤモヤさんで代替できないかって期待が顔を出す。圧縮から解放された空気を液体燃料と接触させて燃焼エネルギーを増大させるなら、モヤモヤさんで風・火両属性を増幅だってできると思う。ポーションに使っている液体魔素とか効果が高いんじゃないかな。
折角異世界なんだから、ファンタジー要素もふんだんに盛り込みたい。
発想が前世のロケットエンジン技術に近いから、上手くいくなら宇宙にだって飛び出せるかもね。他の技術がいろいろ追い付いていないけど。
「はいはい。反対はしないけど、ホントに分別してる? キャシーの一覧、ほとんど丸がついてるけど?」
「だって、こっちの表面加工で銃弾の射程距離を伸ばすって研究はウェル君に応用できそうですし、この高魔力濃度魔漿液に素材を浸して品質を向上させる研究なんて、いろんなところに応用できそうじゃないですか!?」
新幹線の速度強化、低燃費化に車体の形状や表面抵抗の軽減を考える手法は前世でも覚えがある。オリハルコンが含有魔力で不壊特性を保っていたくらいだから、後者の研究も間違いなく応用が利く。向上させられる品質とコストの折り合いは大事かもだけど、そのあたりの最適解を詰めるのは遣り甲斐がある。
だからって端から採用してたら選別が終わらないんだよ。
「せめて優先順位は付けて。予算も研究施設も有限なんだよ」
「うー! 今から拡張できないんですか?」
「できる、できない、で言うならできるけどね。ある程度の制限は設けないときりがなくなるよ。募集はこれで最後って訳じゃないんだから」
「え!? ……この地獄はまだ続くんですか?」
「今回は様子見した人もいるだろうし、自分を過小評価して諦めた人だっているかもしれない。当然、未成年で資格を満たせなかった人だっていると思う。この研究都市で成功した人が出たなら、自分も後に続こうって人は必ずいるから、これからも定期的に続けるよ」
「うぇ……」
あえて口にしないけど、今回落選したからって諦める人ばかりとは思っていない。方向性を見直して、知見を増やして再チャレンジしようって人は多いだろうし、様子見がなくなるなら応募数は確実に増える。お貴族様に研究成果を盗られるかもしれないって二の足を踏んだ人は確実にいる。
成功者への憧れが動機になる事だってあると思うし、ノーラの試みが研究志望者自体を増やすと思ってる。個人じゃなくてグループや企業ぐるみでの応募もあるかもね。
変な声で呻いてる場合じゃないよ。
「魔力波通信を用いて個人の位置を特定する……? 海洋で船舶の位置を完璧に捉えられるなら、事故が激減する。事故が減らせるなら東大陸へ進出する為の壁がぐっと下がって多くの商会が参入できます。その恩恵は計り知れませんが……これ、可能な技術なのでしょうか? 夢を追うのは大切だとしても、あまりに可能性の低い事業へ投資するのは……、いや、でも……」
騒がしいキャシーが片付いたと思ったら、ウォズが昏い目のままブツブツ呪い染みた声を垂れ流していた。
有用性は理解できるけど、皮算用に出資するのは躊躇いがあるってところかな。
GPS衛星が打ち上げられるなら全て解決する話ではあるけれど、さっきの新型エンジンで漸く大気圏を突破する可能性が見えたばかりでは実現が遠い。
現状可能性があるのは、先日の水地両用潜航艇みたいに基地局を設定して位置情報を割り出す方法だろうね。問題は電波に比べて魔力波は到達距離が短いって点だね。しかも、遠方になると誤差が大きくなる。
基地局を増やせば解決する問題とは言え、大海原で実現するには心許ない。ウォズが期待する応用はまだハードルが高いよね。
現行の魔力波通信機開発チームと連携する方向で進めてもらおう。
で、問題が1つ片付けば、また1つ。
こんな一例もあった。
「着眼点は面白いのに、その後の展開がお粗末すぎる!」
今度は私が吠えた。
「水中を歩行できる新しい魔法の開発……? 何ですか、これ? どうしてここで考えるのをやめるんです!?」
「本当に面白いのはこれからではありませんか! 研究者が自己満足で終わってどうするのです!?」
あんまり黙っていられなかったものだから、資料をそのまま突きつけたらキャシーとノーラも吠えた。
概要は水属性の複合魔法。
流体操作で水中に空間を生み出し、その中を歩く。空気と共に水中へ沈む流体操作の理論展開は見事だった。泳ぐのに比べて観察が容易になる。
そして、それだけだと窒息するので水上からポンプみたいに空気を送り込む。こっちの魔法制御が上手く進まず、長時間の潜行は今のところ無理だと言う。
「個人の魔法で考えるのを止めたら、誰も真似できないじゃない」
「そうですよ。ここまで考えたなら、魔道具での再現を考えるべきです! そしたら手が空くんですから、ポンプ魔法に集中できますし、探査魔法だって使えます。見所のある散歩コースだって決められるじゃないですか」
「そのポンプ魔法も、水上から管を通すだけなんて御粗末です。水中なのですから排気は泡として押し出せばいいですし、何も水魔法にこだわる必要だってありませんわ。風属性で空気を取り込む方が効率もいいに決まっています」
「だよね、だよね! 子供の自由研究じゃないんだから、複属性の協力者を募るなんて当たり前の事だよ」
上手くいくなら川でも海でも水族館に早変わりする。スキューバーとは違った趣向になるかもしれない。
なのに、自分だけの魔法で完結しようってエゴで台無しになっている。第一これ、魔法の並行操作だから、個人で挑戦するとすぐに魔力不足になって溺れるよ。
私達はこの後、ここを変えるべきだって赤で添削、研究者視点に立てていないって意見書を追加、私達ならもっと発展できるからアイディアだけ貰っていいかって要望書を追加して送り返す事にした。
プライド圧し折られて泣くかもだけど、知った事じゃないよね。
更に、自分達ならどうするか、どんな観光業に活用できるかってウォズまで加わって、半日以上を議論に費やした。キャシーとか、魔道具の素案をメモに殴り書きしてる。私も、事故を防ぐ為に水中空間の表面を皮膜で覆うところまで考えたよ。
派手に脱線したよね。
……終始こんな感じで、時間ばかりがどんどん過ぎてゆく。
結果として、この選別だけで夏季休暇全てを費やす事になる。
それでも73の研究について正式に招聘が決まった。
予定枠は大きく超えたけど、建物は構築の魔法陣でいつでも生み出せるから、秋には迎える準備が全て整う。研究区画も大幅に拡大した。
加えて、研究費の支給はできないものの、施設だけは用意する枠を新設。更に207人を呼ぶ事を決めた。資金援助はなくても、最先端都市コキオの研究者だって箔は付く。提携する商会の斡旋や、成果次第で再審査もできるよ。
それだけの価値があるって判断したからで、絞り切れなかった訳じゃないからね。
これで、私の研究所があるだけの街じゃなくなる。
苦労の甲斐あって、漸く『研究都市』がスタートできるね。
ただ引き籠って研究するんじゃなくて、意見の交換会なんかもしたいと思う。大勢の研究者が意見を交わした結果、どんなものが生まれるのか、私も楽しみにしてるよ。
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