スカーレット・ノースマークと芙蓉舞衣
強い光が視界を塞いだ。
直後、衝撃が襲って地面を転がった。
遅れてブレーキ音が聞こえて、交通事故が起きたのだと知った。
「思い出した?」
いつの間にか、温泉で会った女性が傍に来ていた。
……うん、あの日の事、漸く思い出せたよ。
私は起き上がる。
身体の痛みは大した事なかった。
それより、私は知らないといけない。
私を突き飛ばしてくれた人の状態を確認しないといけない。
私の記憶はこの日で途切れている。
よく思い出せなかったから、このあたりで死んだのだとぼんやり思ってた。
でもこの日死んだのは私じゃない。
私は助けられた。
ボーっとしていた私を、突き飛ばしてくれた男性に。
代わりに車に轢かれてしまった男性に―――。
確認した男性の状態は思い出した通りだった。
男性は即死に近い。
最期の顔は、死を厭うように歪んでいた。
私を事故から救った英雄的行動も、彼から未練を取り払わなかった。
この先を生きた私は覚えている。全てを思い出した私は知っている。
彼には家族がいた。子供はまだ小さくて、まだまだ父親を必要としていた。奥さんとも仲が良くて、この温泉街には旅行できたのだと後で聞いた。
最期に家族を想わなかった訳がない。
戻りたかったに違いない。
咄嗟に私を救った事を、後悔したかもしれない。
結局、救急車が到着した頃には、連絡のついた家族が駆け付けた時には、彼は既に息を引き取っていた。
芙蓉舞衣は生涯、彼の死に顔を忘れる事はなかった。
「助けられてしまった貴女は、この先、この事に縛られて生きた」
うん。
生きていて良かった、だなんて思えなかった。
だからと言って、助けられてしまった以上、生きる事を否定できなかった。
償わないといけないと思った。
贖いたいと思った。
あの顔を見てしまった私は、他の生き方を選べなかった。
残された家族に散々頭を下げて、金銭的な支援を申し出た。初めは困った顔をしながらも受け取ってくれたけど、それもいつまでもは続かなかった。
私はあくまでも助けられた側で、加害者は車の運転手になる。私には法的な賠償責任は発生しない。
それでも私のせいだとなじってくれたら良かったのに。
お前のせいで夫は死んだのだと、お父さんはお前に殺されたのだと、私を憎んでくれたら良かったのに。
貰えるものなら貰っておくと、不遠慮に思える人達なら良かったのに……。
「もう来ないでくれ、そう言われちゃったんだよね」
……仕方ないよ。
私が挨拶に訪れる度、奥さんは困惑した様子で、娘さんは顔を伏せた。
それでもと義務感を抱いていた私は、夫を思い出して辛いのだと言われてしまった。
「夫の死をお金に替えているみたいで耐えられないとも言ってたっけ……」
私は償いをしたいのであって、独りよがりの罪悪感をぶつけたかった訳じゃない。私は頷く他なかった。
「せめて、何かあったら連絡してくれって連絡先は残したけど、電話が鳴る事はなかったよね」
あの連絡先を、残しておいたかどうかも分からない。
その後折り合いをつけたのか、それなりの生活を送ったのだと人伝に聞いた。時々気にかける事は止められなかったから、20年後、お子さんが無事結婚したのも知っている。
でもそれに水を差そうとは思えなかったので、私が彼女達に関わる事はしなかった。
「だけど、償う先を失くしてしまった。だから色んな事をやったよね」
忘れるって選択肢は持てなかった。
私が死なせたって罪から逃れられなかった。何より、私自身が許せなかった。
私はNPO団体に所属して、助けられた恩は他の人に返す事にした。
福祉の向上の為に駆け回り、講師を招いてシンポジウムを開催する側に回った。周囲に周知して、参加者を集めるのも私の仕事だった。
企業の寄付を仲介する役目も負ったし、逆にNPOの情報を企業に提供する事もあった。お金があるからできる事がある。お金が救える人もいる。多くの人に会い、私達の理念を説いて回った。
大学院生の研究を地域振興に紹介した事もある。行き詰まった地方に関心を差し伸べるのは勿論、研究室に籠りがちな院生の世界を広げて、人の繋がりを作った。
災害支援に出た事もある。大火の時みたいに直接被害者と向き合う事はなかったけれど、物資を手配し、清掃活動を行い、ボランティアの受け入れ、配置に駆けずり回った。
「やり甲斐はあった。でも反面、私って個人を省みる事はなかった」
そうだね。
芙蓉舞衣の半生は他人の為にあった。
自分の幸せを考えるなんてできなくて、趣味を楽しむ事すら怖かった。
漫画やゲームにお金を費やす事もなくなって、あんなに好きだった温泉巡りも止めてしまった。特に温泉は、事故の事を思い出してお風呂に長く浸かる事さえできなくなった。
でも、後悔なんてしていないでしょう?
「そりゃ、ね。選んだのは私。助けてくれた男性のせい、だなんて絶対に無い。あの事に引き摺られた私が、そんな生き方しか選べなかっただけ」
私の生き方は間違っていない。
助けてくれたあの人にも、これだけ価値ある人生を生きたのだと胸を張れる。
私は記憶の中で、抱き起こした男性の目をそっと閉じた。
貴方の献身は多くの人へ繋がった。
私が繋げました。
私にとって貴方は間違いなく英雄で、貴方がいたから私は大勢の力になれた。その為に頑張れた。
家族との時間を奪ってしまった罪は償えなかったけれど、貴方の挺身を意味あるものにはできました。
それにきっと、その意味はスカーレット・ノースマークにも繋がっています。
周囲より恵まれている分、人より多くの義務を背負わなくちゃいけない―――お母様の言葉に感銘を受けたのも、きっと私の根に芙蓉舞衣の生き方があったから。理想的な貴族の在り方は、かつての私の生き方に合っていた。
私が声を掛けると、男性は周囲に溶けるように消えた。
私の都合の良い思い込みかもしれないけれど、あの人の未練が少しでも散ってくれたのならいいと思う。
……これで良かったのかな?
「さあ? 死んでしまった人の想いを確認する方法なんてないよ。残った私は、折り合いをつけただけ」
しかも、異世界なんてところに来てしまったし?
「そうだね。あれから時間も状況も大きく変わったよ。私なんて、私じゃなくなったし」
そう言ってコロコロ笑う仕草には覚えがあった。
そんな事に今まで気付かないくらい、私の記憶は乖離してしまっていたんだね。
「仕方ないよ。私自身が望んだ事でもあるんだから」
うん。
私が、他でもない私が望んだ。
芙蓉舞衣は最終的に病で倒れた。
その頃には両親もとっくに他界していて、結婚もしなかった私は1人で病院に寝ていた。
……そっか、両親より先に死ぬって親不孝をした訳じゃなかったんだね。少しだけホッとした。
「そうだよ。無茶な生き方の自覚はあるから、心配はかけ通しだったかもだけど」
あー、それはそれで心配させたかも。
「でも、1人だけど1人じゃなかった。私に助けられたって人から、たくさんのお花やお見舞いが届いた。それに、あの人の娘さんからも快方を願う手紙が届いたよね」
そうだった。
あれを見つけた日はいっぱい泣いた。何度も、何度も読み返したよ。
もう返事を書く余力は残ってなかったんだけど。
「それで思ってしまった。もしあの事故がなかったら、私はどう生きたんだろうって」
うん。
後悔があった訳じゃない。人生をやり直したかった訳でもない。
ただ、芙蓉舞衣にはできなかった別の生き方をしてみたいって願った。
「それを神様が聞き入れてくれたのかな?」
どうだろ?
ラノベならそこでチート能力も一緒に貰う展開だけど、そんな記憶は未だに湧いてこない。
だけどとにかく、奇跡は起きた。
そして、スカーレット・ノースマークに生まれ変わった私は、引き摺る可能性が高かったから、事故に繋がる記憶を閉じた。それは半生を忘れる事でもあるから、早逝したって思いこんだ訳だけど。
でも、全く別の生き方をできてるって気はしないよね。根っこはあんまり変わっていないみたいだし。
「いいんじゃない? 完全に別人になりたかったなら、前世の記憶なんて全部失くしてしまえばよかった訳だし。結局、私の生き方は事故で歪められただけじゃなかったって事だと思う」
ま、確かに向いてないのに30年以上他人の為に生きるとか、できる訳がないよね。人間、贖罪の気持ちだけで別人になれるとは思えない。
自覚が薄かっただけで、そういった生き方が合っていたんだと思う。
当時の趣味ではあったかもしれないけど、思い出した今でも漫画やゲームに未練はない。私の人生に必須ではなかったんだろうね。
温泉は私の血液だけど!
「ね、1つ訊いていい?」
何?
「貴女は誰?」
決まってる。
私はスカーレット・ノースマーク。侯爵家の長女。
私は迷わなかった。
全てを思い出した私は、きっとあの事故の事を二度と忘れない。でも、今の私の生き方はそれに引き摺られない。
決別する訳じゃなくて、記憶と向き合って生きていく。
と言うか、既に影響は受けてたよね。
異常に誰かの死を厭うとか、どう考えてもこれがトラウマの元だし。
で、貴女は芙蓉舞衣って事で合ってる?
「そう言っていいんじゃない? あんまり意味はないけど」
それもそうだね。
彼女は別に、私のもう1つの人格って訳じゃない。
前世の意識が残っている訳でもない。
これはただの夢。
私が目を逸らしていた記憶を管理する存在として、私が便宜上作り出しただけ。
2人分の記憶は重いから、今後も役目は背負ってもらうと思うけど。
私達は常に共にあった。
スカーレット・ノースマークと芙蓉舞衣。
表と裏。
実像と虚像。
別の側面を持つかもしれないけど、その境界は曖昧で、綺麗に分けるのは決してできない不離一体。
彼女は舞衣で、スカーレットでもある。
今更1つになった訳でもない。
私達は初めから私だった。
ただ、私が思い出し方を忘れていただけ。
精神が身体に引っ張られて幼くなったスカーレットでは抱えきれない記憶との接続を切っていただけ。
「ところでスカーレット、暢気に寝てる場合じゃないと思うけど?」
あ。
そうだった。
意識を保っていられなかったけど、いつまでも夢に浸っていると身体が危ない。皆を助けられたのかどうかも気にかかる。
ごめん、舞衣、もっと話してたい気もするけど、今は急がないと……。何ができるか分からなくても、じっとしてはいられないんだ。
「うん、頑張って。舞衣はここで、スカーレットの物語を見てるから」
舞衣の物語は終わってしまった。
でも運命の神様は私に続編をくれた。
スカーレットは舞衣の分まで人生を楽しまないと!
その為に、私の大切な人達を助けたい。
それができる魔法を、今の私は手に入れた。
今度こそ幸せになってみせるよ。存分に楽しんでみせる。力を貸してね、舞衣。
お読みいただきありがとうございます。
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今後も頑張りますので、宜しくお願いします。
 




