ダンジョンの崩壊
その後の進展は早かった。
部隊を別けた中央防衛軍は次々と屍鬼を押し返してゆく。物量で圧倒するのが軍隊の本懐、そして援軍としてやって来た数、何と8000。倒しにくいって屍鬼の性質だけでは彼等を止めるには足りなかった。
いくらダンジョンが次々魔物を生むと言っても、倒した端から再生できる訳じゃない。魔力の充填時間が必要なのか、何かの条件を満たす必要があるのか、詳細を調べるのは今後になるけど、少なくとも進軍速度の方が早かった。
たった一晩でワーフェル山の中腹、私が掌握領域を広げたあたりまで兵を進めたらしい。
おかげで私はよく寝られた。
勿論、何かあったならすぐ起こすように伝えてはあったのだけれど、8時間ぐっすりと眠っていた。頭が重い事には違いないけど、少しは余力も戻ったと思う。
その間、防音魔法で私をずっと覆っていたフランにこそ休めと言いたい。
「ニンフなる男の情報から、ダンジョン領域内での魔法の使用はダンジョンの強化に繋がると周知してあります。ここからは時間との勝負ですね」
自分はまだ無理をしていないからと、夜間の報告の取りまとめはウォズが担当してくれた。目の隈を見る限りそんな筈はないと思うんだけど、キャシー達も限界が近かったので甘えておいた。
なお、帝国の工作員から絞り出した呪詛ダンジョンに関する情報は、私達の推論とほぼ一致していた。帝国では侵略用の兵器として開発されたらしい。
虚属性の知見はないのにダンジョン化を可能にした技術は凄いけど、盛んに呪詛を研究する体制はどうかと思う。私達からすると国民の犠牲が前提の技術なんて忌まわしいものでしかないけれど、生活環境の厳しい帝国では口減らしの意味も持つのだとか。
「私が掌握領域との境を隆起させるから、その前で待機してもらって。北の部隊は遅れてるんだよね?」
「はい。俺達の到着時に竜型屍鬼を討伐した後、日付が変わる頃に再び現れたので拘束してあります。その分、進軍に遅れが生じましたので、彼等を待ってダンジョン領域の攻略を開始します」
何かあったらって言ったのに、竜屍鬼の再出現は寝ている私のところに届かなかった。
大地竜戦を経験したサンさん達が中心となって拘束を実行したらしい。引き付ける戦力が並じゃないので問題は起きなかったと、朝ご飯を食べながらさっき聞かされた。
まあ、今の私は狭域化実験の責任者であっても、ダンジョン掃討作戦の指揮官じゃないからね。
で、誰が9000近い人員を率いているかというと―――
「あーら、レティちゃん起きたのね? 頑張り屋さんの貴女にしっかり睡眠時間を上げられて良かったわ。まだまだ育てないといけないところが多そうだものね」
なんて大きな声がウェルキンの食堂に飛び込んできたと思ったら、柔らかい圧力に潰された。
ライリーナ・カロネイア。
オーレリアのお母さんで、現在、部隊の指揮を執ってくれている人。前大戦の活躍から“氷の知将”なんて呼ばれる事もあるとても凛とした女性なのだけど、娘の友達の前では何故か近所のおばちゃんになる。
そんな素直な感想をオーレリアに伝えたら、絶対に本人には言わないでくださいと懇願された。怒らせると凄く怖い人らしい。
一部育っていない云々の話になると普通ならイラッとするんだけど、何故かこの人の場合は気にならない。嫌味じゃなくて、きっとお母様みたいに育つだろうって信じてくれてるからかもね。
「おはようございます、ライリーナ様。ゆっくりさせてもらってすみません」
「いいのよ。レティちゃんは私達が来るまで立派に凌いでくれたんだもの、休むのは立派な権利よ」
「でも竜型屍鬼がまた現れたと聞きました。大変だったのではありませんか?」
「竜としての特性は失っていると分かりましたからね。レティちゃんが拘束の為のスライムをたくさん作り置いてくれたし、あの人のガス抜きになって丁度良かったくらいよ。放っておくと、拘束してある大地竜の方へ走って行きそうだもの」
あの人、カロネイア将軍は今回遊撃部隊として参加している。
オブ……なんちゃら派閥の不始末があった分、今回は私の下についた事を知らしめて、事態収束の手柄を譲るつもりらしい。
「流石、王国最強を誇る将軍。竜屍鬼では物足りませんでしたか……」
「そうね。大地竜の話を聞いて、遅かったか!? って嘆いたくらいですからね」
面倒事を放り出して、ただ暴れたかっただけって気もするけども。
「ところでレティちゃん、聞いた? 死体型、スケルトン型に続いて、また屍鬼の様子に変化があったみたいよ」
「え!? また屍鬼が強化されたのですか? まさか、まだダンジョンは拡大を!?」
「どうかしら? 今のところ、強さが変わったって報告は入っていないわよ? 見た目としては死体型とスケルトン型の中間、躰が一部崩れているそうよ。欠損部分のあるスケルトン型も増えたらしいわ」
どういう事だろう?
亜竜種をはじめとした大型屍鬼の登場、スケルトン型の発生、そして竜屍鬼の来襲、状況の変化はダンジョンの強化と一致していた。
領域外で屍鬼を倒し続けたせいで逆に弱体化した?
魔力が不足して屍鬼の形を保つ余力がないとか?
だけど楽観はしたくない。
「でもいいわね。飛行ボードのおかげで次々情報が入るわ。山の裏側で起こった事が、ほんの数分で分かるんですもの。こんなに気持ちよく指揮ができるなんて初めてよ!」
ライリーナ様はあまり気にならないのか、情報伝達速度の改変に感動している。
前世の通信技術に慣れ親しんだ私としてはまだまだ不満も大きいのだけれど、現行の移動手段的には衝撃だったらしい。戦略を練る側からすると伝達速度は肝だしね。
興奮のあまりバシバシ私の背中を叩くものだからとても痛い。
カロネイア将軍に並ぶ数々の逸話を携えているだけあって、碌に強化していない筈なのに力強い。昨日の私だったら致命的なダメージを負っていたかもしれない。
「ウォズ、ノーラは?」
「エレオノーラ様でしたら、空からのダンジョン核探索に行きました」
「あら? レティちゃんったら心配性ね。気になるの?」
「……ええ、変化を軽視するべきではないと思っています。ニンフという男から得た情報に、こういった現象はなかったのですよね?」
「まあ……そうね。それを言うなら、竜が屍鬼化するなんて話もなかったわね」
「呪詛技術の研究を推し進める帝国であっても、無駄に屍鬼被害が拡大する事を良しとしたとは思えません。ダンジョンの拡大はある程度で止めていたのでは? それに、研究職でない工作員が知らない情報もある筈です」
他国への攻撃なんだから、不透明な部分が残っていても気に留めなかったかもしれない。
「分かったわ。昨日まで戦線を支えてくれたレティちゃんの直感を信じましょう。丁度、この飛行列車はダンジョン領域の上を飛んでいるから、確認してくれる?」
「はい。ウォズは念の為、ノーラに伝令を出して」
今日、私の最初の仕事は屍鬼観察に決まった。
何もないならないで良い。
そう思いながら、私はウェルキンの外へ出た。下への視界を確保しつつ、屍鬼を探す。
昨日の時点ではウヨウヨいた筈なのに、山を下りで討伐されてしまったのか、なかなか見つからない。私の掌握領域で彷徨っていた個体も掃討されてしまっている。
少し山頂の方へ行ってみるしかないかな。
もしかすると、屍鬼の発生頻度にまで異常は及んでいるのかも。
その時―――血相を変えてこちらに飛んでくるノーラに気付いたのと、山頂付近でモヤモヤさんが溢れるのを知ったのは同時だった。
「!!!」
「スカーレット様! 大変です! 山頂の近くで魔力が高まっていますわ! 近くに核があるのは間違いありませんが、その前に何かが、恐ろしい何かが起こります!」
その前にも何も、異変は既に起こっているのだけれど、山に背を向けたノーラは気付かない。
泥、だ。
黒い泥が溢れてくる。
大量の泥がワーフェル山を犯してゆく。
昔、一度だけ見た覚えがある。
ヘドロみたいな粘性を得た濃度が桁外れのモヤモヤさん。
あの時は、私の受容量を越えて決壊した。
今度も似た状況かもだけど、困った事に規模が違い過ぎる。
しかも、ノーラに確認するまでもなく悍ましさを帯びていると分かる。
呪詛に塗れたモヤモヤさんが噴き出てくる。
黒い洪水。
きっと、あっという間に周辺を飲み込む。
その量は尋常じゃない。
駄目だ。
今のワーフェル山には大勢がいる。
カロネイア将軍と遊撃を買って出たオーレリアが、現地での調整を担当してくれたキリト隊長達が、折角2日間を持ち堪えた人達が、王都から来てくれた援軍が……。
間違いなく、あの泥はキャシーとマーシャ、拠点にいる2人にも届く―――
「そんな事、させない!!」
私は箒を抜いた。
3本まとめて黒い奔流へ向ける。
加減なんて考える余裕もない。
狙いを定める必要も感じない。
ただただ、皆を救いたいと願う。絶対に助けるんだと吠えた。
全部、全部、飲み込んでやる―――!!!
私の意識は、そこで途切れた。
お読みいただきありがとうございます。
ブックマーク、評価で応援いただけると、やる気が漲ってきます。
今後も頑張りますので、宜しくお願いします。




