貴族と王族と
一旦フランを呼んで紅茶を交換してもらい、気分を変えて仕切り直す。
香りを楽しみながら、折角自分の領地を手に入れたんだから、私用の紅茶農園なんかも作りたいと妄想する。まずはどんな作物が適しているのか把握するのが先かな。
「それで、呪詛魔石の件が本題ではありませんよね?」
大事には違いないけれど、王都を離れた私へ王族自ら知らせに来るほどじゃなかった。私の虚属性研究の進捗次第で、何か糸口があるかもって程度の期待だったと思う。どちらにせよ、このくらいなら定期報告で事足りている。
「はい。今日は、恥を忍んでお願いに参りました」
気持ちを定めたのか、イローナ様は姿勢を正して私を見据えた。
ジローシア様の件で安堵を得られたからか、普段の溌剌とした瞳が少し戻った気がした。
「スカーレットさん、お姉様の代わりにアドラクシア様を支えていただけませんか?」
「……」
予想していた内容の1つだったから、殊更驚く事はなかった。
殿下の第1夫人になってほしいのだと、意図を読み違える事もない。
「お断りします」
迷いなく、期待を抱かせる事なく端的に拒絶した。
けれど、イローナ様はそれで引き下がってくれなかった。王族であると忘れたみたいに頭を深くして懇願する。
「わたくしが邪魔なら、離籍しても良いと思っています。アドラクシア様も説得して見せます。お姉様を忘れろ……とまでは申し上げられませんが、あの方の寵愛は貴女だけのものです。ですから、ですから……どうか!」
「……今の私は子爵です。この領地を、ジローシア様の願いを捨てろ、と?」
あえて、嫌な言い方で返した。
「成人までは領主を務め、その後は代わりの者に任せられませんか? 貴女に負担を強いる分、できる限りの融通は利かせます」
ジローシア様の名前を出せば怯むかと思ったけれど、私の対応は織り込み済みだったみたい。
私に縋ろうとした事自体は間違っていない。
貴族階級の頂上に君臨する侯爵家は、王家を支える為にある。その意味では、分家として血筋を守る事を第一とする公爵家より重い責任を負っている。宰相として国政を取り仕切る、司法を握る、歴史を遡れば軍事面のトップだった事もある。
当然、王妃として国を支える事も含む。そして現在、適齢期の近い侯爵令嬢は私しかいない。
慣例に則るなら、私は王族に嫁ぐ役目を期待されている。席の空いたアドラクシア殿下の隣へ、私の政略結婚を望む流れは正しい。
「一度は第3王子との婚約を覚悟していましたから、そう言った話が来るだろうとは思っていました。けれど、無理です」
私はソファから立ち上がり、窓から工事中の様子を眺める。巨木が使える事を前提として、加工場の建設が始まっていた。
「こうして自分の土地を持って、つくづく実感しました。人々と関わり合える距離感が、私には向いています。街を歩いて誰かと知り合い、村のお祭りに参加して絆を深め、彼等と一緒に豊かな未来を作りたいと思っています。ですから、王城からでは遠過ぎます」
私も、国政に携わる教育は受けている。
ノースマークでは、私がどんな未来へも進めるように選択肢をくれた。当時は頭がパンクするかとも思った教育方針に、今では感謝もしてる。
更に私はお父様の背中を見て育った。
これも派閥が割れた影響なのだけど、お父様は爵位を継ぐ前から国政から距離を置いていた。侯爵としての役割は貴族関係の調整に留め、王家と深く関わる事をしなかった。広い侯爵領を栄えさせる事で、金銭的に国へ貢献してきた。
そんなお父様を参考にしたものだから、私の貴族観は領民と結びついていたみたい。
領地って受け皿の反対側に、国を載せようとは思わなかった。
「陛下から賜った子爵としての責任を放棄するつもりはありません。王城に私の居場所はないでしょう」
もっと上の爵位を、できるなら王配にって向上心を持つ人もいると思う。でも私はそんなふうに望めない。
「それに私が王族入りの意思を見せると、派閥間の闘争は激化すると思います。政略結婚であるなら、アドラクシア殿下でなければならない理由はありません。ファーミール様が伯爵家出身で地盤が弱いのはアノイアス殿下も同じですから、私を巡って争うでしょう」
「それは……」
女性としての期待はゼロで、政略結婚の道具としての価値だけ高いとか嫌すぎる。私を巡って争うのに、愛はないとか酷いよ。
「更に私は侯爵令嬢で、既に多くの功績を上げています。どちらかを味方すると言う意思を見せれば、それはそのまま叶うでしょう。それは同時に、魔導士が国政を左右する事でもあります。魔導士の言いなりで国が動く前例を、作るべきではないと思います」
私が引き籠っている状態が、一番平和に収まると思う。
ちょっとどころではなく、影響力を広げ過ぎてしまった。
「そう……、ですね。立場を失いつつあるアドラクシア様に何とかしてあげたい一心でしたが、考えが浅かったようです」
イローナ様はそう言った事情が分からないほど愚かじゃない。
どうにもならないのだと知って、悔しそうに俯いてしまった。
残念ながら、私は力になれない。
でも、背を押すくらいならいいかな?
『しっかりしなさい、イローナ!』
「! ……お姉様!?」
私が活を入れると、イローナ様はビクリと身体を震わせた。慌てて顔を上げると、ジローシア様の幻想を探す。
ちなみに声真似じゃないよ。
虚属性の作用で軽い催眠状態を作ったから、イローナ様にはジローシア様の声が聞こえたと思う。
「貴女に王妃教育を施したのは誰ですか? 共にアドラクシア殿下を支える役目を望んでいたのは誰ですか? 側妃や愛妾ではなく、第2妃として迎えたのは誰ですか? お茶会での基本を教え、情報を引き出す技術を仕込んだのは誰ですか? 公式の場へ、必ず貴女を伴ったのは誰ですか? あの方が代わりを望むのは、本当は誰だと思うのですか?」
「え? え? え?」
「イローナ様しかいないではありませんか! 私が立ち入る隙が何処にあると言うのです? あの方と過ごした時間を、無為に捨てるおつもりですか?」
成功体験は絶対的に足りていない。
ジローシア様がいたなら、傍に控えるだけで済んだかもしれない。
それでも、教育が不足する第2妃を常に侍らせるなんて、あの方は決してしなかった。
「アドラクシア殿下が落ち込み、塞ぎ込んでいたなら、ジローシア様ならどうしたと思いますか?」
「……叱ったと、思います。アドラクシア様が辛い思いをしているなら、尚更お姉様は厳しく接していました」
「こうして私を頼る事を、ジローシア様は何と言うのでしょう?」
「……王族は誰かを頼るのではなく頼られる立場なのだと、滾々とお説教です。私が分かったと言うまで、朝までだって付き合ってくれたと思います」
「こんな時、ジローシア様は誰を頼りましたか?」
「派閥の友人です。きつい状況だからこそ、絆を深めるのだと……」
「分かっているではありませんか。分からない筈がないではありませんか。あの方と一番長く居たのは、他でもない貴女です。その貴女が、今立たないでどうするのです!? こんな日が来る事は、あの方も望んでいなかったかもしれません。けれど、備えを怠る方ではありませんでした。その為に、常に貴女を鍛えてきたのではないのですか?」
何で私が伝えてるんだろうね。
喝を入れるのは本来殿下の役目だから、今度会ったら殴りたい。肝心の伝達が足りていないジローシア様にも、墓前で愚痴くらいは聞いてもらおう。
「で、でも、私にできる事なんて多くありません。とてもお姉さまのようには……」
「周囲を頼ればいいのです。その人手は、ジローシア様が用意してくれている筈です。頼って、任せて、押し付けて、国が上手く回る事だけを考えるのが王妃の役目です。ジローシア様なんて、私まで都合よく使っていたではありませんか。責任を負うのなら、それができるだけの権限を持つのが王族でしょう?」
「わたくしに、できるでしょうか?」
「できるかどうかではなく、まずは進む事です。結果は後からついてきます。その責任から逃げないのなら、きっと信頼も得られる筈です」
「スカーレットさんは何でもないように言いますね。逃げない……そんなに簡単でしょうか?」
「簡単ですよ。逃げた先で、ジローシア様に顔向けできますか?」
「―――!」
軽く請け合うと、イローナ様はポカンと固まってしまった。
多分イローナ様にとっては、周囲の重圧なんかよりジローシア様の期待の方がよほど重いと思う。記憶にしかいない人の願いに、際限なんてないしね。
「この先、ジローシア様の想いに背を向けて生きていけますか?」
「……狡いですね。そんなの、答えは決まっています」
「心外ですね。イローナ様をそんなふうに仕込んだのは、ジローシア様では?」
「ええ、お姉さまです。お姉様が望んだのですから、あたしにとっては絶対です! ……思い出させてくれた事には、感謝します」
なら、帰って最初にする事も分かるよね。
「ここに来た事、無駄だったとは思いません。けれど、わたくしは急いで帰らないといけませんね。アドラクシア様にも立ち直っていただかなくてはなりません。お姉様が原因で王位が遠ざかるなんて、あってはいけませんから」
イローナ様は大粒の涙をこぼしながら、それでも決意を口にした。
震える拳は、きっとアドラクシア殿下も叩き起こしてくれると思う。
これで、少しはジローシア様に恩を返せたかな?
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