エノクと帝国のその後
学院生なのに学院に居る事を珍しがられながら、貴族と面会する忙しい日々を過ごした。戦争での成果も含めて、虚属性研究の経過も報告しないといけない。
とは言え、帰って来た目的はマーシャの結婚式なのだから、その日、私は出席用のドレスの確認へ向かっていた。私が王都に居なかったものだから、最後の仕上げが止まっている。
途中、見知った顔と遭遇した。
別に用はないけれど、避けたと思われるのも癪なので声をかける。
「あ、エノク」
「……相変わらず君は遠慮がありませんね。学院の者達は、今でも元皇族扱いしてくれるのですが?」
「無くなってしまった過去の立場へ敬意を示すのも良いですけど、王国貴族との結び付きを示すのもいいんじゃないですか?」
「それで愛称呼び、ですか」
帝国の元第4皇子イーノックは暗殺事件、皇弟アウグストの下剋上後、王国に亡命した。
皇族の立場は過去のものなので、私が無闇にへりくだる必要はない。
遠距離連絡の魔道具で工作員についての苦情を入れたら、全ては先帝ヘンリーの責任で、その妻子も処刑するから留学中の皇子も引き渡せと言われたらしい。
そこで念の為に皇子の意向を確認したところ、亡命を希望したのだとか。暗殺は先帝も了承してたそうなので、そんな親と首を並べる義理はないよね。
「確かに、今の僕はただのイーノックです。側近にすら見捨てられた僕には敬意など相応しくありませんね」
自虐で微笑むエノクの様子は弱々しい。
ついでに、私や、周囲の令息令嬢への態度も改めてある。
側近にも皇子と一緒に亡命する気はあるのかと聞いたところ、文官1人を除いて全員が帰国を望んだと言うのだから笑えない。護衛として役に立たなかったばかりか、皇族の側近なのに忠誠もなかったらしい。
帝国が戦争で敗北して、更に立場を失くすところまで読めていたかは知らないけども。
帝国は今後、王制を廃して議会制へ移行する事が決まっている。
王国としては、帝国を占領したり属国扱いするつもりはない。帝国に代わって皇国と睨み合うより、帝国を緩衝材にする事を選択した。
余談だけど、今回の勢いで皇国も制圧、大陸全土を支配するべきという意見もあったらしい。でも、戦争を支持していたアドラクシア殿下がはっきり否定した事で沈静化した。
矛を収めなかった場合、臨界魔法で穴が空くのは、彼等のお屋敷だったかもしれないね。私を人間兵器扱いするのなら、その性能を間近で見せてあげようと思っている。
もっとも、王国の影響を完全に放棄する気はないので、現状は帝国の主権を残す形で恩を売り、将来的には王国で教育したエノクを帝国議員として戻す計画となっている。
皇帝の血統はエノクだけになるので、帝国はこの受け入れを拒否できない。皇帝はいなくなっても、帝国の歴史を象徴する血筋には価値が残る。
子爵で魔導士になる私がそんなエノクと対立して見えるのは後々の禍根を生みそうだから、個人的な好悪は置いて関係を取り繕う事にした。
国の方針に異を唱えるつもりもないし、私がエノクを嫌いだからと、信奉者が勝手に慮って帝国へ悪意を向けられても困る。
それはそれとして、私には気になる事がある。折角だから、この機会に振っておく。
「私、エノクに聞きたい事があったんです」
「なんでしょう?」
「エノクは王国で次々開発される魔道具について、帝国へ定期的に報告していたんでしょう?」
「ああ。王国というか、ほとんど君についてだったけれど」
以前に冒険者ギルドで遠距離連絡の魔道具を借りていたからね。強化魔法練習着について探ろうとしたせいで、クランプルドレイクも毟り取られた。
「ニンフとかいう工作員も、独自の連絡手段を持っていたと聞いてます」
「そうだね」
「侵攻中にモレキュラーって将軍に聞きましたけど、ワーフェル山が消滅した件も、帝国の首脳に伝わっていたそうです。その状況で、どうしてまだ争おうと思えたのでしょう?」
「……何となくではあるけれど、分かる気はするよ」
できるなら、あの時点で折れてほしかった。
私には全く理解できない。
抗う意味があるとは思えなかった。
同じ血を引くエノクならもしかしてと尋ねてみたら、意外にも肯定の言葉が返ってきた。
「教育の影響が大きいと思う。帝国の全般がそうなのだけれど、王国が敵だと刷り込まれるんです。王国に負けてはならない。帝国の窮状は王国のせいだ。王国が国境を押し返したから帝国の状況は悪くなった、と」
「国境の件は300年近く前では?」
エッケンシュタイン博士の活躍で起こった技術革新を契機に侵攻している。王国人的には今更感があるよね。
国家間の対立を煽る事で国内意志の統一を図るのは政治手法の1つではあるけれど、帝国の場合は行き過ぎを感じるかな。
「僕も、今なら理解できるよ。でも帝国では疑問に思う事すら許されなかった。全て王国が悪い。だから、帝国は全てにおいて王国に勝っていないといけない。理屈ではないんです。現に僕も王国を下に見ていた。君も見た通り、1年前の僕にとっての融和とは、この国の文化を、技術を、帝国の為に利用する事でした」
凄い説得力だね。
去年、この人は何をしに来たのだろうと疑問だった事はちょっと忘れられない。
融和と聞いて、連想する意味に大きく隔たりがあった訳だ。
「君には共感できない話でしょうけれど、融和派なんてものが生まれる下地が、帝国にはなかったんです」
「参考までに聞きますけど、それが何を切っ掛けに?」
「17年前の侵攻失敗、そして墳炎龍でしょうね。必ず成功すると謳った当時の皇帝を信じたせいで、財政を悪化させた貴族、墳炎龍の出現とそれに伴う環境の変化に振り回された貴族は、王国ばかりに目を向ける政策へ疑問を持つようになりました。それが融和派であり、慎重派です。君達には歪に見えても、帝国では派閥が割れる事自体、近年まであり得ませんでした」
王国を非難していれば支持を集められた。その前提が崩れたって事かな。
「確かに、皇帝交代後すぐに戦争に踏み切れなかったのは、同意の得られない貴族が多かったからでしたね。おかげで私達は研究を進められました。でも、戦争回避の動きはなかったのでしょうか?」
「王国の情報を得られる者の中にはそう思った人間もいたかもしれない。でも、同時に認められない者も多かった筈です。炎に近付けば火傷する。頭で理解したつもりでも、実際に距離感を掴むのは経験則です。火傷するまで気付けない者は多かったでしょう」
そう言えば、ワーフェル山を消滅させたと報告を受けたジローシア様やアルドール先生ですら、私を従来の魔導士レベルで考えていたと思い出す。度を越えた事例は受け入れ難いのかもしれない。
「それに、これまで王国を敵にする事でまとまってきた帝国が、突然方針を転換するのだと言って受け入れられるでしょうか? 一度痛い目に遭うまで引き下がれなかったのだと思います」
王権が強くても世論の完全無視は難しい。
刷り込まれた常識を塗り変えるには長い時間が要る。年々魔王種による環境悪化が進む帝国では難しかったのかもしれない。軌道修正できる時期を過ぎたなら、突き進むしかないって事もある。
「不満が爆発すれば内戦となったかもしれない。その場合、帝国が自壊する事もあり得ました。聞けば、父はダンジョン化工作の失敗の時点で、降伏を口にしたとか。民の暴発への対策もなしに王国へ白旗を上げれば、帝国の混乱は酷いものになったと思います。わが身可愛さからだったなら、尚更でしょう。叔父に選択肢はなかった筈です」
「それで簒奪を?」
そんな旨味のない玉座、欲しかったのかな。
「……恐らく。けれど、打開策があった訳ではないと思います。過去の成功体験を盲目的に信じ、王国の発展から目を逸らせ、2面作戦を展開すればスカーレット嬢の魔法から片方は逃れられるとでも考えたのでしょう。西部の対応に尽力しつつ、王国侵略の可能性を捨てられなかった人ですから」
その上でダンジョン化の技術が、もしかしたらって思わせたのかもね。
「けれど結果的にですが、アウグスト叔父の選択は最悪に至らずに済みました。父の即位後も、王国への敵意をずっと放置してきたのですから、当然、想定していた訳ではないでしょうが……」
「あー、基地を落としてこれでもかってくらいに戦力差を見せつけたし、臨界魔法で明確な痕跡を刻みました。更に、墳炎龍を討伐して帝国が変革する時間を稼いだ訳ですか」
エノク風に言うなら、火傷は最小限で済んだって事かな。
狙ったつもりはなかったけども。
意外と帝国に損がないなら、アウグスト皇帝が抵抗の素振りを見せなかったって話にも頷けてしまう。
行き着くところまで行くしかないって自棄が、ほとんど彼の首1つで帝国を生き残らせた。行き詰った国を未来につないだ。
歯向かう意思なんて残る筈がない。
「だからと言って、君に感謝する気にはなれませんが、ね」
「帝国の歴史を一度終わらせた事には違いないですからね。私もそんなものは望んでません」
帝国に攻め込んだ私には、善意なんて一欠片も無かったんだから。
「しかし、君の戦略で帝国が救われた事には違いありません。僕が帝国へ戻ったなら、聖女の奇跡として広めた方が良いですか?」
「……エノクに聖女呼ばわりされると怖気が走るので、是非やめていただきたいです」
「おお、怖い。勿論僕は王国に、特に戦争終結の英雄に歯向かったり致しませんよ。命も国も救っていただきましたし、忠実な下僕であり続けましょう」
「……」
「……」
しばらく、無言で睨み合う。
人目があるからお互い笑顔は崩さない。
やっぱりエノクは嫌いだなって再確認してから、私達は別れた。
戦争に勝ったからって17年前の恨みが無くなる訳じゃないし、完全敗北したからって帝国人が王国を受け入れられる筈もない。両国間の良好な未来なんて無いんだろうね。
エノク見てたらつくづく思ったよ。
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