閑話 ジローシアの日記 5
もう少し、ジローシア様回続きます。
「今更だが、私は其方と向き合うと決めた」
私の両手を握ってそう訴えるアドラクシア様に、私は困惑を隠せません。
あんまり真剣な様子ですから、折角の接触にドギマギする余裕もありませんでした。
「私の内心、ですか?」
「そうだ。先程其方は忠実な臣下だと言った。嘘はないだろう。いつだって其方は私を支えてくれた。だが、そこに忠義以上のものがあると思っていたのは、私の思い過ごしだったか? 自惚れに過ぎなかったか?」
「そ、それは……」
確かに間違いではありません。
忠義以上の動機を抱いていました。
けれど、それを伝えたところで何になるのでしょう。
「アドラクシア様、私は道具です。王位に手を届かせる為に、国の更なる発展の為に、お父様の後ろ盾を得る為に、便利に使っていただいて構いません。貴方が私の事情を慮る必要などないのです」
私は心を凍らせて答えます。
この件に関して、私は希望を抱いてはいけません。
私のような可愛げのない女が、アドラクシア様の隣を望むだけで大それているのです。その上、叶う筈のない想いを明らかにするなど、惨めではないですか。
私はただ、妃という職務を全うする仕掛けであればいいのです。
実務的な役目を十全にこなすなら、実績を積み上げるなら、役職として妃の立場を任せていただける。私はそれだけに縋ってきたのですから―――
「私に気を遣う必要はありません。こんなふうに殿下の貴重な時間を割いていただかなくとも、お命じ下されば、ご意向に沿った役柄を演じてみせます」
「私は其方にそんな辛い役目を押し付けたつもりはない。それが其方の望みではないだろう?」
「……私のしてきた事は、余計だったのでしょうか? アドラクシア様にはご迷惑でしたか!?」
まさか、否定されるとは思っていませんでした。
まるで望まれていなかったとしたら、悲しい事です。
それほどまで疎まれていたのでしょうか? 気付かないまま尽くそうとしていたなら、なんと愚かだったのでしょう。
「違う! 違うのだ!」
どう違うのか分かりませんが、大きな声で否定された後、私の顔は、アドラクシア様の胸にありました。
けれど、折角抱きすくめられたというのに、心に響くものがありません。
それより、これまでの不覚を謝罪して、早くこの場を辞さなくてはいけません。これまでの全てが私の独りよがりでしかなかったのなら、お父様にも迷惑をかけてしまいます。
アドラクシア様に合わせる顔もありませんし、まして情けをかけていただくなど……
「お願いだ、ジローシア。私の大好きな女性を、これ以上貶めるのはやめてくれ!」
「―――!」
……。
……、……?
―――。
―――はい?
今、アドラクシア様は何と仰いました?
「………………申し訳ありません、殿下。今、誰を大好き、と?」
冷静でいられなかったからでしょう、文脈を読み取れませんでした。
「私達の話をしているのだ。其方しかおるまい」
え!?
「そんな、まさか……」
「それほど不思議な事か? 美しく聡明な女性が、私の事を慕ってくれるのだ。惹かれぬ理由がないだろう」
アドラクシア様の腕が少しだけ強まります。
私は、この腕の温もりに甘えてしまって、許されるのでしょうか?
一度溺れたら戻れないと分かっていて、このまま浸っても、良いのでしょうか?
後で嘘だと知ってしまったら、きっと私は耐えられないというのに、殿下の言葉を信じてよいのでしょうか?
「私が隣に望むのは、いつだって其方だ。其方と共に、王位に就きたいと思った。其方と語った夢を叶えたいと思った。他の誰かと、などと考えた事はない。他の誰も代わりにはなれぬ。其方でなくては駄目なのだ!」
「そんな事、一度だって……」
「ああ、愚かにも伝えてこなかった。其方の気持ちを何となく感じていたのと同じで、私の想いも其方に伝わっていると、勝手に思っていた。そしてその思い込みのまま、其方を頼ってきた。頼り切ってきた。其方を酷使してきた。美しい花に水をやろうともせず、愚かにもずっと無理を強いてしまった」
美しっ……!? 私の事でしょうか?
「遅かっただろうか? 其方が慎ましい事に甘えて、想いを口にしてこなかった私に呆れて、其方の弱さに気付けなかった私に嫌気がさして、既に其方の気持ちは離れてしまっただろうか?」
「遅かったなんて、ある筈がありません。私の心が離れるなんてあり得ません」
「ならば、これからも婚約関係を続けてくれるか? 今後も、私と王位を目指してくれるか?」
「アドラクシア様が望んでくださるなら、私は何処までだって共に参ります。私はそれだけを夢見ていたのですから! ……けれど、これは現実ですか? 本当に殿下は、私へ気持ちを向けてくれていたのですか?」
アドラクシア様が私の想いに応えてくれたなら……。
私だって、そんな益体のない想像に浸った事くらいあります。
夢から覚めた時、ふと正気に返った時、いつも虚しさに打ちのめされました。
そんな夢や想像と同じくらい都合の良い今は、本当に現実なのでしょうか?
「現実だとも! いや、夢でもいい。其方が受け入れてくれるまで、何度だって思いを告げよう。私は其方を、ジローシア・エルグランデを愛している!」
「~~~!!!」
駄目です!
そんな事、言われてしまったら、見返りがなくても尽くせた自分に戻れなくなってしまいます。頑張ったご褒美が欲しい、私だけを甘やかしてほしい、抑えてきた願望が漏れ出てしまうではありませんか。
アドラクシア様の交友関係に口を出してしまう、心の狭い私が出てきてしまいます。
そんな浅ましい私を、アドラクシア様に知られたくありません……!
「これまで、飴も与えず酷使し続けた私だ。言葉だけで信用して欲しいと言っても難しいだろう。何をすればいい? 何をもって証明すれば、私の想いに応えてくれる?」
「い、いえ、私はアドラクシア様に何かを望める立場には……」
「その遠慮に、これまで甘えてきてしまった。けれど、今は我儘を言って欲しい。其方が何を望むのか、是非聞かせてほしい。大切な女性の願いに応えるのは、甲斐性と言うものだろう? 今は何でも聞かせてくれ!」
困った事に、何もないで済ませてくれそうにありません。
「ずっと……」
「うん?」
「これからもずっと、傍に居ていいですか?」
「当たり前ではないか。私達は婚約者なのだぞ? 其方の卒業と同時に結婚するのだ。ずっと共にいるに決まっている。離すつもりはない」
「……時々、時々でいいですから、こうして抱きしめていただけますか?」
「いつでも望んでくれ。其方も望んでくれるなら嬉しい。時々と言わず、毎日だって構わない」
毎日は心臓が持ちそうにないです。
「他にはないのか? こんなもの、我儘でも何でもないではないか」
あんまりアドラクシア様が快諾してくれるものですから、欲が溢れてしまいそうです。
私の殻はあまり硬くないのですから、特に殿下が触れると簡単に破けてしまうのですから、そんなに甘い言葉をかけないで欲しいです。
「……また、誘ってくれますか?」
「当然だ。今日は私も楽しかった。どうして今まで誘わなかったのか、昨日までの自分が理解できない。何処に行こうかと計画を練るだけでワクワクした。是非、また誘わせてくれ。一緒に遊びに行こう」
「……お忍びにも、行ってみたいです。いつ声がかかってもいいようにと、服も揃えたのですよ」
「―――! 私は本当に馬鹿だな。其方が言い出してくれるまで思い付かないなど、どうかしている。この件については私が先達だからな、案内させてくれ。其方がどんな格好で来るかも楽しみだ。既製服であっても、其方の美しさはきっと損なわれないのだろうな」
「……私だけがいいです。アドラクシア様に側室がいるのは、嫌です―――」
言って、しまいました。
隠しておこうと決めた筈なのに、独占欲が零れてしまいました。
「元よりそのつもりだ。其方が手に入るなら、他の誰かに触れようとは思わない。むしろ、そう思ってくれた事が嬉しい」
「……いいの、ですか? 私、悋気が強いのですよ? できるならアドラクシア様は女性と話さないで欲しいと思ってきたのですから、そんな事を言われてしまったら、もっと口を挟んでしまうかもしれませんよ?」
「いつでも私を諫めてくれ。其方が嫉妬してくれるなら、それだけ好かれているのだという喜びでもある。そのくらいの度量はあるつもりだ」
もう、駄目です……。
きっと呆れられると思っていました。それは無理だと拒絶される筈でした。なのに受け入れられてしまったら、私は想いを抑えられません。
私はそんなに強くできていないのです。
「本当に、本当に私は、アドラクシア様を好きでいいのですか? 私の想いが報われるなんて、許されるのですか? 殿下を支えなければならない立場の私が、寄りかかりたくなってしまいます。そんな情けない私でもいいのですか?」
「これまで無理が過ぎたのだ。多少の弱さは愛嬌だろう。そもそも言っただろう? 共に夢を叶えたい、と。一方だけが支える関係を、私は望んでいない。私にも其方を支えさせてくれ。これまで無理を強いた分、償わせてくれ。具体的には何をしてほしい?」
もう、知りませんからね。
私は重いんですよ?
だからずっと蓋をしてきたのに、面倒な女を開放したのはアドラクシア様ですからね。
「私も、貴方をお慕いしています。ずっと、ずっと……、会って間もない頃から好きでした。……それでも私は、きっとまた不安になると思います。アドラクシア様の想いを信じきれなくなって、自身の想いに苛まれて、不安定になると思います。その都度、また信じさせてくれますか? 私が安心できるまで想いを伝えてくれますか?」
「ああ、約束する。今、其方に好きだと告げられて、私は幸福で打ち震えている。この気持ちを、何度だって共有したい。いつでも好きだと伝え合おう!」
そう誓ってくださったアドラクシア様は、なのにふっと離れてしまいました。
折角幸せに浸っていたのに温もりが感じられなくて不満に思っていると、殿下がソファに座り直したせいで視線が近くなりました。
「あ―――」
アドラクシア様の瞳に自身が見えます。
勿論、目を逸らすなんてあり得ません。すっかり溶けたパフェとか、視界に入りません。今は側近もどうでもいいです。
恋愛の経験値が絶対的に不足している事は自覚しましたが、私は別に知識まで足りていない訳ではありません。王家へ嫁ぐ事を前提に育てられたのですから、むしろしっかり学んでいます。
だから私は作法に則って、そっと目を閉じました。
この一瞬が永遠であってくれたらいいのに―――
そんな乙女みたいな感想を抱いてしまうくらい、幸せな瞬間でした。
書いていて思ったのですが、どうして主人公にはこの乙女要素がないのでしょう?
こんな筈じゃなかったと思わずにいられません。
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今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




