交通事故
「何が起きたのか、分かりますか?」
音は比較的近くで聞こえた。
だから、フランが情報を求めて飛び出すよりも早く、運転手に問う。
「……事故です。交差点を直進中、左方向から車に衝突されました。音の大きさの割に衝撃はありませんでしたが、お嬢様方はご無事ですか?お怪我はありませんか?」
流石、令嬢の乗る特別車を侯爵家が託した運転手さん、非常時でも冷静に状況を把握して、こちらの心配までしてくれた。
音の大きさには吃驚したけど、交通事故とは思ってなかったよ。
原因が分かって窓から覗くと、フロントがベコベコになった余所の車が見えた。ウチの車は私を護る為に用意した特別仕様に加えて、私がモヤモヤさんをたっぷり注ぎ込んだので、傷一つ無いね。音の発生がこんなに近くだったなら、あの轟音も納得かな。
車と衝突して音しか聞こえない無茶苦茶な性能とは思わなかったけども。
ちなみに、この国に信号機の文化は無い。日本人感覚からすると訳の分からない話だけれど、車の普及率が低いので法の整備が遅れている。ある程度の基本ルールはあるのだけれど、街中では貴族、軍事、富豪、運送業者、公共交通車両くらいしか走っていないので、事足りている―――事になっている。
原則として、速度超過の禁止。徐行に毛の生えたくらいしか許されていない。
街では歩行者でも反応できる速度しか出せない代わりに、道路は歩行者より車が優先。偉い人が乗ってる場合が多いから仕方ないのかな。
道路交差地点では、必ず一時停止して安全確認後に発進する。進入車両が同時に現れた場合は、身分順。笑ってしまいそうだけど、本気なんです。その為に身分や立場を示す、紋章や記号の表示が義務付けられている。
罰則は重くて、違反すると車両を没収されて、再購入の禁止、さらに重度の罰金が科せられる。悪質な場合は財産没収、懲役刑、貴族の場合は爵位剝奪まであるよ。購入時点で身分と立場、魔力を登録しているので、まず逃げられません。
で、街の外はほぼ無法状態だよ。
ノースマークでは法整備を進めてるんだけど、これがなかなか浸透しなくて困ってます。大事なことだから、ローカルルール扱いしないで!
こちらに過失のある状況には見えなかったけれど、一行の責任者としては相手側と話す必要がある。被害はゼロで迷惑を被った気はしないのだけど、侯爵家の紋章を記した車に突っ込まれた訳だから、相手の責任を追及しなきゃね。
そう思っていたら、相手側のリムジンっぽい高級車から、金の装飾をじゃらじゃら着けた趣味の悪い騎士風の男が、10人ばかり出てきてこちらの車を取り囲んだ。
「出て来い!ガーベイジ子爵の車にぶつかっておいて、ただで済むと思うな!」
金飾りを多く着けたリーダーらしい男が叫ぶ。
何を言ってるのか分からない。
貴族である事を笠に着ているようだけど、何故こちらの一行も貴族と気付かないのか。
大名行列みたいに車列を組んで移動するのは貴族か運送業者のトラックくらいだし、義務付けられている通り全車両に侯爵家の家紋を掲げてある。
貴族の紋章は、紋様が描かれた盾を中心として、その周りを飾りで彩る図柄が基本となる。加えて、侯爵以上には盾に色を入れる事が許されている。伯爵以下の着色は飾りだけ。富豪が紋章を真似る場合は盾が使えず飾りだけ、細かく決められている。
青い盾に聖杯の絵柄を、波模様で彩っている紋章はノースマーク家を示す。
色付きの盾を持つのは、王族、公爵、侯爵家が4つと辺境伯家が3つ。最近侯爵家が1つ減ったらしいけど、現状、たった9色。これ程分かりやすい目印もないと思う。
そもそも、各家の紋章を覚えるのは一般常識だと思ってたのだけれど……違うのかな?
ガーベイジ子爵家は二つ団子の盾に丸模様、うん、間違ってないね。
「憲兵を待てば、助けてもらえるなんて思うなよ。貴様らにぶつかったショックで、ご子息アイディオ様は頭にコブが出来たんだ!貴族を害した罪は重いぞ!」
ますますヒートアップする隊長さん。
潰れたフロントを見るに、コブで済んだのは相当に強運じゃないかな?
それより運転手さん、大丈夫?
「フラン、皆に決して外に出ないように伝えて。憲兵が来るまで車内に待機します」
男子なら、臆病者と誹りを受ける可能性があるけど、私はか弱い女の子。立場は最大限に利用するよ。
強化魔法で軽くひねって、ゴリラと呼ばれる趣味はないからね。
私の指示に応じてすぐに伝達してくれたけれど、フランは少し不満そう。風魔法に声を載せて送れるので、車の窓を開ける必要すらないよ。便利だね。
あの魔法、私も無属性で再現してみたけど、スマホ魔法、難しいんだよね。
「あのような無礼者、私は放置したくありません」
やっぱりフランの不満は、私と侯爵家を侮辱されてる事だった。気持ちは嬉しいけれど、私は皆の安全を優先したい。
水戸黄門に倣って身分差で黙らせる方法も考えた。フランなら格さん役も演じてくれるだろうけれど、紋所は車体にデカデカと張り出されてるんだよね。成功するイメージを持てなかった。
どう見ても短絡的な連中だから、正論を語ったくらいで聞き入れられるとは思えない。
「落ち着いて、フラン。紋章を見てもいないか、見てもその意味を理解できないか、どちらにしても暴力に訴える相手に会話は成立しないわ」
「そう……ですが」
「その代わり、一連の映像を残しておいて。既にこれは家同士の問題、後で責任を追及するお父様の為に、言い逃れできない証拠を揃えておきましょう」
私の魔法以外にも、この車いろんな機能が付いてるからね。対処を憲兵に投げるだけで、彼らを許す気はないよ。意図に気付いてフランも納得してくれた。
「かしこまりました。おやおや、寄って集って車を蹴りはじめましたね、弁償費用を計算しておきますね」
笑顔が怖いよ、フラン。魔法で守ってあるから、傷は付かない筈だけど、弁償?
「震えて車に籠っても無駄だ!出てこな―――」
蹴られたくらいではビクともしないけど、うるさいのは嫌だなと思っていたら、急に静かになった。フランが魔法で遮音してくれたみたい。
マジックミラーは解除できないから、見苦しい姿は視界に入ってしまうけど、憲兵の到着に気付かないのは拙いし、仕方ないね。
無駄に車体を蹴り続ける事10分。剣も抜いたけど、こちらはすぐに諦めた。多分、返ってきた衝撃が痛かったんだと思う。
こちらがあまりに反応しないので、業を煮やしたのか、もっさり髭の鶏ガラみたいなおじさんが出てきた。髭はボリュームいっぱいなのに、頭頂部は寂しい。年齢からすると、子爵本人かな?
はじめは怒りが騎士隊長らしき人に向けられてたけど、怒鳴るだけ怒鳴りつけると、こちらを睨みつけてきた。
ガーベイジ子爵の指示の下、騎士達が銃を抜く。声は聞こえてないけど、その必要もないくらい明らかな敵対行為。
「いくら見境なくても、憲兵が来るくらいは持つと思ったんだけど…」
これ以上は私も黙っていられない―――と思って腰を浮かせたら、騎士達の間を風が駆け抜けていった。何事!?
私から見えたのはそれだけだけど、ガーベイジ子爵と騎士の半分は、何らかの衝撃を受けて飛び散ってゆく。この事態を引き起こした当人は、勢いがつき過ぎたらしくて、交差点の向こうから歩いて戻って来た。少し締まらないね。
騎士と車両の間に、私達を守るように立った影は小さい。
でも、頼りなさは感じない。頼れる援軍が来てくれたみたいです。
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