閑話 イローナ・クネフ 6
イローナ視点、続きます。
今度夜会がありますから、時間を空けておきなさい。
お姉様にそう言われたのは、妃教育が始まって半年ほど経っての事でした。
表舞台に立てるだけの評価をお姉様から得られた喜びと、アドラクシア様に伴われて貴族の前に立つ緊張で震えました。
この頃には、正式に王子としての執務に就く為の前準備にアドラクシア様は奔走し、お会いできる機会はすっかり減っていました。逆に妃教育は毎日の事ですから、お姉様と過ごす時間はどんどん長くなっていました。
熱心に私を導いてくださるお姉様との間には、確かに絆が生まれていたと思います。
夜会当日のドレスも王城へ向かう専用車両も、全てお姉様の手配です。
クネフ家の財力ではとても用意できるものではありません。それらもアドラクシア様の為に必要な出資だと言って、全て揃えてくださいました。
わたくしは学院寮から車に乗り、流されるままに王城へ向かうだけです。
当たり前ですが、王城の夜会に参加するなど初めてでした。
緊張と向き合いながら控室で入場時間を待つわたくしのところへ、迎えに現れたのはアドラクシア様です。
「イローナ、そう言った装いも似合うのだな。淡い緑に白い花飾りが、其方の淑やかさを際立てている」
殿下はドレスを褒めてくださいましたが、わたくしはそれどころではありません。
今日の夜会は、パートナーが必須となるほど格式の高いものではないと聞いていました。ですから、わたくしは1人で入場するのだと思っていたのです。
アドラクシア様が迎えに来てくださるなんて、聞いていません。
「で、殿下!? ジローシア様は? 今日はジローシア様とご一緒ではなかったのですか?」
お姉様がいるなら、殿下と共に広間へ向かうのは正式な婚約者であるお姉様です。わたくしは添え物のように傍に控えればいいのだと、勝手に思い込んでいました。
「……私もそのつもりだったのだがな、断られてしまった。公の場に一度も伴わないままイローナを妻として迎えるつもりなのか、とな。家の格が足りないからこそ、私の寵愛を周囲に示して其方を認めさせなくてはいけないそうだ」
確かにその考え方は一理あります。
わたくしがお姉様から王妃教育を受けて及第点をいただいていたとはいえ、あくまでも非公式のものです。アドラクシア様がわたくしとの婚約を望んでくださっているのだと公にして漸く、婚約者候補としての資格を得られます。
けれど、それは正妃の考え方です。
アドラクシア様を公私に渡って支える配偶者の扱いです。
お姉様が本気で、わたくしと同じ立場に並び立つ未来を望んでいるのだと、この日改めて思い知りました。
わたくしはまだ何処かで甘えていたのです。
お姉様と並ぶには、まだまだ足りていません。だからいつか追い付きたいと思いながらも、今はまだ敵わないと諦めの気持ちを抱いていました。きっと、お姉様はそんなわたくしの気持ちを推し測っていたのでしょう。
逃げ場のない場所へ、放り込まれていました。
もっとも、わたくしの目の前にはアドラクシア様がいます。逃げる、なんて選択肢はあり得ません。
そんなところまでお姉様に読まれていた気もしますけれど、ね。
「アドラクシア様、エスコートをお願いできますか?」
「勿論だとも。其方の愛らしさを、広間の貴族に見せつけに行こう」
わたくしは殿下に手を引かれるまま、広間へと向かいました。
夜会の場には既に大勢が揃っていました。
殿下の入場が最後ですから当然です。
人数的には学院の入学歓迎式典の方が多いですが、参加者の貫録が違います。そのままの意味で子供と大人、顔と名前だけは存じ上げている要職の方も多く視界に入りました。
その視線が一斉に殿下へ向きます。
そして伴っているのがお姉様でないと気付いた瞬間、訝しげにわたくしを見定める視線へと変わるのです。
正直、逃げ出したいほどの圧を感じました。
けれどアドラクシア様の手から伝わる温かさが、大丈夫だと後押ししてくださいます。
わたくしの為に時間を割いてくださったお姉様に恥じる真似もできません。
「皆に紹介しよう。イローナ・クネフ子爵令嬢だ。まだ学院生の身だが、近い将来、私を支えようと努力を重ねてくれている。幼年支援学級の設立や、魔石の定期買取は彼女の意見を基にしている。私の視野を広げ、新しい風を入れてくれる女性だ」
アドラクシア様はわたくしの功績として喧伝してくださいましたが、本当に切っ掛けを口にしただけです。特に後者はお姉様でしょう。魔石の価格変動による駆け出しの冒険者の苦労話を、休憩中に少し零した覚えだけがありました。
「イローナ・クネフです。非才の身ではありますが、見識を深め、国家の発展に献身したいと思っております。ご指導ご鞭撻いただければ幸いです」
わたくしは全身に神経を集中させて一礼しました。
たった1つの動作にここまで心を配ったのは初めてです。
礼儀などある程度が修得できて、相手に不快感を与えなければ十分ではないかと零したわたくしへ、お姉様は言いました。
―――初対面で、何をもって人となりを判断すると思うのですか? 作法とは積み重ねです。一朝一夕に身に付くものではないからこそ、完璧な所作は信頼を生むのです。僅か数秒が与える印象を疎かにしないなら、その者を信用していいかもしれないと敷居を下げられるのです。言葉を重ねるより余程興味を引ける機会を、無為にする気ですか、と。
わたくしの挨拶で、いくらか場の空気が和らいだのが分かりました。
品定めする視線は感じますが、アドラクシア様の隣に立つわたくしを侮る様子は消えました。
僅か一礼が生む効果。
貴族には限りがありますから、何度も使える手段ではありません。それでも軽んじる事なく、わたくしを躾けたお姉様の凄さを、改めて思い知ったのでした。
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