アノイアス殿下の憂鬱
ハミック伯爵に会おうと王都へ行ったら、嫌なものと遭遇した。
空中球池から王城へ向かう1本道、その途中で関わりたくない顔が揉めていた。
「見ろ! 貴様のせいで我が家の車に傷が付いたじゃないか!」
威勢よく吠えているのはガーベイジ男爵。
人通りの多い場所だけあって野次馬もいっぱい居たから事情を訊いてみると、曰く、没落男爵が通行人を撥ねたらしい。しかも、その衝撃で車に傷が付いたと、被害者を責めていると言う。
この世界では車両、特に貴族車両が優先なので、交通事故ってだけで車両側が罪に問われる事はない。街中では安全の為にと、徐行に近い速度が義務付けられているから、歩行者は車を躱さないといけない。
車両側が制限速度を守っていなかった場合は話が変わってくる訳で、あの傲慢男爵は怪しいと思ってるけども。そもそも、車両保有禁止令って解けたのかな?
被害者は城に勤める役人らしく、上級回復薬も携帯してたみたいで既に元気に見えた。そしてうんざりした様子で時間を気にしている。
それが余計に気に障ったのか、癇癪男爵は傷付いた車を弁償しろと詰め寄る。領地騎士まで動員しているのも、いつかと一緒だね。
傷と言っても極僅かで、事故の際にできたものかも疑わしく思えた。車両優先と言っても撥ねた側なのに、そんなみみっちい事を言う貴族、初めて見たかな。
あんな米粒みたいな傷で弁償とか、正気を疑う。
だからと言って、立場ある人間との交渉に慣れていそうな役人さんは、この状況に委縮しているようには見えない。むしろ、理路整然と受け答えるせいで、男爵を無駄にヒートアップさせている様子だった。
このまま放っておいても役人さんが堪える事態はなさそうとは言え、没落男爵に分別とかあるとは思えない。意味不明に暴発する可能性を考えたら介入するべきかもしれない―――と、そう思った時、黒塗りの車が王城の方から向かって来るのが見えた。
明らかに通行の障害となっているガーベイジ車へ、金縁の派手な車がまっすぐ突っ込んでくる。
―――ドガシャァァァン!
制限速度は絶妙に守りつつも、減速する様子はなかったから故意に違いない。おまけにガーベイジ車を支柱に押し付けた状態で、なおアクセルを緩める気配がなかった。
言うまでもなく、男爵車両はベコベコになった。撥ねた時の傷とか、最早何処行ったかも分からない。
野次馬の中には大笑いしている人も多かった。
「わ、私の車になんてことを!? だ、だ、だ……」
誰だ! と叫びたかったのかもだけど、車の外装に気付いて、威勢は一気に消沈していった。自己中男爵でも、決して歯向かえない相手だと悟ったみたい。
黒塗りで、これでもかってくらいに金色を凝らした車に乗れる人間は、現在この王国で片手に収まるだけしかいない。
なお、思い切りひしゃげたのはガーベイジ車だけで、見た目に反して装甲車並みの強度を誇る専用車両は、バンパーに傷が付いた程度でしかなかった。
前世の常識的にはあんまりな状況に見えるけど、これでも王族側に責任は発生しない。
「私の通行を妨害した愚か者です。すぐに拘束してください」
後部座席から姿を現したアノイアス殿下が冷たく告げる。
瞬く間に騎士がわらわら出てきて、間抜け男爵を縛り上げてしまった。
この世界の交通ルールは身分順。
私的には呆れても、王族専用車両の通行を阻害した時点で瑕疵が発生する。事故に見せかけた暗殺も可能なので、交通規程の違反は意外と罪が重い。無謀男爵家の騎士諸共、問答無用で拘束された。そのまま城へ連行されてゆく。
人を撥ねても罪に問われない訳だから、こっちの理不尽も受け入れる他ない。
「この場を収めていただいて、ありがとうございます、アノイアス様」
「おや、ノースマーク子爵、偶然ですね。貴女がいたなら、任せてしまっても良かったでしょうか?」
「いえ、私にできたのは車を消滅させて事故自体をなかった事にするくらいです。それより、上位者がきちんと処罰する姿勢を見せた方が、この場を見ていた方達も安心するでしょう」
多分、ここでの諍いを城へ報告した人がいたんだろうね。
で、丁度外出の予定があった殿下が強権を発動させに来た。
アノイアス殿下はこういう事が割としょっちゅうなのか、流石殿下と称賛する声も多い。
責任が発生しないとは言え、撥ねた側が被害者に更なる負担を強いる様子は、気分のいいものじゃないからね。貴族側に立つか、弱者側に立つか、明確に決めているアノイアス殿下は市民に人気がある。
正しい側に立つアドラクシア殿下とは少し違うところだね。
魔塔の改革に都市間交通網の整備、それから先日の犯罪組織の一斉摘発と、市民に分かりやすい活躍を殊更アピールしてるって強みもあるかな。
被害に遭った役人さんにも2,3声を掛け、仕事に遅れた責任は問わないと確約してから送り出していた。
「困ったものです。ああいった貴族はいつまで経っても無くならない」
「先日のディルスアールドのように、優秀な後継者は育てていないのですか?」
「あの家は世代交代の前に消えてしまいそうですからね。放っておいてもと考えていましたが、こうして問題を起こされるともう少し何かできたのではと後悔が過ぎりますね」
後継に挿げ替える以前に、子息アイディオもアレだったからね。その他親族も同類であっても驚かない。
「気の長い話ですが、家の思想に染まる前に国で教育すると言うのはどうでしょう?」
「貴族の幼年学校ですか。貴族の質を底上げする意味でも有効だとは思いますが、そこに余計な忖度が加わってしまうと、歪みは益々大きくなります。先日、副騎士団長の立場にあった者が忠誠を履き違えて動いたところですからね。恒久的に腐敗防止が望める体制作りを考えなくてはなりません」
「……難しいですね」
「全くです。けれど、歩みを止める事も許されません。……と、機会があるなら貴女とじっくり議論したいところですが、今日は用事があるのでしょう?」
そうだった。
面会の予定を組んでいるからあまり余裕は無い。
「私もこれから、黒曜会拠点探索の立会いです。彼の犯罪組織もほぼ瓦解状態とは言え、油断は許されません。本当の意味で呪詛を撲滅する為にも、僅かな違和感も見逃してはならないと思っています」
「呪詛魔石の出所についても、捜査は進んでいるのですか?」
ワーフェル山のダンジョン化のような例外を除けば、呪詛魔石は帝国から流れてくるのだろうと、これまで考えられてきた。
けれど、エノクからの情報で前提が変わった。
帝国の方が呪詛魔石を徹底的に管理してあるなら、これまで犯罪に使われたものも王国産である可能性が出てきた。皇国や海外って線もあるから絶対ではないけども。
「“魔石屋”と呼ばれている者がいるようです。しかし、実態はまだですね。黒曜会の者達は接触方法を知るばかりで。供給はその者頼りだったようです。一斉検挙で警戒されたのか、足取りも追えていません」
帝国と通じていたのも、偽フォーゼさんへ呪詛魔石を渡したのも黒曜会だったから、あの組織さえ潰せばと摘発に踏み切ったのだけれど、勇み足だったって事になる。
呪詛への憎しみがある分、アノイアス殿下には無念さが滲んで見えた。
「呪詛が絡む以上、黒曜会の人間も知らないと思い込まされている可能性もあります。現在、記憶回復剤を開発中ですので、もうしばらくお待ちください」
「……そうでしたね。それまでに連中を縊り殺してしまわないように気を付けましょう」
薄く笑う殿下は、冗談なのか本気なのか分かり難い。
私も、この件に関してボーッとしてた訳じゃない。とは言え、オリハルコンにかまけていた自覚もあるから、進捗をレグリットさんに確認しておかないとね。
呪詛で記憶に干渉したなら、虚属性で戻す事もできると思ってる。ジローシア様の事件に黒曜会が絡んでいる事は十分に考えられる訳だし、ヒナちゃんの為にも少し本腰を入れようかな。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価で応援いただけると、やる気が漲ってきます。
今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




