閑話 男爵令嬢の号泣
本日の2話目です。
キャシー視点になります。
朦朧とした意識を浮上させた時、白い天井が見えた。
あんまり見慣れないものだから、あたしが頭を打った事、ここが病院だって事、把握するのにしばらくかかった。
困った事に頭が働いてくれない。
状況が認識できたら認識できたで、すぐに困った。
病院へ運んだのは間違いなく善意だろうけれど、ウォルフ領の医者に任せるより回復薬の方が確実だった。
フラフラする頭で何とかそう訴えたら、そんな高級品を使うのは恐れ多いと両親がごね始めた。兄に至っては、お前なんかがそんな高級品を持っているのはおかしいと疑う始末。
おかげで、ぼんやりした状態で切々と説得する羽目になった。
頭痛いのに、随分時間を無駄にした。
でもここで妥協したなら、レティ様は余計に怒る。
あたしの無事を願って持たせてくれた特級薬、ここで使わないでいつ使う?
「侯爵令嬢の、レティ様の恩情を無碍にする気!?」
最後は力業になった。
身分を前面に押し出すと、両親も兄も黙る他ない。初めからこうしておけば良かったよ。
家に置いたままの薬をメアリが取りに行ってくれて、飲んだ途端にスッと楽になった。お医者さんも感心しきりってくらいに。ウォルフ領だと噂くらいでしか知らないだろうからね。
これで解決かと思ったら、別の難題が降ってきた。
回復薬を使う使わないで揉めてる間に、メアリがレティ様に事の次第を知らせてしまったと言う。
あたしは血の気が引いた。
どんな理由であれ、他領の貴族が来るなら男爵家として迎えなければいけない。しかも、余裕は残っていない。コントレイちゃんなら半日で着くし、ウェル君ならもっと早い。今すぐ取り掛かっても準備が間に合うと思えない。
だからと言って、メアリばかりは責められない。
回復薬を使う事に両親がもっと早く同意してくれていれば、メアリが外部へ助けを求める事もなかった。怪我したあたしの責任もある。突き落とした人はもっと悪い。
「ふん! 侯爵家の令嬢がお前なんかを見舞う訳がない」
この期に及んでまだそんな事を言う兄にイラっとする。
「レティ様は来るよ。賭けようか? レティ様が来ないなら、あたしは家を継ぐのを諦めてもいい」
「え!?」
あり得ない賭けを持ち出した事で、その場の全員が凍り付いた。
半信半疑だった父様にも、間違いないって伝わったみたい。
それから両親は慌てて屋敷へ帰って行った。
上位者を呼び出しておいて、当主が迎えないなんてあり得ない。ケロッとしてるあたしに構っている場合じゃないと悟ったらしい。
案の定、レティ様はノーラ、ウォズを連れ立って、日が暮れる前にやって来た。
「元気そうだね?」
呆れた様子の視線が痛い。
怒るって程じゃなくとも、不満そうな様子だった。
そりゃそうですよね。
チクチク責められても、あたしは甘んじるしかない。レティ様じゃなかったら、多額の賠償問題に発展してもおかしくない事態ですから。
「キャスリーン様っ!!」
レティ様お気に入りのメアリを生贄に差し出しつつお小言を躱していたら、すごい剣幕のグリットさんが駆け込んできた。
グリットさんにまで連絡したの!?
聞いてない。
メアリからすると、いち冒険者だから呼びつけても大した問題じゃないと思ってるかもだけど、あたし的には大問題です。
グリットさんに誤報で迷惑かけたとか、深く穴を掘って埋まりたい。
「………良かった。本当に良かった」
しかも余程安心したのか、グリットさんはその場にへたり込んでしまう。
そんなところ、初めて見た。
え?
そんなに心配してくれたんですか?
嬉しいやら、むず痒いやら……、でも一番は居た堪れない。
それに検査入院の予定だったから、あたしは寝巻のままだった。倒れたままで髪もボサボサ、とてもグリットさんに見せられる恰好じゃないんです。
いや、病院に運び込まれた状態で身繕いを完璧に整えるのもどうかと、レティ様には無作法を許してもらおうと決めた。レティ様ならそのくらいは見逃してくれるし、実際その通りになった。
でも、グリットさんは予定に無いんですぅ!
なのにグリットさんは真剣な様子でこちらへ寄って来る。
気を利かせたレティ様はサッと場所を譲ってくれる。
その気遣い、今は要りませんから!
きゃー! 来ないで、見ないで、せめて仕切り直させて!
心の中での悲鳴もむなしく、グリットさんはベッドの傍に膝をついてしまう。
顔が近くなるから普段なら喜べたかもですけど、今は駄目!
布団の中に逃げようとしたのに、右手をがっしり掴まれてしまった。逃げられない。
力強くてごつごつした、大好きな手。
だけど、今はそれどころじゃないんです。
「俺、何も分かっていませんでした。ワーフェル山で死地に向かう俺の背を押してくれたキャスリーン様の覚悟を」
へ!?
一体何の話です?
「あの後俺は生死不明になって……いえ、死んだと思われた筈です。俺の自惚れでなければ、悲しんでくれたのだと思います。それでも貴女は折れなかった。屍鬼掃討の為に尽力を続けていた」
いえ、そんな大それた事じゃないです。
あのまま泣いて過ごしても、グリットさんは帰ってこない。あたしが泣き暮れる事で誰かを死なせてしまったら、命を賭けたグリットさんに会わせる顔がない。そう思って虚勢を張っただけで……。
それと、あの後所構わず大泣きしたから、あの日の事はあんまり思い出してほしくないです。
「今日、はっきりと分かりました。貴女の芯は俺よりずっと強い。きっと俺には無理です。実際、キャスリーン様に二度と会えなくなるかもしれない、そう考えただけで震えました。とても耐えられそうになかったんです」
え、そんなに心配だったんですか?
わ、わ、ちょっと頬が緩んでしまいそう。
「妹さんから連絡を貰って、俺の心は千々に乱れました。全てを放ってここに向かわずにいられなかった。もう一度貴女に会いたいと、強く願いました。もしキャスリーン様が無事でなかったなら、俺はきっと立ち上がれなかったでしょう」
え、えー……と?
「今更ですが、今回の事で自覚しました。俺は貴女ほど強く生きられない。俺は弱いんです。貴女のいない明日を生きられそうにない。遠く離れた場所でキャスリーン様に何かあったらと想像するだけで、もう耐えられそうにありません」
え? だって、あんなに勇ましいグリットさんでしょう?
そんな筈……。
「研究に真摯に、懸命に取り組む貴女に、領地を愛し、その為なら苦労を厭わない貴女に、責任を背負おうと努力を重ねる貴女に、些細な事で笑ってくれる貴女に、いつもお帰りと迎えてくれる貴女に、出会った頃からとても子供扱いできなかった貴女に、俺の心はとっくに撃ち抜かれていた」
……。
…………。
………………へぁ!?
随分あたしに都合がいい言葉が聞こえるんですけど、あたしまだ寝てましたか?
ずっと目を覚まさず、夢に浸っていたとかですか?
グリットさんがあたしを褒め殺しなんて、とても信じられません。凄く情熱的に聞こえてますよ?
まさか、あたしが解釈を間違えてる訳じゃないですよね?
「キャスリーン様。貴女の隣に、まだ俺の席は空いてますか?」
「…………嘘」
「嘘なんて言いません。それとも、待たせ過ぎて呆れられてしまいましたか?」
フルフル、フルフル……。
あたしは懸命に首を振って否定します。そんな事、ある訳ない。
そして力強く握られたままの右手が、これは現実だと教えてくれます。
レティ様が興味津々凝視してますから、解釈違いでもない筈……ですよね?
「本当? ……本当に? あたしが怪我したから、今は優しくしておこうってだけじゃないですよね?」
「そんな事で一生をかけませんよ」
一生!?
「あたし、そんなに贅沢させてあげられませんよ?」
「そんな事、望んでないですよ。苦労があるなら、一緒に乗り越えて行けばいい」
「自由だって減りますよ。面倒事は間違いなく増えます」
「自由よりキャスリーン様と一緒がいい。貴女となら面倒事だって耐えられます」
頭がふわふわしてる。
まだ完全に治ってなかったかな?
買い物やお祭りに時々誘ってくれて、食事に招待すれば必ず来てくれた。
それでも距離が縮まったとは思えなかった。
ヴァイオレットさん達に背を押されて、レティ様との契約を続ける為にあたしの機嫌も取ってくれる。
そう思ってた。
―――こんなふうに、まっすぐあたしを見つめてくれるだなんて、思えなかった。
心臓がうるさい。
思考がまとまらない。
レティ様のニヤニヤも気にならない。一緒に凝視してるメアリもどうでもいい。
いいのかな?
そのまま受け取っていいのかな?
同じ気持ちを返していいのかな?
「飛行列車の発表以来、見合いの申し込みが殺到しているのも知っています」
は!?
「2年前に婚約を申し出てくれた時とは状況が違う。貴族として生きるだけなら俺でなくてもいい筈です。悪くない条件の求婚だってあったでしょう?」
急な落差に、あたしの喉がヒュッと鳴った。
ちょっと待って。
折角縋りつきたくなったのに、ここに来て退かないでほしい。
他の選択肢があるみたいな事を言わないでください。
「どうじでそんな事言うんですかぁ? あだじ、全部断ってるじゃないですかぁ!」
このまま離れられては堪らない。
何とか繋ぎ止めなくてはと絞り出したのは涙声だった。感情をまるで抑えられない。
「それでも俺を選んでくれますか? 貴族としては役に立たない俺でいいんですか?」
「あだじはグリットざんがいいんですぅ!」
「スカーレット様と共に研究を続け、新しい魔道具を生み出し続けるキャスリーン様を傍で支えさせてください。俺が不安に苛まれなくて済むよう、貴女を守らせてほしい。俺の願いを叶えてくれますか?」
「離じませんからね? 離じませんよ!? 絶対に、絶対に、離ざないんだからぁぁぁあああああああああっ!!!」
強く、強く、グリットさんの手を握った。
応えるように握り返してくれて、少しだけ信じる気になれた。そしたら、また涙が零れた。
最悪の思い出です。
寝間着姿で髪はボサボサ、中途半端に布団にくるまって、嬉しいんだか悲しいんだか分からない涙が溢れて顔はぐちゃぐちゃ、感情も滅茶苦茶。
おまけに皆に全部見られた。恥ずかしい泣き顔までしっかりと。
あたしはこんなにクチャクチャなのに、余裕があるように見えるグリットさんが憎たらしい。
この先思い出す度、身悶えるに違いない。
できれば忘れたいのに決して忘れられない、そんな1日。
「おめでとう! キャシー、グリットさん」
レティ様の祝福を聞いて、私は今幸せなんだと漸く気付けました。
こんなに最悪なのに、頬は緩んだまま戻らない。
想いが叶ったんだと実感できた。
きっかけを作ってくれたメアリにはご褒美を上げてもいい気分かな。突き落とした当人を許せる気はしないけども。
お読みいただきありがとうございます。
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今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




