閑話 エッケンシュタインの最後
今回はエッケンシュタイン伯爵視点です。
書きながら名前を設定していなかったと気付いたのですが、改めて考えるのが面倒なので名無しのまま消えてもらう事にしました(笑)
しつこく侯爵を自称しているのは仕様です。
「何だと!?」
儂は王都から届いた知らせに悲鳴を上げた。
書面を送って来たのは、弟が捕まった後、儂に擦り寄ってきた裏稼業の連中だ。侯爵家の威光に群がる虫、くらいに思っていたら、金を生むニンフと言う男を連れてきた。なかなか見どころのある奴等だと思い直して飼ってやっている。
ニンフと言う男は、少し領民を売るだけで、様々なところから金を引っ張ってくる。しかも、あの忌まわしいノースマークを見返す機会もくれると言う。
ノースマークの小娘のところに間者を潜り込ませて研究成果を掠め取ると言う手段は、間者が間抜けだったせいで中断してしまった。しかし、ニンフは代わりの魔道具を持ってきた。
なんと、金を無限に生む魔道具だと言う。
裏稼業の仲間内でこっそり使っていたようだが、そんな魔道具は聞いた事がない。現物を置いて行ったものの、まだ使い方は聞いていないが、儂が開発した事にして発表すれば、名声も手に入るではないか。
王族へ献上する事になるなら、儂が自由に使えなくなってしまうが、その時はまたニンフに領民を売ればいい。あの男の貢献に応えて、今度は少し多めに売ってやろうと思っていたところだ。領民などいっぱい居るのだから、儂には何の不都合もない。
そんな事を考えて、これからの明るい未来にほくそ笑んでいた。
―――だと言うのに、だ。
「ニンフが帝国の回し者だった、だと!?」
儂は怒りに任せて知らせの書面を破り捨てる。
知らせてきた連中も危険を避けてしばらく身を隠すとの事だったが、あんな奴等の事はどうでもいい。
あの男との繋がりが明るみに出てしまったなら、背信を疑われるではないか。
いくら侯爵家であっても、致命的な醜聞になる。
隠さなければ。
あの男との関係を匂わせるものは全て消さなければ……!
儂は慌てて机へ向かった。
ニンフと交わした約束状。領民を売った礼にと置いて行った渡来品の万年筆。ノースマークの小娘を探らせていた時に届いた報告書の束。金を持ってくるついでだと色々買ってこさせた注文書。とにかく全てを搔き集める。
幸い、あの男が来るときは入念に顔を隠していたので、家人に裏切り者が出たとしても、知らぬ事と言い張れる。役には立つが、怪しい男だと内密に関係を続けていた事が功を奏した。
積み上げた証拠品を焼く為に火魔法を使おうとして、小さな火花が出るだけで終わってしまった。元々魔法は得意でなかったが、碌に使っていない間に益々鈍ってしまったらしい。
魔法を使うなど、貴族の仕事ではないのだから仕方ない。
「おい! 火だ! 要らぬ資料を焼くから、火を持って来い!」
―――。
―――。
―――。
叫んでからしばらく待つが、誰もやって来ない。
侯爵である儂を馬鹿にしているのだろうか。また、使えない人間の入れ替えが必要のようだな。
苛々しながら執事を呼びに行こうとして、ニンフが置いて行った魔道具が目に入った。
「そうか、これも処分せねばな」
勿体ない気もするが、奴との繋がりが露呈するよりはマシだ。
しかし、これは燃やせない。
「ええい! 面倒なものを持ってきおって…………うぅっ」
せめて腹立たしさをぶつけてやろうと魔道具を持ち上げて、急に吐き気と眩暈に襲われた。身体中に怖気が走り、内側を掻き回されたような不快感がせり上がる。
しかも魔道具を持った腕が重たく、そのまま取り落としてしまう。
「なんだ? これ、は……?」
魔道具が手から離れると不快感は収まったが、腕はやはり重い。立っていられないほどだった。
そのままへたり込むと、右側でゴトリと音がする。
「な、何だ!? 何だ、これは!! 儂の、儂の腕が!? な、何故こんな事に……?」
自分に起こっている現象がまるで理解できない。
右手が重い訳だ。
肘より少し上、そこから先が黄金になってしまっている。
ピクリとも動かせない。
「わ、儂の腕が! う、腕が……!?」
無限に金を生むとはこういう事か。
ふざけるな!
何故前以って説明しなかった?
とんだ欠陥品ではないか!?
「おい! 誰か! 誰かいないのか!? 大変だ! 医者を、急いで医者を呼べ!!」
―――。
―――。
―――。
今度もまた返事がない。
この非常時に何を考えている!?
どうしてこの家には使えない使用人しかいないんだ?
「おい!! 聞こえないのか!? 儂が呼んでいるだろう! 何故応えない。急げと言っているだろうが!!」
立ち上がろうとしたが、腕が重くてとても無理だった。
無理に動けば肩が外れそうになる。
今は声を張り上げるしかできない。
しかし、今度は反応があった。
部屋の扉がゆっくり開く。
「おや、随分愉快な事になっておりますね。わたくしとしましても、都合が良かったです」
現れたのは執事だった。
だが、こんなにも抑揚なく話す男だったか?
儂の右手が金に姿を変えていると言うのに、眉一つ動かさない。
儂を素通りして、転がったままの魔道具を慎重に調べる。
「魔石が酷く色の薄い黄……なるほど、これが呪詛を用いた魔道具ですか」
「呪詛? 何の事だ。それより、儂に起きている事が分かるのか? 丁度いい、医者を呼んでどうなっているか説明しろ」
人間が黄金に変わるなど、訳の分からない症状を医者に診せても困るだけだろう。
魔道具を見せて全て説明したいところだったが、あれを人目に触れさせるのは拙い。執事が事情に精通しているなら実に助かる。
そう思ったのだが―――
「何故?」
不思議そうに首を傾げられてしまった。
「な、に? 何、を言っている? 儂の右腕が、大変な事になっているのが見えないのか? 儂に原理は分からんが、一刻も早く医者を呼ばなくてはならん事くらい、理解できるだろう?」
「ええ、とても都合が良いですね。呪詛技術に手を出した愚か者が、魔道具を暴発させて死亡。わたくしの存在を表に出さなくて済みます」
本当に、何を、言って、いるのだ?
しかも、執事の手にはナイフがあった。
食事を運んできた訳でもないのに、どうしてそんなものを持っている?
儂にはまるで理解できなかったが、執事は何か感じ取ったのか、処分するつもりだった証拠品の山をちらりと見てから続けた。
「なるほど、旦那様のところにも情報が届いたのですね。ニンフと名乗っていた男が帝国の工作員だったと知った訳ですか。それで全て無かった事にしてしまおう、と」
「な!? 貴様、その情報をどこから?」
通常で届けられる手段ではあり得ない。
身の危険を感じた、国の裏側に通じる者が急ぎで送ってきた情報なのだ。非常用の連絡員複数が書面を受け継ぎながら運ばなければ、この早さでは届かない。
当然、一介の執事にそんなものを使う権限など無い筈だ。
「旦那様が知る事ではありません。ですが、わたくしにも命令書が届いたのですよ」
「命令書?」
何を言っている?
命令書、だと?
主である儂が知らないと言うのに、何故そんなものが届く?
「勿論、命令を下したのは旦那様ではありません。そもそもわたくしは、旦那様に仕えた事など一度もないのです」
「ど、どういう事だ!?」
10年以上この家で働きながら、儂に仕えていなかっただと?
「ま、まさか、お前も間者か!? どこかの家から潜り込んでいたとでもいう気か?」
「……そうですね、大きく外れてはいません。もっとも、旦那様が想像しているよりずっと上からの指示ですが」
ずっと上?
侯爵より上、と言う事か?
そんな人間はこの国に数えるほどしか…………ま、まさか!!
「潜入して10年以上、辛い時間でした。しかしわたくしには、旦那様の意向に反する事は許されていませんでした。わたくしに課せられたのは、エッケンシュタイン伯爵家で行われる不正を全て報告する事のみ。そして、万が一にも王国貴族としての分を踏み越える事があるなら、秘密裏に消せ、と」
淡々と語られるのが恐ろしい。
元々感情を表に出す事の少ない執事だと思っていたが、今は石膏像のように表情が動かない。反発して儂を苛立たせる事のなかった執事が、何の感情も籠めずに魔道具を儂へ押し付けようとしてくる。
あんなものが顔に触れてしまったら、間違いなく儂は死んでしまう!
「ニンフとの繋がりを隠されたのは誤算でした。わたくしに知られる事無く旦那様がどんな契約を結んだのか、調べ切れなかったのは痛恨の極みです。王都からの知らせより先に調べられていれば、もっと早く処分できていたものを……!」
「ま、待て! 違うのだ。ニンフには儂も騙されていたのだ。儂は帝国と通じてなどいない。王国を裏切ってもいない! 何も罪など侵していない!!」
儂は必死で訴えた。
この執事の本当の主が誰なのか、今は知る術もないが、その者は勘違いをしているに違いない。
工作員と知らずに繋がりを作ったのは失敗だったが、儂がしたのはそれだけだ。裁かれなくてはならないような事実はない。
儂は何もしていない。
思い違いで殺されては堪らない。
「何も、ですか。呆れますね。……しかしまあ、旦那様に説明しても、今更理解はできないでしょう。ですから、それが分からないほど愚かだから始末されるのだと、それだけ知っておけばいいです」
「ま、待て、話せばわかる。誤解だ。誤解なのだ。お前の主のところへ連れて行け! 儂が説明する。話を聞けば分かってくれる筈だ。だから待て、待ってくれ……!」
何とか思いとどまってもらおうと声を掛け続けたが、まるで聞き入れられる気がしなかった。どこまでも執事の表情は動かない。
だから逃げた。
入り口を押さえられているから逃げ場所は限られるが、逃げずにはいられなかった。
黄金化した腕を引き摺ったせいで肩は外れたが、それどころではなかった。
「だ、誰か!! 誰かいないのか!? 執事が乱心した! 執事が儂を裏切った! 誰でもいい、誰か、儂を助けろ!!」
「……大声を出しても無駄ですよ。この家で働く人間には皆暇を出しました。奥様は離れで確保済みですし、お子さん達は王都で押さえられている筈です。今、このお屋敷にはわたくし達しか居ません」
いたぶるつもりなのか、執事はゆっくりとしか追いかけてこない。
だから駆けた。
積み上がった資料を払いのけ、椅子を薙ぎ倒し、机を乗り越え、少しでも執事から距離を取る。
しかし、行き止まりはすぐに来た。
「頼む、許してくれ。殺さないでくれ!」
遂には隅に蹲って震える事しかできない。
何故こんな事にと思いながら、許しを請う事しかできない。
そこで、思ってもいない事が起こった。
―――ドオオオオオオオオオオオン!!!
突然、轟音が響いた。
そして、強い衝撃を受けて転がる。
視界の端で、執事も身を守っているのが分かった。
何が起きたか知らないが、あの男にとってもこれは想定外の事らしい。
しばらく続いた揺れが収まってから、顔を上げると壁がなかった。
さっきまで張り付いていた筈の壁が消えている。
いや、無くなったのは壁だけではない。
天井が、屋敷が、庭がない。
代わりに大穴だけが見える。
「な、何が? 何が起こった!?」
何も分からず天井のあった方を見上げると、空に浮かぶ車両らしきものが目に入った。
「やれやれ、残念ながら時間切れのようです。わたくしよりはもう少し優しい方達が助けに来てくださいましたよ」
執事はこれ以上儂を追ってこようとはしなかった。
諦めたように上空を見つめている。
助けと聞いて、儂も希望が持てた。
期待を込めて儂も空を見上げると、車両らしきものから次々と兵士が下りてきた。
随分上空の筈なのに、ゆっくり滑空して地面に降り立ってゆく。
その全員が武装し、銃口をこちらへ向けていた。
何処からも優しさは感じられなかった。
抱いた希望はあっけなく何処かへ飛び去った。
『私はスカーレット・ノースマークです。エッケンシュタイン元伯爵を拘束する為、ここに来ました。貴方の爵位は、既に剥奪されています。身柄を押さえるにあたって、生死は問わないとの指示を受けています。どちらにせよ罪状が変わるとは思いませんが、痛い目に遭いたくないなら、抵抗しない事をお勧めします!』
車両から響く声を聞いて、儂には絶望的な選択肢しか残されていないのだと知った。
お読みいただきありがとうございます。
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今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




