閑話 私のお嬢様 上
時系列が少し戻ります。
私のフラン の対となるお話になります。
私、フラン・ソルベントは、かつてスカーレットお嬢様が苦手でした。
奇跡の子。
屋敷の奉公人の間でそう囁かれるくらい、お嬢様は生まれた頃から特別なお子様でした。
未来の専属従者になるべく、見習いながらお嬢様付きになったのは、あの方が1歳になる少し前、私が6歳の頃です。
お仕事である事は理解していましたけれど、当時、まだ寝てばかりのお嬢様のお世話は退屈で、お母さんに話しかけていたら、叱られました。
「お嬢様が聞いていらっしゃるわよ」
そう窘められて、私は不満で一杯になったのを覚えています。
1歳にも満たない赤ん坊が話を聞いてるなんてありえない。そう憤慨した私でしたけれど、お嬢様と目が合って息が止まりました。
――――どうして、お話、やめたの?
不思議そうな瞳がそう語っていました。
とても気のせいとは思えませんでした。言葉の全てはまだ把握されていないかもしれませんが、少なくとも、理解しようとする理性が、確かにそこに在りました。
この時点で思い知った通り、すぐにお嬢様は私をお姉ちゃんと呼び始めました。教えていないのに、自発的に。否応なく理解しました、奇跡の様な才能を持つ御令嬢が私の主なのだと。
お嬢様は特別な子供だから、私はお姉ちゃんだから、守ってあげなくちゃいけない。
それが、最初のモチベーションでした。
その勢いのせいでやらかした数々の失敗については、思い出したくないですけれど。
私の一族は、皆ノースマーク侯爵家に仕えております。物心つく前からそうでしたので、そこに疑問を持つ事はありませんでした。そういうものだと思ってましたので。
ならば、私も同じ様に仕えたかったかと問われれば、当時の私は首を振ったでしょう。
主が生活の中心で、両親がなかなか帰ってこない幼少期でしたので、従者という職業に良い感情を持っていませんでした。
だから、お嬢様の従者になる話が持ち上がった時、聞いてみました。
「お父さんとお母さんは、どうして侯爵様に仕えているの?」
「実は、お父さんも、お母さんも、お爺ちゃんに言われて今の仕事を始めたんだ。だから、フランの不安は分かるつもりだよ。だけど、ある日気付いたんだ、旦那様の下で働く自分に、幸せを感じている事に」
「私達も、親戚の皆も、一生仕えるように命じられた事はないわ。でも、領地の為に懸命に働くノースマークの方々は、そのお手伝いをしたいと私達に思わせてくれるの」
残念ながら、当時はさっぱり分かりませんでした。
でも、成人する際に別の仕事を探したいと願うなら、それで構わないと言われて、一時的にメイド見習いになる事を引き受けました。
そんな始まりでしたから、苦痛を感じる日もありました。
お嬢様は可愛らしくて、妹ができたみたいで嬉しかったけれど、主なので距離感を間違えると後で叱られました。お嬢様は気にしていないのにどうしてと、不本意に思う事も多くありました。
お嬢様が大きくなられると、その優秀さが端々から滲み出るようになりました。当時は私の方が感情的になる事が多く、お嬢様はそんな私を冷静に観察して、宥める方に回るくらいでした。
3歳にも満たない幼子に慰められて、私は劣等感を募らせていました。
もし、このままお嬢様と距離を取っていたら、あの方の行動を気味悪がったり、空恐ろしく感じてしまう様になっていたかもしれません。
しかし、転機は思わぬ形でやって来ました。
ある夏の日、私は高熱を出して倒れました。原因は食中毒。私だけでなく、食事を共にする事の多いお嬢様付きのメイド3人が後に続きました。
寄生虫を起因とする事までは分かりましたが、症例が少なく、治療法や薬が明確でないため、対処方法が限られました。主な処置は治癒師による回復魔法。しかし、侯爵家付きの治癒師でも症状の緩和がせいぜいでした。
生死の境を彷徨ったとまで言うと大袈裟でしょうけれど、当時、幼心的にはそのくらいのきつい状況が続きました。
当然、お嬢様は私達から遠ざけられていましたが、数日に渡って姿を見せない事にお嬢様が不安を抱き、感染症でない事が明らかになっていた為、旦那様に短時間の面会の許可を貰い、お見舞いに来てくださいました。
「フラン、大丈夫?」
お嬢様の方が泣きそうだったのを覚えています。
側仕えが4人も突然いなくなった上、漸く会えた私の顔色が土気色だったものですから、心配になられたのでしょう。
「フラン、早く元気になってね」
そう言って握ってくださった手の温かさは忘れられません。
――――と言いますか、その温かさを感じた直後、あれ程酷かった体調が全快したのです。
奇跡としか思えませんでした。
その様子を目の当たりにした侯爵家の全員が、その奇跡の名前を知っていました。
治癒魔法。
なお、治癒師の手に余った病状を一変させたそれには、桁外れの、と頭に付きます。
私に限らず、お嬢様のお見舞いと同時に起こる回復はあまりに劇的で、まだ属性測定も行っていないお嬢様の魔法を、誰も疑いませんでした。
そのすぐ後の事でした。お嬢様に一生お仕えしたいと、旦那様と両親に宣言したのは。
命を救っていただいた様に思えたから。
誰に教えられる事もなく、魔法を使ったお嬢様に畏怖の念を抱いたから。
何より、私を助ける為に奇跡を起こしておいて、フランが元気になって良かったと、ふにゃっと笑ったお嬢様に、私は心服したのです。
お嬢様の力になりたい。
お嬢様を支えたい。
お嬢様をお護りしたい。
自然にそう思えた時、従者見習いになる際に両親から聞かされた話がストンと心に落ちて、私もソルベントの一族なのだと、不思議と納得したのです。
心を決めてから、私の生活は一変しました。
空いた時間の殆どは、母からの従者教育で埋められました。正直、厳し過ぎるのではないかと泣き言を言いたくなる事もありましたし、教える母は実はドSだったのではないかと密かに疑う日々でしたが、お嬢様の前にそんな情けない姿は見せられません。お嬢様の傍では、完璧なメイドであろうと演じるようになりました。
そもそも、私がお嬢様の手本となれるくらいでないと、淑女教育を始められた優秀なあの方にすぐに追いつかれてしまいそうで、気を抜ける日はありませんでした。
私が専属従者を目指してすぐ、時折寂しげなお顔を見せられるお嬢様には気付いていました。
お嬢様が私と友誼を結ぶ事を望んでおられると、知っていました。
けれど、申し訳ありません。
お嬢様が私を隣に望んでくださる事は大変光栄に思いますが、私が望むのは貴女の後ろに控える事なのです。
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