王妃の資格
殺さなくてはいけない理由なんてなかったんだとイローナ様が泣き崩れ、アドラクシア様が抱き留める。
それでも大議堂の空気は上向かなかった。
何しろ、アノイアス様の消沈が酷い。誰もが声を掛けるのを躊躇っている。どう考えても、下手な事を言えない。
「ファーミール、どうして……せめて、私を頼ってくれていれば……」
確かに、ジローシア様殺害前だったなら、アノイアス様にも庇護できた。調整上手なジローシア様と違って、別派閥に反発する貴族が残ったかもしれない。それでも罪を重ねる事態は防げていた。
なら、どうして一番身近な人を頼れなかったんだろう?
あまり考えたくない可能性くらいしか思い浮かばない。
根拠って程もないけど、もしかしてファーミール様って閉じた記憶が戻ってない?
その答えはすぐに出た。
「……初めは、何のことだか分かりませんでした。でもあの男達は私を見て、不快に、おかしそうに笑って……、笑って……!」
「!? ま、まさか……」
ファーミール様は昏い目で過去を語る。
ヒステリックな様子から、精神状態はかなり拙い様子だった。
催眠魔法は万能じゃない。呪詛や虚属性で強化したとしても、何かのきっかけで思い出してしまう可能性は常に付きまとう。
蛮行に及んだ御曹司、彼の実家であるゼボール商会が呪詛研究を始めるきっかけ、最初の呪詛魔石を供給したのが黒曜会であるのは間違いない。ファーミール様がその毒牙に掛かった事が、裏繋がりで伝わっている懸念は十分にあった。屑男が生前、嗤い交じりに吹聴したかもしれない。
しかも、よりによってそんな連中に、ファーミール様の方から接触してしまった。
絡め捕られたのは私への暗殺依頼や種々の不正だけじゃなかった訳だね。むしろ、そちらの方が比重は大きかったのかもしれない。
「そうよ! あんな、あんな事を急に思い出して、アノイアス様を頼れる訳がないではありませんか!? 今度こそ見捨てられるかもしれない、心移りしてもおかしくない……! そう思うと、私、怖くて、どうしようもなく怖くて……!」
「すまない……、本当にすまない。君がそんなに追い詰められているだなんて気付けませんでした」
「折角王子妃になれたのに……、あんな連中のせいで今の立場まで失ってしまうなんて、あんまりではありませんか!」
うん?
「あんな連中に下卑た視線を向けられて、それでも我慢したのです。そうしたら、急にあんな忌まわしい記憶が湧いてきて……、あんな思いまでしたのですよ? あんな忌まわしい、毎晩毎晩……あんなっ! ……ならば見返りくらいあっても良いではありませんか!?」
「ファー、ミー、ル?」
何だろうね。
同情する気持ちがガリガリ削れてゆくよ。
「アノイアス様だって、私が王妃に相応しいと思って、汚れた私を娶ってくださったのでしょう? 目溢しくださったのでしょう? ならば、障害を排除するのも当然の流れではありませんか! あのおぞましい連中だって、いつか首を刎ねてやりたいと思っていました。私が王妃になりさえすれば、あの悪夢だって報われると……」
「ふざけるなっ!!」
―――バキィィィーーーー……ッ!
陛下の怒声が大議堂に響いた。
同時に中央の大理石テーブルも砕ける。なかなか見事な強化魔法だね。しかも陛下ってば、素手だよ。
ついでに、歴史ある割にはよく砕けるテーブルだと思う。魔力を弾くって特性のせいで私くらいしか直せない筈なんだけど、実は替えとかあるのかな。
「其方、王位をなんだと思っている! 其方が我儘に振る舞い、虚栄心を満たす為の椅子ではないのだぞ? これまでのように上手く仮面を被るならまだしも、即物的に身分だけを求める其方に、王妃となる資格などない!」
「そんな……」
ディーデリック陛下にはっきり否定されて、ファーミール様は絶望的な顔になった。
陛下の同意がないと、アノイアス様が即位する事も、彼女が王妃に就く事もない。
王妃って、王子の配偶者なら自動的になれるってものじゃない。きちんとした妃無しでは立太子だってできないし、資格を満たしてないなら挿げ替えられるって事もある。妃教育って、そのふるい落としの側面もあるからね。
邪魔者を蹴落とすばかりで、自分の行いも評価されているとは気付けなかったみたい。
結婚の時点で厳しい審査があった筈だけど、アノイアス殿下が強硬に望んだ事に加えて、呪詛被害に遭ったせいで同情が集まったのかもね。
「己を省みられない者が、どうして王に並べる? 其方の素行、交友関係、発言、全てを周りが見ているのだ。その血を王家に取り入れるべき人材か、歴史に名を刻んで恥じないものか……!」
「イローナが、子爵風情の娘が、それを満たしているとでも言うのですか!?」
「勿論だとも! アドの下で勢力的に動き、国外から新しい風を入れてくれている。己の愚痴と自慢話ばかりのお茶会を開いているだけの其方とは、根本的に違う! 何も才能を示し、分かりやすい結果を出せと言っているのではない。夫を、ノイアを支え、子供達を頼もしく育てるだけで良かった」
「……」
「身勝手に殺人を犯した者の子を、誰が主と仰ぐ? 血を継ごうと望む? 其方はノイアの足を引っ張っただけではない。子供達の未来も閉ざしたのだぞ!」
「そ、そんな……!」
まだヴァンより幼い2人の子供、例えアノイアス様が王位を継がなかったとしても、未来は輝かしい筈だった。けれどこれから先は、母親のおかしな思想を継いでいないか、偏った教育に晒されていないか、常に不信が付きまとう。
「―――!」
一旦はへたり込みそうになったファーミール様だけど、持ち直して私の方を睨みつけてきた。
私のせいだとか思ってない?
「ファーミール、もうよしなさい。彼女に君への害意など無い。それどころか、今尚助けてくれているのですよ」
「え?」
「事実を明らかにするより、秘密裏に君を消してしまった方が王家にとっては傷が少なくて済む。事故、病、理由ならいくらでも作れます。けれどノースマーク子爵はそれをさせない為に、こうして大勢の前で罪を明かしてくれているんです」
現在進行形で、本当に必要な措置だったか疑問に思ってしまっている訳だけどもね。
「でもっ! アノイアス様……!」
「これ以上、恥を晒さないでください……」
結局、何処までも引き下がろうとしないファーミール様は、アノイアス殿下の護衛に拘束された。それを命じなければならなかった殿下には、行き場のない無念が滲む。
更にアノイアス殿下は席を立つと、私達側、つまり大理石テーブルの長辺へと歩を進め、改めて陛下達と向き合った。
「陛下、兄上、全ては彼女を抑えられなかった私の、かつて判断を誤ってしまった私の責任です……。本当に、本当に申し訳ありませんでした―――」
深く、深く頭を下げる。
未だ、ファーミール様から謝罪はない。悪いと思っていない中途半端な謝罪なんて必要ないにしろ、そうなると殿下が責任を負わないといけない。
腰を90度近く折る、できる限りの謝意が籠った最敬礼だった。
なお。大議堂のテーブルの短辺側は王族の席となる。
そこを離れて向き合うって事は、臣へ下るって意味を持つ。
長く王位を争ってきた第1王子と第2王子、その決着をアノイアス殿下自ら示した瞬間だった。
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