閑話 イローナ・クネフ 7
難産でした。
日付、変わってしまいましたね。毎日更新に間に合いませんでした。
アドラクシア様に手を引かれ、衆人の注目を集めながら2人きりで舞います。
夢の叶った瞬間でした。
「ダンスは苦手と聞いていたが、様になっているではないか」
「殿下とこうして踊りたかったですから。ずっと頑張って来たのですよ」
「ああ。ではその成果を、皆と共に楽しませてもらうとしよう」
こんなふうに小声で交わすやり取りすら、大切な時間です。
あれ程苦手だったのに、音楽に合わせて身体が自然と動きます。これも全て、お姉様の指導のおかげでしょう。
ここに至るまでの苦労は思い出したくありませんけれど……。
「ほう、美しい令嬢だな」
「アドラクシア殿下と並んでも見劣りしませんね。余程丁寧に教え込まれているのでしょうな」
「磨かれる過程の原石といったところかな。研磨の前に見つけたなら、殿下の慧眼だろう」
そんな声も聞こえてきました。
わたくしが成し遂げた事は何一つありません。
アドラクシア様が語ってくださった功績は借り物、所作だってお姉様が誂えてくださった張りぼてです。
それでも、誰かの手を借りればわたくしでもアドラクシア様の妃として相応しく在れるのではないか、そんなふうに舞い上がってしまうくらい幸せな時間でした。
ダンスの後は、次々と夜会参加者が挨拶に訪れます。
音楽は引き続き流れていますが、踊るよりアドラクシア様が婚約を望むわたくしと繋ぎを付けておきたかったのでしょう。
「前子爵の事は残念でした。けれど、こうしてご立派に成長されたならば、御父上達もきっとお喜びでしょう」
「ありがとうございます。ガッターマン伯爵にクネフの名を知っていただけたなら、父も本望だと思います」
「貴女の躍進は、多くの女性にとって希望となるでしょう」
「勿体ないお言葉です」
当たり障りなく、次々言葉を交わします。
学院で噂になっていたくらいですから、殿下に侍る子爵令嬢の事は誰もが把握していたでしょう。わたくしが庶子で、平民生活を送っていたと調べられない訳がありません。
けれど、その事を殊更に取り上げる方はいませんでした。
おそらく、参加者をお姉様が厳選されていたのだと思います。
比較的アドラクシア様に好意的で、下位者に嫌悪感を抱かない、或いは取り繕う事を知っている貴族を揃えたのでしょう。
しかし、何事にも例外は存在すると思い知ったのはこの直後でした。
「いい気なものだな、殿下の寵愛を受けるお嬢様は」
アドラクシア様が席を外した機会を狙って、わたくしに絡んできた貴族が出たのです。キューケン子爵、わたくしへの不満を溜め込んでいた事に加えて、相当お酒が入っている様子でした。
いつかの、アドラクシア様に諫められた令嬢のお父様です。縁があるものですね。
「見違えたじゃないか。女を武器に殿下にしな垂れかかれば生活環境も一変する。楽なものだな」
女性蔑視に加えて、明らかに殿下への侮辱です。
会場中が一斉に冷えたのですが、それに気付く事ができる精神状態ではないようでした。
「お前等がドレスだ宝石だと自分を飾り立てるのに夢中になっている間、オレ達は金融だ交渉だと振り回されてるんだ。それを、苦労も知らない坊ちゃん嬢ちゃんが台無しにしやがって……」
そう言えば、あの御令嬢はアドラクシア様の目に留まろうと無駄に着飾っていました。少なくとも、彼の娘さんはそのあたりの苦労を分かってなさそうに思えます。
だからと言って、わたくしを同類扱いしないで欲しいのですけれど。
泥酔していて要領を得なかったのですが、要するに、彼は魔石の定期買取によって生じる差額で利益を得ようと目論んで、敢え無く失敗したようです。
あの方策は、魔石価格の変動幅を抑えて安定供給を目指すものです。
魔物の発生状況は読めませんから、魔石はギルドで設定された魔物ランクに応じた値段となるのが一般的でした。そのせいで冒険者は、確実に高価格で取引できる質の高い魔石、できるだけ高位の魔物を狙う傾向が強くなります。そして高品質魔石の買取りが重なった場合は、中・低品質魔石価格は下がる傾向があったのです。
けれど、買取り価格が下がると供給低下に繋がってしまいます。
そこで、定期的な定量買取りを冒険者ギルドへ提案しました。
期間ごとの必要量が分かっているなら、ギルドはその状況に応じて仕事を冒険者に斡旋します。量を集めれば十分な稼ぎになるなら、冒険者が危険を冒す必要もありません。高位魔物へは、金銭の為でなく冒険者ランクや名声の為に挑めばいいのです。高品質魔石は使用の機会が限られますから、魔塔や民間の研究機関に買取りを任せます。あくまでも目的は、国の主要機関への安定供給でした。
ただし買取り量と価格は、近年の魔物分布状況を参考にして決めます。依頼書発行の段階で設定しなければいけませんから、実際の採取量とは差額が生じます。その損得を吞む事で変動幅を下げる試みですが、まだ試行段階でした。
子爵はこの試策を自領で模倣し、価格設定を読み違えたのでしょう。
自業自得には違いありません。
しかし、この施策にはわたくしの所感が入っています。
間接的に私のせいで、キューケン子爵は損失を被ったとも言えます。
途端に、自分の置かれている状況が怖くなりました。
わたくしの意見1つが、富も困窮も生むのです。
アドラクシア様の寵愛に浮かれているだけでいいのかと、恐ろしくなりました。
「話になりませんね」
え!?
戸惑うわたくしと、理不尽に憤る子爵を切って捨てたのは、お姉様でした。
いつの間に会場に入ったのか、濃紺のドレスに身を包んだお姉様が割って入ります。
「陛下に領地を任された身でありながら、施策の結果に責任を持たず、発案者となった令嬢へ酔って詰め寄るなど、恥を知りなさい! 子爵領が貴方の手に余ると言うなら、殿下に領地返還を進言しましょうか?」
「あ、や、いえ……」
殿下のいない時を見計らってわたくしに絡むくらいですから、お姉様の迫力に敵う筈がありません。子爵はしどろもどろになりながら、広間から出て行きました。
「あ、ありがとうございました」
「できるなら最後まで壁の花に徹しているつもりでしたが、あの程度の輩に腰が引けてしまったようでしたから、黙っていられませんでした」
お姉様の厳しい視線は、子爵の次にわたくしへ向かいます。
「しっかりしなさい。アドラクシア様の庇護を受けながら、どうして毅然としていないのです? 貴女への侮辱は殿下への侮辱でもあるのですよ?」
この日、わたくしは殿下のパートナーでしたから、わたくしへの非難は同行を許した殿下にも及びます。
確かに、怯んでいる場合ではありませんでした。
「すみません。ただ、あの人の状況にあたしの意見が絡んでいると知ってしまったら、途端にどうしたらいいか分からなくなってしまいました」
「何を言っているのです? キューケン子爵の失策を、貴女が気にする必要などありません。いえ、気にしてはいけないのです」
「え?」
「私が勝手に動いたとはいえ、貴女が切っ掛けである事は否定しません。しかし、全てにおいて成功を収める良策なんて存在しません。国の為になると思って提案したなら、その結果がどうあれ、私達は受け止めるだけです。失敗を反省し、改善策を考える事はあっても、個別の事象を気に病むなどあってはいけません。まして、人前で狼狽えるなど論外です」
「あ―――」
改めて、人目に晒されているのだと気付きました。
そして、彼等は私達の後ろにアドラクシア様を見ています。
「思い出したみたいね。私達が弱気を見せてしまったら、アドラクシア様の失敗を認める事になります。これから先、あの方の判断で誰かが死ぬかもしれない。立ちいかなくなる領地が出るかもしれない。それでも、それが国を前に進める為の決断だったなら、私達は受け入れなくてはなりません」
「ジローシア様は、それを躊躇わないのですか?」
「ええ、勿論。アドラクシア様と共に国を支える覚悟、それこそが殿下の隣に相応しくあると言う事ですから」
言い切るお姉様を、遠いと思ってしまいます。
アドラクシア様の妃として相応しくなれたのではないか、つい先ほど抱いた自信が、あっけなく崩れ去るのが分かりました。
「イローナさんはどうです? その覚悟を持てますか?」
「……正直、現段階で持てるとは言えません。それでも、退きたくもありません」
これが私の精一杯でした。
「想定外の酔客が出たとは言え、今日の夜会に合格点はあげられませんね。まだまだ教える事は多そうです」
「はい。でも絶対にジローシア様のようになって見せます。なりたいって今日こそ思いました。だから、これからもあたしを導いてください、ジローシアお姉様!」
「おねっ!? ……ま、まあ、貴女は私の弟子……可愛い妹分でもありますから、姉呼びも良いでしょう。けれど、手加減はしませんからね」
「はい!」
進むべき道の困難さを改めて知った日―――。
わたくしがお姉様にはっきりと憧れを抱いた日―――。
―――そして、お姉様が初めてデレた日でもありました。
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