閑話 崩れ去る現実感
オレの名前はゾフ。
姓はルトラだったと、最近仕事で必要になって思い出した。山間で農家を営んでいるくらいじゃ、姓なんぞ名乗る機会もないからすっかり忘れてたよな。
親父とお袋が何を考えていたのか、俺の上に5人、下に3人もこさえてくれたおかげで、ついこの間までは食べるにも困る有様だった。畑があっても土は瘦せ細っているし、せっかく作った麦もほとんどを税金で取られて、我が家にはほとんど残らない。そもそも種麦を揃える金も碌にないから、収穫量も増やせなかった。
今後も弟妹を食わせる事を考えれば出稼ぎに出るしかないと、すぐ上の兄セブ、アスと一緒に覚悟を決めていた。
もっとも、この辺りにゃ働き口なんてねぇから身売りも視野に入れていたところ、年を明けてすぐ、村長に金を貸してくれる奇特なお貴族様が現れた。
おかげで腹一杯とは言えないまでも、今年は十分にパンが食べられた。おまけに冒険者様が時折猪や鹿を差し入れてくれるもんで、食卓が随分改善した。
これでオレ達が出稼ぎに出る必要もなくなったかと言うと、そんな事はない。
上の兄貴2人と姉貴は所帯を構えているし、うちの畑に対して食い扶持が溢れちまっている。弟達が喰い盛りで、兄貴に子供までできちまった事を考えると、オレ達は早々に家を出る必要があった。
そんな折、領主様が変わったと知らせがあった。なんでも、この村はこれまでとは別の名前の領地になるという。オレは前の領地の名前も覚えてねぇから、どうでもいいがな。
それより、税率が急激に下がったばかりか取り過ぎだったと、今年納めた一部が戻ってきて村中が沸いていた。
そして、新しい領主さまが住む街を作るから、人足を募集すると言う。
これだ! と思うと同時に、問題もあった。
「1人……無理して2人、だよな」
セブの兄貴が難しい顔で言う。
この村から、建設予定だという場所は遠い。
この1年足らずでちょっとばかり楽になったとは言え、3人分の旅費を捻出するのはきつい。どれほど稼げるかも分からないのに親父達に無理を強いたんじゃあ、何の為に働きに出るのか分からない。
結局、セブが代表して新領都へ向かい、仕送りの額次第でオレ達も後を追う事に決めた。
まあ、そんな心配事は、空飛ぶお迎えが来た時点で何処かへ吹っ飛んで行ったんだが……。
「最近のお貴族様は空を飛べるんだな」
「兄貴、今は俺達も飛んでんぞ?」
「いつから、魔法と夢がごっちゃになったんや?」
オレ達がポカンとしている間に、3人揃って現場に着いた。なんと、この仕事は通いだったらしい。
そこには、同じように現実を受け止めきれていない連中が、大勢集まっていた。
驚く事は、これで終わらねぇ。
1日が終わって給料袋を受け取りゃ、その中身に戸惑ってしまう。
「多過ぎねぇか、これ?」
「うん? 規定通りの支払いですよ。君は地属性で工事に貢献してくれていますから、その分、手当も追加してあります」
この仕事はお貴族様の雇われになる。
役人の数え間違いで多めに入っているだけだとしても、着服が後でバレたら大事になっちまう。最近、不正を働いていた役人を領主様自ら捕らえたって噂を聞いたばかりだしな。
俺は慌てて確認を願い出たが、係の奴はちらりと見ただけで問題ないと流してしまった。
つーか、手当って何だ?
「いいのか、これ? 多めに家に入れても、半分近く残るぞ?」
「俺もおかしいと思って訊いたよ。これまでが少なかっただけで、これが当たり前なんだと」
「本当に!? 明日からも人を呼ぶ為の見せ金じゃないの?」
警戒するオレ達だったが、次の日も、その次の日も、給料袋の厚みは変わらなかった。
その話はあっという間に広がって、作業の人手はますます増えた。それでも、給料が減る様子はなかった。
その甲斐あってか、工事はみるみる進む。
オレ達の魔法ではとても削れない岩盤も、軽く融かしてしまう魔道具なんてものもあったから尚更だった。
きつい・汚い・危険を覚悟していたが、そんな要素は何処からも出てこなかった。休憩時間は定期的にくれるし、昼食もボリュームがあってその上美味い。土には塗れるが、作業着は洗ってくれるし、作業後にはシャワー設備も使える。あの綺麗な飛行列車を汚す気にはなれねぇから、いつもシャワーは人気だった。こんな事で魔力を無駄遣いしていいのか?
そして、待遇が良いからってそれに応えようと無茶をする奴は、逆に叱られていた。なんでも、怪我人を出すなと言い付けられてる上に、噂の回復薬が山と用意してあるらしい。
「お貴族様って、オレ達の事を消耗品くらいにしか考えてないんじゃなかったか?」
「さてな? 何か裏があったとしても、これだけ良い思いをさせてもらってるなら、従っても良いんじゃねぇの?」
一度は身売りまで考えたんだから、ここまで稼がせてもらった時点で目的は果たしている。セブは細かい事を気にするのは止めたようだった。
「何が不満って、金が貯まる一方で使い時がないってくらいやからな。こんな贅沢な悩みを持つなんて、ついこの間までは考えられんかったやんな」
アスの兄貴が呆れながら笑う。
金の使い道を考えた経験すらなかったよな、オレ達。
「パーっと使ってみたい気もすっけど、ここらには何にもないし、村に帰っても大した店もねぇしな」
「いっそ、いつもとは違う列車に乗って、何処かの町へ行ってみるか?」
「知らない町は怖いよ。休みの日に外へ出たんでいいんやない?」
「近くにお店や酒場があるなら、皆さんのやる気に繋がりますか?」
懐が温かいと余裕も出てくる。
お金は貯まっても身体は疲れてきたのもあって、自分達へのご褒美を考えていたところに、話しかけてくる女の子があった。
スポーツ着と言うのか、赤い衣装に身を包んだ可愛らしい女の子、何処かのお役人の妹さんが手伝いでもしているんだろうか。
滅茶苦茶綺麗な子で、最悪、紛れ込んだ貴族の子って心配までしてしまう。
「疲れた後一杯やれたら、次の日も頑張ろうって思えるよ。今日を乗り越えれば酒が待っているって気合も入る。美味い酒が飲めれば、またこの為にって目標にもなるってな」
彼女が誰なのか、セブは気にする事なく希望を口にした。
「酒の事なんか語って、この子に分かるのか?」
「いいんじゃねぇの? ただの雑談だって。俺達に話し掛かけてきたくらい、暇を持て余してたんだろ」
確かに、女の子が気分を害した様子はない。
そんなら、少しくらい付き合ってもええか?
「でも、お酒なんか飲んでたら、帰りの列車に乗り遅れるんやない?」
「そん時はその辺に寝る……のは拙いか?」
「凍えるぞ」
冬が深まってきてるって、忘れたらいかんぞ。
「その時は、宿泊施設も必要そうですね」
「ああ、それはありがたいやんな。この時期はテントって訳にはいかんから、土魔法で家作る許可くらいは欲しいね」
「酒があるなら、当然美味いもんも欲しいよな」
「昼食は美味いけど、午後も作業があるのに酒って訳にはいかんからな」
「間違いなく、監督に叱られるやろ」
「稼いでるからな、帰って村の食堂ってのもさみしいよな」
塩を振った芋と干し肉だけじゃ味気ない。
つい1年前は、そんなもんすら贅沢品だったけどな。
「なるほど、多少の贅沢も必要、と。他には何かありますか?」
「弟達にお土産なんかあると、ありがたいやんな」
「お土産……お弁当やお菓子などでしょうか?」
「十分、十分。あと、おつまみなんかがあったら最高だな」
「結局、酒じゃねぇか」
何だかんだと色々脱線しながらも、思い付く限りを意見してみた。流石に、女を抱きたいって口にするんは避けたが。
「ありがとうございます。何とかできるよう、考えてみますね」
そう言って女の子は、ぺこりと綺麗に頭を下げて去って行った。
「何やったんやろ、あの子?」
「さあ、な。大好きなお兄ちゃんの役に立ちたかった、とかじゃねぇの?」
「兄貴が待遇改善について洩らしてたってとこかな」
なんて話しとったら、現場監督に殴られた。
「馬鹿野郎! あの方は領主様だぞ!?」
「「「え゛?」」」
只事じゃないくらい可愛かったけど、小さな子供だったぞ?
領主の子ですらなくて、領主本人とかあり得るんか?
監督には懇々と言い聞かされたけど、とても信じられんかった。
それがどうしようもなく現実だと思い知ったんは、オレ達の要望がほとんど通った後になった。
雑貨屋の品揃えはスゲェし、屋台の料理とかメチャクチャ美味い。俺らが言った事のずっと上が叶ってたわ。
「オレ、ここに住んでもええかも」
「馬鹿、領主様の屋敷も建ってないのに、個人が家を持てる訳がないだろう。飛行列車の宿泊で我慢しとけ」
願望を駄々洩れにしたら、監督に窘められた。
「いやいや、あんな快適空間、いっつも利用してたら他の家に住めんなるって」
「ははは、明らかに我々の領分を越えてるからな」
作業従事者は格安で泊まらせてもらえるけど、布団とか気持ち良過ぎて一瞬で朝だったりするもんな。身の丈に合ってないものは恐れ多いって学ばせてもらったよ。
「いつかあんな生活をするんだって息巻いてる連中もいるから、オレ達を奮い立たせるって当初の目的は果たせたんだろうな」
「工事が予定より順調だって、喜んでいたらしいぞ」
「……本当にあの子が領主様なんだな。子供に責任押し付けて、親とか何してんだ?」
「ご両親は北の侯爵様らしいぞ? 領主様はご自分の才覚でこの領地を勝ち取ったそうだ」
「10代前半ってとこだよな? 何したら領地を貰えるんだ? 王様が認めたって事だろ?」
「聖女で、戦争の英雄で、おまけに大魔導士様らしいぞ」
「……訳分かんねぇ」
この時は理解を諦めたオレだったが、オレ達の領主様がとんでもないと、どうしようもなく分かってしまったのは一部の土地を耕し始めた時だった。
「領都を作ってるんじゃなかったのか? こんなところに畑でも必要なのか?」
「トレントを植えるらしいぞ、兄貴」
地属性に適性がある俺にも仕事が回ってきた。だから、何の為の耕地かも知っている。
「は? トレントって魔物だよな? 街で魔物を飼うのか?」
「そんなん、分かる訳ないやん。でも、兵士になるんだって訓練してる奴らが捕獲に行ったのは確からしいよ」
「オレも、今日は植樹するから危険だって追い払われたしな」
女の子領主様が来ている為か、全体的に作業を止めて休憩時間に入った。
屋台で買った軽食を片手に様子を窺う。
「……確かに、樹っぽいものを植えてるな」
「危なくないんやろか?」
「さて? ここには魔物が寄って来ない処置をしているらしいから、何か対策があるんじゃ―――って、え!?」
暢気に見学できたんはそこまでだった。
植えた樹の1つが急激に成長を始める。とても自然ではあり得ない速度で周囲を呑み込み、何処までも高く伸びてゆく。
ずっと離れている筈なのに視界に収まらないほどの巨木が、突如として出現した。
「…………世界樹って、あんな感じだったけ?」
「それ、お伽話やろ?」
「いや、でもあれ、現実に見えるか?」
「―――」
「―――」
困った事に、誰も答えを持ち合わせとらんかった。周囲含めて、呆然と幻想の産物を見上げる事しかできない。
オレ達、一体何に巻き込まれたんだろうな。
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