屍鬼の氾濫
フランの報告を聞いた私は、すぐにウェルキンから飛び出した。
まだあたりは薄暗く、情報は届いたばかりのようで、拠点内は混乱の最中にあった。
「ああっ、スカーレット様。大変です。屍鬼の、屍鬼の群れがこちらに向かっているそうです! い、一体どうすれば……!」
私に気付いたオキシム中佐が、縋りつくように指示を求めてきた。巨漢が怯えても気味が悪いだけだから、しっかりしてくれと思ってしまう。でも魔物の大量発生なんて、経験した事がないだろうから仕方がないのかもしれない。
「正確な数は把握できているのですか? どんな種類で、こちらへ向かってくる以外の行動は?」
「あ、いえ、偵察に出ていた者からは夥しい数とだけ……。人ではなく、魔物の死骸だったとか」
今のところ、魔物の殲滅を進めるトゥーム山以外は魔物の生息状況の把握しか行っていない。その観察部隊が異常を発見したんだと思う。
人型でないなら精神衛生上は楽かもだけど、魔物の死骸が動くなら個体差が大きい。それが大量に湧いているとなると、かなり厄介かもしれない。
「なら、すぐに飛行ボードによる偵察部隊を編成してください。氾濫の規模と魔物が向かう先を把握しなければなりません!」
「は、はい、今すぐ!」
「それから、リグレス大佐は何処に?」
「た、大佐なら、報告を聞いた後すぐに部隊を率いて屍鬼討伐に向かわれましたが……」
責任者の私に何の報告もなしに?
指揮系統とかどうなってるんだろうね。オブ……なんちゃらの人達については今更かもだけど。
まあ、いい。
威力偵察に出たと思おう。
考えなしに突撃して解決するなら大した事態じゃないし、無理ならすごすご帰ってくるよね。屍鬼に齧られてその中に混じるとか、考えたくもない死に方だろうし。
でも、ここで兵を減らされるのは困る。
「すぐに伝令を出してください! 部隊の損耗回避を第一に、手に負えないならすぐ退くようにと! 敵前逃亡がどうしたと言う以前に、上官の命令に従えないなら軍に居場所はない、と!」
「ひっ! ……は、はいーっ!」
部隊編成から漏れたオブ……何とかの一員だと思うけど、若い兵士が青い顔で走って行った。指揮系統を乱している事に、今更気付いたのかな。
「それから、金剛十字の人達は急いでダンジョンへ飛んで、烏木の牙を呼び戻してください! この時間ならまだダンジョンに潜ってはいない筈です」
「はいっ!」
そうは言っても、朝早くから探索を再開している可能性もゼロじゃない。私の意図を汲んでくれたサンさんは身軽なメンバーを伝令役に人選してくれていた。最悪、ダンジョン前のキャンプが既に空でもすぐに後を追ってもらえる。
とりあえず思い付くままに指示を出したけれど、完璧だとは思っていない。
他に何を急がせるべきか―――そう思考を巡らせていた時、明らかな異常が目に入った。
「……モヤモヤさんが、無い!?」
視線の先、今問題になっているワ-フェル山の頭頂部から2/3程度が、ぽっかり顔を出している。私には黒く見えていた筈の山が、本来の新緑を晒している。
正確には北寄りに偏っているけれど、モヤモヤさん―――魔素のない空間が広がっている。
「オキシム中佐、念の為に確認させてください。先行してワーフェル山に魔導変換器を設置した、なんて事はないですよね?」
「は? そんな計画はありません。魔導変換器は動作確認としてこの拠点で起動させた以外は、まだ飛行列車から運び出してもいませんよ」
もしかして、と縋った可能性はあえなく否定された。
なら、あれは何?
あの山から丸々モヤモヤさんを取り去るなんて、私の魔力が空であっても難しい。何しろ、このあたりの魔素濃度はノースマークや王都とは比べ物にならないほど濃いからね。魔力を消費していない私が掃除するだけでは足りないからと、ベースキャンプのモヤモヤさん除去は魔導変換器を頼ったくらいに。それだけでちょっと引くくらいの魔力が採れた。
魔導変換器でも、私でもないとすると、モヤモヤさんを綺麗に消し去る何かを、私は知らない。
屍鬼大量発生の報告がなければ、新発見だとはしゃげたかもだけど。
この状況で2つの異常に関連がない訳もないよね。
魔素を屍鬼が吸収した?
周辺の魔素を死体が取り込む事で屍鬼化した?
実は屍鬼発生の条件については分かっていない。時折、人でも魔物でも死体が突然屍鬼に変わる。だからこの国では土葬は絶対に禁止されている。ただし、魔物は魔石を抜き取ったなら屍鬼化しないらしいので、死骸をそのままにすることもあるんだとか。
だから、どんな可能性であっても否定はしきれないんだけど、屍鬼が生まれるのはあくまで散発的で、連鎖的にそれが起こった報告例はない。しかも今回は魔物の氾濫って規模だから、間違いなく何かきっかけがあった筈。
そもそも私、今のワーフェル山みたいにモヤモヤさんのない空間、何処かで見てなかった?
「あ」
それが何処だったのか、思い出して血の気が引く。
いや、でも……そんな、まさか……。
関連があると思いたくない。信じたくない。
第一、地下空洞以外にそれが発生した例なんて聞いた事がない。だから、きっと違う筈……。
それに、この仮説が当たっているとしたら、この件は大事になる。
いや、だからと言って、眼を逸らす訳にも……。
「スカーレット様!」
私が可能性に慄いていたところに、今度はトーレさんが駆けてきた。
今度は何?
「エレオノーラ様が、エレオノーラ様がお倒れに……」
「!!」
私は最後まで聞く前にウェルキンへ走った。
ここで身内を失うなんて、絶対に拙い。
気付かない内に無理をさせていた? ここに至るまで異常を見落としてしまったの? 病気とかなら、周りに感染した可能性もあるんじゃない?
後悔に苛まれながらノーラの元へ急ぐ。
ウェルキンの先頭車両、その入り口すぐのところでノーラは蹲っていた。
青い顔で口元を押さえるノーラは、トーレさんを従えて戻った私を見て、状況を把握してくれた。
「すみません、スカーレット様。気分が悪くなってしまっただけですわ。体調に問題がある訳ではありません」
主を心配するあまり、碌に彼女の状態を把握しないまま私を呼びに行ってしまったのだと言う。
アシルちゃんを私が助けた実績があるから、トーレさんとしては私を呼べば何とかなると思ってしまったのかもしれない。
最悪は起こらなくてホッとしたけれど、真っ青なノーラの様子は只事じゃない。
「嘘はないよね? こんな時に隠し事なんて無しだよ?」
「本当に大丈夫ですわ。外に出た時、あの山を見てしまっただけですから」
「あの山? まさか、ワーフェル山?」
それを聞いて、別の意味で只事ではないと感じる。
この非常時、ノーラが見たものほど頼れる判断材料はない。
「何を、見たの?」
聞くのが怖いような気がしながらもノーラに尋ねる。事実から顔を背ける事はできない。
「……山全体に広がる悍ましい悪意を。それを見た瞬間、吐き気を堪えられなかったのですわ」
「なるほど、それで顔色が悪いんだ」
体調不良の原因は分かった。
魔眼で見たなら、彼女以外に害はない。
でも、悍ましい悪意って表現、前にもノーラから聞いた事があるよね。
「それってまさか、呪詛?」
「……はい、おそらく」
あれは収穫祭の後だったと、掘り起こした可能性は当たってしまった。
「まさか、山の2/3くらいに広がっている? 」
「はい、少し北側寄りですが。もしかして、スカーレット様も?」
「うん、その範囲に魔素が全く見えなかったよ」
「……では、間違いありませんわね。わたくしは山の内部であらゆる属性が渦巻いているのが見えました」
「……」
これで確定してしまった。
私の仮説に加えて、ノーラの見解まで一致したなら、たとえ前例がなくとも否定できない。
「「……ワーフェル山のダンジョン化……!」」
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