閑話 イローナ・クネフ 9
イローナ回想、最後です。
エルグランデ侯の説得をお姉様に押し付けたわたくしは、その足で王城へ向かいました。先日の夜会、入学式典以外では初めて訪れる場所でしたが、怯んでいる場合ではありません。
何より優先してアドラクシア様との面会を申し込みました。
本来なら急な来訪を受け付けていただける方ではありませんが、わたくしが殿下の婚約者候補であるという根回しは進んでいたのでしょう。殿下の意向を確認した上で、面会が許される事となりました。
勢いで来ましたけれど、門前払いの可能性もあったのです。それでも、じっとしている選択はあり得ませんでした。
「其方から訪ねてくれるなんて珍しいな。側近を待たせているのでいつまでもと言う訳にはいかないが、それでも其方との時間が作れたのは嬉しい」
「忙しいところお時間を割いてしまい、申し訳ありません」
「このくらいは何でもない。其方の為なら時間くらい作ろう」
嬉しそうに受け入れてくださるアドラクシア様に舞い上がってしまいそうでしたが、それどころではありません。
「お姉様との婚約破棄、殿下は受け入れるおつもりですか?」
「………………何の話だ?」
アドラクシア様は驚いた後、険しく表情を変えました。わたくしには向けられた事がないくらい低い声です。
殿下は何も知らない様子でした。
おそらく、お姉様や殿下の周囲の者が情報を止めているのでしょう。実現してしまえば、殿下にとってこれ以上ない醜聞となります。特に殿下の周辺は噂を鎮静化させてエルグランデ侯を宥めようと躍起になっていた筈です。
とは言え、最有力貴族のエルグランデ侯爵家とアドラクシア様を引き剥がそうとする勢力はずっと以前から存在します。
エルグランデ侯の発言力強化を望まない者、アドラクシア様よりアノイアス様の立太子を望む者、中央への権力集中を望まない者、様々な思惑が常に渦巻いています。ただし今回は、殿下を支える側の勢力が、お姉様の扱いに疑問を抱いてしまったから問題が顕在化したのですけれどね。
敵対派閥への怒りを滲ませ、そしてその者達の流言に嵌まってしまったのかと、アドラクシア様はわたくしへ厳しい視線を向けます。その様子を見て、自身の想定は間違っていなかったと確証を得ました。
……やはり、そうだったのですね。
「たった今、お姉様から聞いたばかりの話です」
かすかに感じた胸の痛みから目を逸らし、わたくしは事情を全て説明しました。情報源がお姉様からと知れば、殿下も耳を傾ける他ありません。
「まさか、そんな事に……」
聞き終えたアドラクシア様は、力無くソファに身体を沈めます。
思ってもみなかった、全身がそう語っていました。
勿論、話したのは先日の夜会で生まれた殿下への不審とエルグランデ侯の判断までです。婚約者を放って別の女性に現を抜かしたせいだなどと、わたくしの口からは言えません。
「……! こうしてはいられない。すぐにでも侯爵に会わなくては!」
わたくしが王城へ押しかけたように、居ても立ってもいられないと、すぐに殿下は立ち直ります。けれど、とてもそのままにはしておけませんでした。このままでは誰の為にもなりません。
「会ってどうするのです?」
「……? 誤解だと説明するに決まっているではないか。私はジローシアを軽んじた事など無い、と」
……そうなのです。
この人からすると、本気でそんな覚えはないのです。
「わたくしは、分かります。殿下はいつだってお姉様を信頼しておられました。口煩いと疎んじているようで、苦言を呈してくださるお姉様をありがたいと思っていた事も知っています」
「あ、ああ、実際にその通りだ」
「それを、どうやってお姉様や侯爵に信じていただくのですか?」
「え?」
「話が拗れた今、侯爵を話し合いの場に着かせる事はできるのですか?」
「冷静に考えれば分かる事だろう? 私はジローシアを重用していた。先日の夜会はともかく、普段は彼女を伴って婚約者だと知らしめている。細やかに私を支えてくれる彼女にはいつも感謝して……」
「それをお姉様に伝えた事はありますか?」
「いや、傍に置き続けたのだから、私が大切にしていると言う事くらい伝わるだろう」
……これです。
「何1つ伝わっていません。伝わる訳がないではありませんか。デートに誘った事もない! 贈り物をした事もない! 私的な食事に呼んだ事もない! これで、どうして大切にされていると思えるのです!?」
「い、いや、贈り物ならしたぞ。彼女が欲しがっていた本を贈った」
「知っています。今でも大切に部屋に飾っていると、お姉様が嬉しそうに話してくれましたから。何処からも色気を感じられない魔法書でしたが!」
「……う」
「普通の婚約者は、ドレスや宝飾品を贈るものではないのですか?」
「それはそうだが、私のセンスより彼女に任せた方が確実だろう。それに、着飾って来るジローシアを愉しみにできる……」
「それなら、城に職人を呼んで一緒に選ぶくらいの甲斐性を見せてください! せめて、お粧ししたお姉様を褒めるくらいはしてください。アドラクシア様に会う可能性があるというだけで、お姉様が毎回粧し込んでいるくらいは知っていますよね!?」
「あ、ああ。そう? だな……うん」
目を逸らさずに言って欲しいものです。
そういう事をアピールしないお姉様も問題ですが、そんなお姉様の努力を当然と流すのも酷いです。
そう言えば、お姉様が妃教育を始めたからわたくしは婚約者候補に繰り上がっただけで、殿下からそれを望む言葉は貰っていません。
扱いが婚約者のそれに変わりましたからそういうものかと思ってきましたが、致命的に言葉が足りていませんよね。お姉様に対してだけではなかったようです。
「殿下とお姉様は幼い頃からのお付き合いがありますから、男女の機微に曖昧な部分があったのかもしれません。けれど、だからこそ殿下が、明確な意思をもって線を引いてください。そうでないから、お姉様がいつまでも政略結婚だなどと思い込むのです」
「何!?」
驚くくらいですから、これも寝耳に水だったのでしょう。
そもそもこの件、恋愛結婚の筈のお姉様が蔑ろにされているように見えたから、同派閥から不満が吹き起ったのです。
「そんな事すら擦れ違っているのですよ。殿下も、政治的な判断だけで受け入れた訳ではありませんよね?」
「……ああ。私はジローシアを大切に思っている。私が王族らしくあろうと己を戒めているのも、彼女と共に歩みたいと思ったからこそだ」
「それを、お姉様に告げてあげてください。今回の婚約破棄が流れたとしても、お姉様に政略結婚など受け入れさせないでください」
「それは勿論だ」
「言葉無しに伝わっている筈だ、なんて思い込まないでください。それはただの甘えです。生活を共にしている訳でもないのにそこまで分かり合えるほど、男女は単純にできていません」
そう、単純ではないのです。
「わたくしの事も、ですよね。口を開いても内容は政治や治安の事ばかり、恋愛感情を返してくれない。そんなお姉様の代わりだったのでしょう、わたくしは?」
そもそも殿下が想いを口にしていないのですから、返すも何もないのですけれど。
「そ、それは……」
思った通り、アドラクシア様は否定してくださいませんでした。
多少の自覚もあったのですね。
「構いませんよ。元々大それた夢だったのです。わたくしは感情を隠す事に長けていませんでしたから、優しい言葉をかけているうちに情が移ったのでしょう? しかも、お姉様が妃教育を持ち掛けてきたものだから、退けなくなってしまった」
他の女を傍に置かないで欲しい。
お姉様がそう訴えていたなら話は拗れませんでした。けれどお姉様からすると、わたくしを気に入っていた殿下の望みを叶えようとしただけです。勿論おかしな話ですが、それを言わせてしまったのはアドラクシア様です。
この2人の歪みをもっと早く知れていれば、私から退く事も出来たのです。しかし残念ながら、拗れたままこの日まで引っ張ってしまいました。妃教育に関して殿下から色好い言葉がなかった時点で気付くべきだったのでしょうけれど、当時のわたくしの視野では無理でした。
それでも、まだ遅くない筈です。
「イローナ、それでも其方を受け入れると決めたのは私の意思だ」
「ええ、殿下の情まで疑っていません。しかし、それはお姉様を泣かせる理由にはなりません。わたくしは、お姉様の不幸の原因となるのは嫌です。……いいえ、そんな事は許せません!」
「イ、イローナ?」
「ですから殿下! エルグランデ侯爵に面会を申し込む前に、お姉様をデートに誘ってください。言葉を重ねてお姉様を口説いてください! 婚約破棄なんて絶対にありえないのだと、政略結婚など望まないと、お姉様を落としてください!」
「お、おお?」
わたくしの勢いに引いている場合ではありません。
実際問題として、この2人が婚約破棄に至る原因となってしまったわたくしは、殿下との結婚どころか、明日も知れない身でした。王家と侯爵家を敵に回して、この国に居場所があったとは思えません。アドラクシア様の仮初の寵愛ではとても守り切れなかったでしょう。
けれどそんな事とは関係なく、わたくしを癒しだと言ってくださったアドラクシア様と、わたくしを根気強く導いてくださったお姉様の絆を、壊したくなかったのです。
「……側近を待たせているのでしたよね?」
「あ、ああ。しかし……」
「伝えるべき事は全て伝えました。今はわたくしなどに頭を悩ませるより、お姉様を誘う手紙の内容でも考えてください。頑なになったお姉様の心を、解きほぐすものでなくてはならないのですよ」
未練を残さない事だけが、わたくしの矜持でした。
精一杯に笑顔を作って、お姉様仕込みの立礼で辞意を告げます。
「夢を、ありがとうございました。次にお会いする時は、友人としてお話しましょう、アドラクシア殿下」
―――これが、わたくしを起点として巻き起こった婚約破棄騒動の始終となります。第1王子が婚約破棄されそうになったなんて醜聞は残せませんから、噂には嘘を織り交ぜてあります。
当時ならともかく、時間の流れた今となっては当事者以外真相を知らないでしょうね。
わたくしとしては本当に終わりのつもりだったのですが、実際はもう少しだけ続きがあります。けれどそれは私事です。お姉様にも詳細を伝えていないのですから、アドラクシア様とわたくしだけの秘密にさせてくださいね。
過去回を2,3話挟んで―――などと甘い考えで始めたイローナ回想話、漸く終わりました。
ゲーム風に言うなら、お姉様ルートです(笑)
王子様は舞台装置にしかなれませんでした。彼を活躍させると、イローナが悪役令嬢ものの性悪ヒロインにしかならなかったので……。
もう何回か閑話を続けた後、本編に戻る予定です。
こんな話しか書けませんが、それでも応援してくれると言ってくださる方のブックマーク、評価はいつでも受け付けています。
今後も宜しくお願いします。




