閑話 繋がる悪意
イーノック皇子を襲おうとした護衛―――ジハルトと言うらしいですが、皇子の留学を快く思っていなかったものの、忠義に厚く、皇子が幼少の頃から仕えていた騎士だそうです。
「では何故彼が皇子を襲ったのか、心当たりはないのですね」
「……ああ。僕の方こそ知りたいよ」
結局、目を覚ました皇子からは何の情報も得られませんでした。
殺そうとしてきた人間の忠誠云々は疑わしいと思ってしまいますが、何故今か、と言う点が不可解ではあります。
何年も付き従ってきた側近なら、いくらでも機会はあった筈ですから。
それこそ留学前に犯行に及んでくれたなら、私が巻き込まれずに済みました。第一、傍に仕えているなら2人きりになる機会もあったでしょう。もっと確実に殺せる好機はあったと思います。
「いつ犯行に思い至ったかによるのではないかな。少なくともこの数ヶ月は彼と距離を取っていたんだ。君への態度が目に余ったと言うのもあるし、僕が学院で交流を広げる事に不満を持っているようだったからね」
疑問をそのままぶつけてみると、そうした答えが返ってきました。
となると、待遇への不満が爆発して、と言う事もあるのでしょうか? やはり忠誠の件を受け入れられませんが。
当人に訊ければ早いのですが、先程から口元を歪めるばかりで何も話そうとしません。忠誠を誓ったと言う皇子の問いかけに対しても反応がありません。
「何故何も言ってくれない!? 僕が君に裏切られるほどの事をしたと言うのか?」
皇子の声は悲痛そうですが、どうにも同調してあげられません。
私の見たジハルトと言う男は、今回の件を除いても己の感情を優先するばかりで、異国で主を守る立場には見えませんでした。どうしてそんな男を留学の護衛に選んだのか、その決定を怪訝に思ってしまうのです。
そうこうしている間に、事態収束の為騎士団が到着しました。
騒ぎになった時点で帝国皇子が関わっていると通達されたのでしょう。やって来たのはカッツ隊長達でした。
倒れた護衛達に驚きながらも問題の暗殺者を拘束していきます。
しかし、王国はこの件にどこまで踏み込めるのでしょう?
帝国皇子をその護衛が狙った。王国の人間が関わった訳ではありませんから、あくまでも帝国の問題です。皇子に王国からも護衛を付ける提案は蹴られています。皇子が王国側の人間に害されたり、事故に遭ったりした訳ではありませんので、この件は帝国の問題です。
伯爵令嬢に武器を向けた件はありますが、危機は自ら払っていますし、皇子の如何に比べれば小事でしょうね。
「ぐっ……、がぁっ!」
私が突き立てた細身剣を抜く事で、苦悶の呻きが上がります。
その瞬間、意識が揺れました。
頭の中を強制的に弄られたような気がして、不快感がせり上がってきます。
そう感じたのは私だけでなかったのか、カッツ隊長もイーノック皇子も気味が悪そうに顔を歪めています。
「一体、何が………………え?」
その不思議な感覚の原因を知りたくて周囲を見渡した時、明らかな異常に気が付きました。
血塗れで拘束されようとしている、ジハルトと呼ばれていた男の姿が別人になっています。
しかも姿が変わった事より、何故この男をジハルトだと思っていたのか、と疑問が湧いてくるのです。
けれど、似た事案をレティから聞いていたとも思い出せました。
「まさか、呪詛による容姿の誤認?」
「あ! 第9騎士隊の副長が別人と摩り替わっていたと言う……」
研究室の情報漏洩事件についても報告を受けていたのでしょう、カッツ隊長も同じ結論に至ったようです。
レティは世界が変わって感じた、と言っていました。今の不快感はそれを後押しするものでした。自分が同じ体験をしてみて初めて、なるほどと思えます。
更に追加の根拠として、ジハルトと思っていた男の下から現れたその顔は、中性的で印象に残り難い顔立ちですが、その頬はこけ、目元は濃い隈で縁取られています。明らかに不健康そうな様子も、レティの報告と一致します。
「お前は、ニンフ!? どうしてお前がここに居る? ジハルトはどうした!?」
イーノック皇子が、訳が分からないと金切り声を上げました。
レティに聞いた限り、呪詛魔術によってジハルトと言う男の姿を模しているなら、本来の皇子の護衛がどうなったかは明らかです。
殺されそうになったばかりの皇子に受け止められるとは思えませんから、私は別の事を尋ねました。
「イーノック皇子、この男の事を知っているのですか?」
「あ、ああ。顔立ちは見る影もないが、叔父に仕えている男だ。当然、ここに居る筈はないのだが……」
次々変わる現実を受け止めきれないのか、皇子の声は震えています。
皇子の叔父、皇弟と言う事でしょう。
確か、王国への再侵攻を強行に訴え続けている人物だった筈です。なんとなく、事情が見えてきました。
これで王国にとっても他人事ではなくなりました。
呪詛魔法を使っての不法入国、滞在中の第4皇子の暗殺未遂、更にジハルトと言う男は別行動の時間があった筈です。その詳細は誰も掴めていません。それもこの男だったとすると、不正入国した男が長期に渡って暗躍していた事になります。
「何故だ、何故だ、何故だっ! 答えろ、ニンフ! いつから入れ替わっていた!? 不正に入国したのはお前の独断か!? 叔父上はこの事を知っているのか?」
掴みかかろうとする皇子を第4騎士隊の面々が止めます。
先程暗殺されかけたばかりです。しかも呪詛魔石を所持していたのですから、他に奥の手がないとも限りません。
「……くっ、くくくっ、滑稽ですな、イーノック皇子」
ずっとだんまりを決め込んでいた男が初めて口を開きます。そこには自国の皇子への多分な侮蔑が込められていました。
「独断? そんな訳がないでしょう。皇弟殿下は勿論、アンタの兄上も、お母上だって知っている事だ。融和派? 王国と交易して財を得る? 王国軍と協力して国境近くの魔物を狩る? そんな夢見がちな子供が賛同者を集める前に、邪魔の入らないところで消えてもらおうとアンタの留学は決まったんだよ。俺を王国へ忍ばせる為の体の良い囮だったのさ!」
「!!! ……そん、な」
殺される為の留学と聞かされて、イーノック皇子が崩れ落ちます。
「王国人の小娘に言い負かされて、にっくきカロネイアの娘に入れあげ、転がされるアンタにくっ付いているのは苦痛だったよ。だがおかげであっさり王国に侵入できた。王国がこうも呪詛技術に対して無策だとは思わなかったから、面白いように計画が進んだ。その事は殿下達も喜んでくれるだろう」
裏を取っていないのでこの男の言い分を頭から信じる事はできませんが、心底皇子を見下し、嗤っているのは確かでしょう。
頷ける部分はあります。
留学の決定が一方的で、その割に皇子の態度がおかしかった事。
皇子の留学と時を同じくして王国内でも不審な動きが増えた事。
皇子に碌な護衛が付けられていなかった事もでしょうか? もしカッツ隊長のような人が護衛にいたなら、皇子を突き飛ばした私は拘束される他なかった筈です。けれど皇子が殺される予定だったのなら、障害となる護衛はむしろ邪魔だった事でしょう。
「馬鹿な子供の護衛の振りをしていないといけないところは不満だったが、最後にそのザマが見られたなら、溜飲も下がったよ。くくく―――ぐふっ!」
不愉快な嘲笑は、カッツ隊長に殴りつけられて止まりました。
「随分ペラペラしゃべってくれるな。その調子で、貴様が王国で何を仕出かしたのかについても、たっぷり話してもらおう」
「ああ、いいぜ」
「……余裕だな? 我々を甘く見ているのか?」
「くくく、皇子を殺せなかったのは残念だが、任務は全うしたからな。俺は初めから生きて帰れると思っちゃいない。尋問でも拷問でもいくらでも付き合ってやるよ。お前達にその余裕があるなら、な」
「何?」
「言ったろう? 任務は全て終わったんだよ。最後だけ忌々しいカロネイアの小娘に邪魔されたが、大した問題じゃない。もう全ては手遅れだ」
「何をした? 何を起こすつもりだ!?」
「決まっているだろう、戦争だよ。17年前、皇国の介入で中断せざるを得なかった戦争を再開するのさ」
戦争、そう聞いて騎士達が騒めきます。
「今度は皇国の邪魔は入らない。何しろ、切っ掛けを作るのは王国側だからな」
「ふざけるな! そんな事、ある訳が……」
「都合良く、侯爵家のお嬢様が辺境へ行ってくれたからな。実験は残念ながら失敗、その影響で魔物が大量発生してそれらは帝国へと雪崩れ込む」
え?
「どうだ? 魔物を誘導した立派な侵攻だ。今度はお優しい皇国も敵に回るかもな」
「貴様が切っ掛けを作っておいて何を?」
「いいや、実行するのは栄えある王国軍人様だよ。ちょっと唆したら、エッケンシュタインも軍人達も、面白いくらい便利に踊ってくれたからな。オブシウスの集い、なんて祭り上げられていい気になっている連中に、気に入らない侯爵令嬢の実験を邪魔する手段があると話したら、すっかりその気になってくれたよ」
そんな……!?
呪詛技術、エッケンシュタイン、オブシウスの集い、これまで点で見えていたものが繋がって、胸が引き絞られます。
「王国人の命で染めた魔石を使って、王国軍人が事件を起こすんだ。そしてオブシウスの集いを是認する奴等が戦争を望んでいた事は、誰もが知っている。俺が唆したからと言って、王国は関係ないなんて言い訳は通らないだろう?」
「貴様ぁーっ!!」
カッツ隊長が男を締め上げますが、まるで堪えた様子はありません。
「……ぐっ、くくく、今頃、聖女などと呼ばれるお嬢さんは、魔物に蹂躙されている事だろう。そこに俺が絡んだと知って、この国の貴族は呑みこめるのか? 少なくとも王都の平民共は聖女様が大好きらしいからな、きっと帝国への怒りを滲ませるだろうよ。戦争への流れは止められん」
「すぐに実験を止めれば……」
「今から辺境へ走るのか? まだ小娘が生きていたとしても、ほぼ無尽蔵に湧き出る魔物にどう対処する? 今日まで俺を放置した時点で、もう全てが手遅れなんだよ! ははは、ははははははは!」
耳障りな哄笑を続ける男の言葉を、私は既に聞いていませんでした。
レティが危ない。
早く助けに行かないと。
そればかりが頭の中を駆け巡ります。
私1人なら飛行ボードで駆け付けられるかもしれません。けれど、それがどれほどの足しになるでしょう。
助けになるなら人手が要ります。
人手が欲しいなら大義が必要です。
けれど大軍を揃えるには時間がかかります。そうなれば間に合わないかもしれない。私は既にこの件に関して無力かもしれません。
それでも、じっとしてはいられませんでした。
私はカッツ隊長達を放って駆け出します。
父に、王城に連絡しないと。
ウォズも捕まえないといけません。何か知恵を絞ってくれるでしょう。
きっと私が駆け付けてみせます。
だからレティ、どうか無事でいてください―――
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