閑話 頭を下げるという事
引き続き、ハワード・エルグランデ少尉視点です。
死んだように休んだ翌日、祝勝会が行われた。
ミョウザ子爵領から運んできた食材、それを避難していた料理人達が腕を振るう。そこに野営に慣れた有志も加わった。高級料理に家庭料理、更には巨大な肉塊を焼いただけという料理とは呼べないものまで混沌と並ぶ。
そして酒、酒、酒。
浴びた。
比喩でも何でもない。
樽ごと傾けて酒塗れになり、杯を勢いよく重ね過ぎて飛び散ろうと誰も気にしなかった。死んだ友人と語り合いながら、地面へ酒を注ぐ光景も珍しくなかった。止める野暮な者もいない。
どんな屍鬼を倒した、あの屍鬼は手強かった。戦功を自慢げに語る者がいた。
生きていて良かったと泣く者がいた。
お前みたいのがいるな、とおっさんに笑われて、頭から酒をかけてやった。
殊更に陽気に騒ぐ者がいた。逆に物静かに杯を傾けるだけの者がいた。
楽しい酒だった。
実家で並ぶご馳走や高級酒とは比べられる筈もないのに、不思議と旨く思えた。酔う事だけを目的にして、軍の方針へ勝手な不満ばかりを募らせて煽った酒を、今更勿体無く思ってしまう。
酒を酌み交わせば品のない話も飛び出すもので、慣れた俺達はともかく、お嬢さん達は酔いが深まる前に飛行列車へ引っ込んだ。兵士達にしても、大半の者にとって娘くらいの令嬢が居れば落ち着かないだろう―――などと思っていたら、しばらくの後、実験に付き合ってほしいと再び現れた。
酔って頭が回らないまま薬を受け取った連中は、何やらピカピカ光りはじめた。
余興扱いされて大事にはならなかったが、普通、酒の席で薬を試すか?
あのお嬢さんの頭の構造は、我々とは違うのだと改めて思い知った。防衛線で使った魔道具のほとんどがスライム由来だっただけはある。
その次の日は作戦で犠牲になった者達を追悼する式典が行われた。
共に戦った9000人近くがトゥーム山の麓に整列する。2日酔いを予想して予定は午後から組んでくれたのだから、頭が痛いなどと情けない事は言っていられない。
生き残った俺達にとっても大切な式典だ。
正面には、土魔法で切り出して成形した慰霊碑がそびえる。綺麗に磨き上げられ、命を落とした全員の名が刻まれている。
その数、34名。
『私達は勝ちました。見えますか? 感じますか? 屍鬼が一掃されて元の静けさを取り戻した様子が―――』
スカーレット嬢は、慰霊碑の向こうにいるであろう者達へ語り掛ける。
『周辺の住人が屍鬼の牙に怯える事も、国境を守る兵士が後方を突かれる心配に頭を悩ませる事も、帝国の悪意に晒される事も、もうありません。脅威は去りました。ここに居る全員が力を合わせて得た勝利です。貴方方が命を賭してくださったお陰です―――私達は、国を守り切りました』
驚異的な成果だと思う。
たった600人強を山中に散らばらせて防衛線を張った。屍鬼の討ち漏らしは許されない。その為には分散するしかないと理解していても、いざ散ってみるとあまりに絶望的な数量差で、生きて帰れる気がしなかった。
最初、適当に戦って、戦線が崩れたなら混乱に乗じて逃げようと考えていたくらいだ。
スライム製の防衛壁、魔法籠手、光属性の水鉄砲、飛行ボードに飛行列車、どれが欠けても生還は無理だったと断言できる。
この場の誰もが知っている事だ。
彼女が俺達を持ち堪えさせた。彼女のおかげで、王都からの援軍が間に合った。
訊けば、ダーハック山から現れた大地竜に対処したのも彼女で、最後の大規模魔法も彼女だったと言う。
つまり、彼女の快挙によって、たった34人の犠牲で留まった。
他の誰にも不可能だったに違いない。
全体を取り纏めるのに並行して遊撃として参加し、亜竜種をはじめとする大型屍鬼を狩っていた。スケルトン型や竜型が出現し、状況が悪くなる度に対策を携えて戻った。
誰がこれを真似できる?
『貴方達の犠牲は決して忘れません。そして語り継ぎましょう。彼ら英雄の活躍があってこそ掴み取った勝利なのだと―――』
死んだだけで英雄扱いしてもらえるのかよ……数日前の俺ならそんな事を思ったかもしれない。だが、俺は命を賭ける勇気も持てない臆病者だった。
そして知った。
スカーレット・ノースマーク、彼女のような者こそ、英雄と呼ぶのだろう。
彼女は間違いなく俺達を救った。国を救った。
―――だと言うのに、式辞を述べるスカーレット嬢の顔は優れない。
むしろ、まるで納得していない様子だった。
もっと上手くできたかもしれないと悔いているのだろうか。これだけ犠牲を抑えて尚、受け入れられないのだろうか。
『……アルゴ・イルエサー兵長、ヘルト・ゴードン軍曹、ウィリアム・ヘイワーズ准尉、フレード・カンス少尉……』
続いて犠牲者に呼び掛ける様子を耳にして、初めは慰霊碑を読み上げているのだと思った。しかし、あそこに階級は刻まれていない。特進が加えられる為、今の階級が最終的なものにならないからだ。
まさか、全て覚えているのか?
本当に記憶に刻み、死なせてしまった事を背負うつもりか?
見据えた理想に大きな乖離があったのだと思い知った。
『私達の未来は、皆さんの犠牲の上に続きます。ごめんなさい。そして、ありがとうございました』
彼女の言葉は謝罪と感謝で締められた。
深く、深く頭も下げる。
基本、こういった場で謝罪はしない。下手をすると、彼女に非があったのだと受け取られかねない。それでもあの令嬢は躊躇わなかった。
おそらく、この先も責任を負い続けると言う意思表示なのだろう。
あの中に知った顔のいる俺としても、その覚悟をありがたいと感じた。彼女の姿勢を美しいと思った。
「なるほど、聖女か……」
世間でそう呼ばれるだけの意味を今になって知った。
きっと、この場の多くが彼女の態度を快く感じただろう。助けられた恩もある。今後、何かあるなら彼女の側に立つだろう。軍への影響力は強まる筈だ。
しかも、意図した様子は見られない。無自覚に支持者を増やしていく。
だから彼女は聖女と呼ばれ続けている訳だ。同時に、気付いてしまった俺も逃れられないのだろうと思った。
もう、不快さは感じなかった。
その後、小隊毎に分かれて順に慰霊碑の前に立つ。
犠牲の多かった実験参加者が優先で、俺の番も比較的早く回ってきた。
半分近くをオブシウスの集い所属者が占めていた為、知った名前も多くあった。
俺のように魔法に特化していなければ、責任を負わされて前に押し出されたとしても仕方ない。それだけの事を仕出かしたのだと、今なら思えた。
「そうならずに済んだ俺は、やはり運が良かったって事なのか、ね……」
ここに名前が並んでいてもおかしくなかった。
生きるべくして生き残った……なんて自惚れは残っていない。
戦場では運だけが身を守る。
先日知ったばかりの真理は、二度と忘れられそうになかった。
「なのに……何で、それを教えてくれたアンタの名前がここにあるんだよ……!」
ピーター・テルミット。
その名前は、屍鬼掃討が終わってから初めて知った。その時には既に彼はいなかった。
「生き残って税金を払い続けるんじゃなかったのかよ。そうやって国に貢献するんじゃなかったのかよ……」
偶然、休憩で短い時間を共にしただけだった。
それでも自惚れを叩き潰してくれた。俺の罪を忘れてやると言ってくれた。
この短い出会いがなかったなら、死んでいたのは俺の方だったかもしれない。
つまらないプライドが捨てられなかったに違いない。平民に守られなくても俺はやれる、なんて屍鬼の前に躍り出て、あっけなく死んだと思う。
戦場では、それだけ簡単に人は死ぬ。
そんな事も知らずに、戦功だけを夢見て戦争を望んでいた俺は、なんて愚かだったのだろう。
「アンタに言われて、俺は魔法を撃つだけに専念できた。活躍なんかより、生き残る事だけを考えていられた。ギリギリでそんなふうに思えた俺は、やっぱり運が良かったんだろう。アンタのおかげだよ。ありがとう―――ありがとう、ございました……!」
気付くと腰を直角に折っていた。
普通、貴族は最敬礼を行わない。
上位者、主に王族への謝辞を別にすれば、余程の過失がなければ頭を下げたりしない。謝ると言う行為は、罪を認める事に繋がる。弱みを晒す事になる。
そう教えられて、俺もその考えに沿って生きてきた。
なのに、今は頭を下げる事を躊躇わなかった。
心の底から湧いた感情が態度に現れるなんて、初めての経験だった。
後悔なんてある筈がない。彼はそれだけの価値ある男だった。ピーターと言う男を、間違いなく俺は英雄と呼べる。
「こいつはな、酒が好きだったんだ。結婚もせず、休みの度に良い酒を買い込んで。1日中チビチビやってたよ」
彼の名前に酒をかけながら、俺のもう1人の恩人、ハリー・ソーゾンが言う。死の悼み方はそれぞれだ。俺もそれに倣った。
「なら、今度とびきりの酒を用意しておくよ。俺は……またここに来れるか分からないから、アンタに託していいかな?」
「ああ、一緒に飲ませてもらうよ。お前さんの活躍を肴に、な」
俺が罪人として裁かれる事は決まっている。
だからと言って、代わりに俺が死ねば良かった……とは言えない。俺は今でも死ぬのが怖い。俺に考え付くのは、せいぜい良い酒を用意するくらいしかなかった。
「……つまんねぇこと考えんなよ」
「え?」
「死んだ奴は悼んでやればいい。償おうなんて考えなくていいんだ。ここまで来られないなら、酒を飲むたび思い出してやればいい。今日の酒も旨いぞって報告してやりゃあ、あいつは死んだ事を悔しがるに決まってる。だろ?」
「ははは……そうだな、そうしよう」
17年以上軍属であり続けただけあって、戦功は少なくともまるで敵う気がしない。
死ぬのが怖いなら、戦争なんて起きないでほしいと思うのが当然で、それを俺は、どうして情けないなどと見下していられたのだろう。
ニンフと名乗った男を、ハモンの奴を思い出して、どう考えても酒を酌み交わす相手を間違えたと、今更ながらに思った。
ひとしきり仲間の死を悼んだ後、慰霊碑から離れた俺は気が付いた。
「そう言えば、もう1人謝らないといけない相手がいる……よな」
散々失礼な事を言った。
案外気にした様子はなかったが、それもそうだろうと今なら思えた。
慰霊碑の先へ視線を向ける。
未だ違和感がある。あの先に広がっていた筈のワーフェル山が、今はない。別の山が顔を覗かせている。
「これを個人でやったっていうんだから、恐ろしいよな」
その事について生き残った仲間達との話題に上がった時、驚きはしたが疑う気は起きなかった。俺が魔法を撃ち続けてヒイヒイ言っている中、飛行ボードも使わず飛び回り、大型種を狩る姿を何度も見た。
どんなに少なく見積もっても、歴代の魔導師に比肩する。ワーフェル山消滅も彼女なら、軽く超えるだろう。
人が想像できる枠には居ないんだろうとさっさと思い知った。
立場を弁えないオブシウスの集いなんて、いつでも捻り潰せたに違いない。物理的にも、身分的にも、聖女と呼ばれて広がる人脈的にも。
キャンキャン喚く子犬くらいにしか思ってなかった事だろう。
それにも関わらず、言葉を重ねてくれていた。引き返す機会を貰っていたが、反発するだけだった俺はそれに気付けなかった。
そんな令嬢を小娘呼ばわりだなんて、身の程知らずだったと言うか、怖いもの知らずだったと言うか、恐ろしい真似をできたものだと、ほんの数日前の自分に呆れる。
けれどその実力に、その才能に助けられた。
彼女も俺の恩人に違いない。それを言うなら、ここに居る全員が当て嵌まるだろうけどな。
ならば、きちんと謝罪しておくべきだと思えた。
許してもらえるかどうかは関係ない。むしろ許されるべきではないと思う。それでも筋だけは通しておきたい。
「「スカーレット様」」
彼女にかけた声は重なった。
見れば、リグレス大佐が同じようにやって来ていた。多分、目的は同じだろう。
「少し、宜しいですか?」
俺は意識して姿勢を正す。
本気で頭を下げる、人生で2度目の行為。さっきのように衝動的であってはいけない。侯爵家の令息として相応しいものであろうと気を引き締めた。
「「改めて謝罪いたします。この度は、本当に申し訳ありませんでした」」
打ち合わせてもいないのに、再び大佐と声が重なる。
深く頭を下げた俺達にきょとんとする彼女を見て、こんな俺でも彼女の意表を突けるのか、と少しだけ誇らしい気持ちになった。
本物の戦場を経て俺は、致命的に間違え続けてきたのだと、ようやっと知ったのだった。
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