閑話 偏向主義者の悔恨
ジローシア様の弟、ハワード・エルグランデ視点です。
スカーレット・ノースマーク令嬢がダンジョン掃討作戦の終了を宣言した日の夜、俺達は浴びるように眠った。
できれば個室が欲しいところだったが、濃い3日間の疲労は思っていた以上に酷かったらしく、気を抜いた途端に意識を手放していた。布団も碌に敷かず、むさ苦しいおっさんたちと縺れるようにして眠った経験は初めてだった。
屍鬼に魔法は効き辛い。
途中で配布された魔法籠手の光属性基盤は数が限られていたし、十分な威力が確保できるまで連携魔法を収束させようと思えば時間を取られる。その為、人より魔力の多い俺は魔法を撃ちっ放しだった。
悍ましい屍鬼などと向き合いたくはなかった。ハモンの奴の成れの果てを見てしまったせいで、尚更怖気を誘った。
しかし、帝国の工作員に唆された責任を取れと言われてしまえば、従う他なかった。呪詛技術に関わってしまった以上、生半可な釈明は通らない。最悪、死罪まであり得る。
この件に関しては家の擁護も期待できない。
父母はともかく、兄は家名を守る為に俺を切り捨てるだろう。
姉は国の規定と家族の情愛を天秤に載せるような真似はしない。むしろ、エルグランデの教育責任も含めて徹底的に追及するだろう。自ら罰を負う事も厭わない。そう言う人だ。
ならば、屍鬼を蹴散らすしか選択肢はない。
積極的な関与はなかったのだと、こんな事態になったのは不本意だったのだと、防衛に貢献する事で示さなければならない。
しかし、周囲の目は冷たかった。
スカーレット嬢は俺達、オブシウスの集いがダンジョン化を引き起こしたと公開する事はなかった。けれど、ウェスト中隊長が漏らした不満のせいですぐに部隊中が知る事となった。
この俺が、塵でも見るような視線を向けられてしまう。
知らなかったのだと、自分達も騙されただけなのだと訴える者もいたが、まるで取り合ってはもらえなかった。
針の筵より更に酷い。
屍鬼と戦って死んでしまえばいいとさえ思われているようだった。
幸い、俺は防衛壁の上から魔法を撃つだけだから屍鬼に噛まれる危険は少なかった。近寄らなくて済む分、精神的な負担も軽減できた。
そして戦いが始まってしまえば、俺達を殊更敵視する様子は収まった。
懸命に魔法で援護する事で少しは認めてもらえたのかと思っていたが、はっきり否定されてしまった。
「馬鹿かお前は」
明確な侮辱だが、怒りを露わにする余裕は無かった。
ポーションを飲んで、魔力が回復するまでの短い休憩。これが終われば、またすぐ魔法を使い続けなければならない。偶々休憩が被っただけのおっさんを相手にして、無駄に体力を消耗する気力は残っていない。
「お前らがどんなに阿呆でも、今は手を借りなけりゃ戦線がもたない。それだけだ」
成程、明瞭な理由だった。
何しろ、共に配置された兵士が倒れれば、その分負担が増える。危険が増す。ギリギリの人員しかいなかったので、死者が出ても補充は望めない。せいぜい、適性に合わせた配置転換が行われる程度だ。
「お前らを罰しなかったスカーレット様の方が、お前等なんぞより現実を知っていそうだな。軍隊の強みはとにかく数だ。物量の前には個人の力量を生かす余地はない……将軍くらいの超人になれば話は少し別だがな」
「あの人はあの人なりに、突出した戦力を生かす戦略を考える。英雄になる事だけを夢見たお前さん達とは違うぞ。本当の戦場に立ってみて、骨身に染みたんじゃねぇか?」
ダンジョン化に見舞われる前の俺なら、何を馬鹿な事をと聞き流したかもしれない。魔法の才能に恵まれた俺はお前達とは違うと、笑い飛ばせたかもしれない。
屍鬼なんぞを討つ為に魔法の腕を磨いたんじゃないと自惚れていられただろう。
だが、そんな傲慢はとっくに粉微塵だった。
死にたくない。
死にたくない。
死にたくない―――それだけを考えて魔法を撃つ。
命がかかった場所がこんなに怖いと初めて知った。
俺の抱いていた理想なんて、戦場では塵芥にも満たないと思い知った。
多少強力な魔法が使えても、広域を見通す思考も、自らの強みを生かす知恵も、恐怖を振り払って前に出る勇気も、俺にはないのだと突き付けられた。
物事を深く考える事が苦手な貴方は、誰かに戦場を用意してもらい、存分に腕を振るった方が良いと判断しました―――姉の方が、余程俺の事を理解していた。
自分はどうしようもない臆病者なのだと分かってしまった。
「いいんだよ。臆病で正しい」
「え……?」
「戦場では勇敢な馬鹿から死ぬ。理想は命を救わない。17年前、俺は後ろで震えている事しかできなかったよ。だが、おかげでここに居られる。戦果は少ないかもしれねぇが、今でも少しは貢献していられる。臆病なくらいの方が、役に立つ機会も残るってもんだ。俺は今でも数合わせでいられるからな」
「違いない。税金も払い続けてるしな。死んじまえば国は慰霊金を遺族に払わなきゃならんが、生きてさえいれば収益が望めるって訳だ。訓練にかかった費用も無駄にしなくて済むしな。俺達は立派に国へ貢献してる。英雄なんて柄じゃないが、国を支えてるって胸を張れるぞ。はっはっは!」
こんな軽口にも、俺は反論の言葉を持たなかった。
俺はこんな視点で考えた事など無い。
活躍する事だけが軍人の意義だと思ってきた。
エルグランデ侯爵家に生まれた以上、家を出て騎士になり、軍属となったのだから戦場に出て成果を上げるのが使命だと思い込んでいた。
だが、実際は後方から魔法を撃つ1人でしかない。
軍という組織の歯車でしかない。
思い描いていた自分は遠い。ここから英雄に成り上がる可能性は見えない。
「ついでだから1つ言っとくぞ。戦場で生き残れるのは強い奴じゃない。ただ、運の良かった奴ってだけだ」
「え!?」
「そうだな。それに屍鬼の相手なんてまだマシな方だ。倒し難いのは厄介だが、頭が悪くて動きが単調だ。何より、飛び道具を持ってねぇ。悲惨だぜ、問答無用で飛んでくる魔法や銃弾ってのは。気が付いた時には当たってる。周りの奴が、死んだと気付く前にバタバタ倒れていく。そんな状況で身を守る手段なんて、そりゃ運しかねぇさ」
「屍鬼にしたって、噛まれるって危険があるから、やっぱり運は必要だよな」
「確かに、な。それじゃ、17年前から続く運試し、もう少し続けるとしようか」
「おうよ」
言うだけ言って、年嵩の男2人は立ち上がる。休憩は終わりらしい。
彼等は壁に纏わりついた屍鬼を払う役だ。
それでも怖くないのだろうか?
「お前さんも死にたくないなら、必死で魔法を撃つんだな。そっちに屍鬼が向かわないよう、俺達が守ってやるよ」
「けど、俺に守ってもらう資格は……」
「お前等のせいで屍鬼が湧いたって話か? そりゃ、許す気はねぇよ。けどよ、お前さんの魔法はこの小隊を支えてる。俺達が死なない為にも、お前さんを守るってだけだ。お前さんがどんなに糞ったれでも、な」
「少しでも恥を感じてるなら働け。生きてる限り、魔法を撃ち続けろ。俺達がお前さんに期待してるのはそれだけだ。その代わり、生きて帰れたなら、お前さん達のした事は忘れてやるよ。あくまでも俺達は、だけどな」
「国への言い訳は自分でしろよ?」
そう言いながら、俺の背中をバンバン叩く。
鎧を着ているから逆に痛い筈だが、気にしないようだった。
笑いながら自分を奮い立たせて、再び屍鬼討伐へ向かう彼等に比べて、随分自分がちっぽけに思えた。
その後も、俺は魔法を撃ち続けた。
屍鬼に特効のある水鉄砲も支給されたが、射程が短いから俺の役目は変わらなかった。
撃って。
撃って。
撃って―――。
魔力枯渇で何度も気を失いながら、それでも魔法を撃つのは止めなかった。
そしてとんでもない轟音の後、スカーレット嬢の作戦終了を告げる拡声が届いた時、生き残った事に安堵して俺は泣いた。
「馬鹿だな。今は喜ぶんだよ」
またあの時のおっさんが来て背を叩いた。
今度は馬鹿呼ばわりされても、不思議と腹は立たなかった。
周囲ではオブシウスの身内もそれ以外もなく、ただ勝利を喜び合った。名前も知らなかった筈なのに、3日間を共にした感慨があった。愛着を感じた。
あの後も、休憩の度に活を入れられた。
お前の魔法が頼りだと頼ってくれる奴もいた。
「アンタ達が壁になる代わりに、俺は背中を守ってやるよ。屍鬼なんぞに隙を襲わせない。安心して前を向いてくれ」
いつの間にか、そんなふうに強がる俺がいた。
恐怖が薄らいだ訳はないけれど、誰かに頼られる事で背を押された。俺に活を入れるおっさんも、案外そうやって弱さを補っていたのかもしれない。
どうして自分達は特別だなんて思っていたのだろう?
より国を想う事が高尚だなんて勘違いをしていられたのだろう?
ハモン・デーキン准尉とは気が合うと思っていた。だが、この日彼等に感じたほどの親しみを抱いた事はなかった。
オブシウスの集い、誇らしげに自分達を持ち上げておいて、同志と讃え合いながら―――俺達は仲間になれなかった。
こうして共に命を賭けたほどの仲間意識を持てなかった。死にたくないからと出来上がった繋がりに及ばなかった。
結局、現実を伴わない理想を語っていただけでしかなかったんだな……。
ダンジョン化事件が幕を閉じたあの日、俺はそんな今更な事に気が付いた。
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