閑話 忍び寄る悪意
ジローシア様の弟、ハワード・エルグランデ視点です。
「ハワード・エルグランデ、君は王国軍へ出向となる。今後は、国防に尽力してくれたまえ」
突然下った辞令は信じ難いものだった。
第1王子の護衛騎士、この国で最も誉れある任務の1つに就いていた俺が、異動? 望んで転向する者はいても、近衛騎士から王国軍への異動など聞いた事がないではないか。
別組織なのだから、本来配置転換の選択肢に入っていない。出向などと言っているが、戻る目途がないのは明らかだろう。実質、騎士団から排斥されると言っていい。
「何故だ? 何故俺が、ほとんど平民で構成された戦争屋などに出向かなければならない!? そんな事、殿下がお許しになる訳が……」
「勿論、アドラクシア殿下の了承は得ている」
「な!?」
目の前の統督騎士の言う事が理解できない。
そもそも、騎士団の運営を取り仕切り、剣を持つ事もない統督騎士なんぞに、どうして命令されなければならないのか。
「俺はエルグランデ侯爵家の人間だぞ。そんな俺に、貴様程度が勝手をできると思っているのか?」
「騎士団に所属した時点で実家の力関係は意味を成さない。私は君の上官として、総長会の決定を伝えているだけだ」
「お、俺の姉はアドラクシア殿下の正妃だ。殿下だって、姉には頭が上がらない。姉の許可なく俺の進退を決めるなんて、できない筈だ」
「王子妃に騎士団の決定を覆す権利があるとは思わないが、今回の出向を提案されたのは、そのジローシア様だ。唯々諾々と従う謂れはないのだが、君の適性を鑑みて、妥当であると騎士団長が判断された」
「……そんな」
絶望的な気持ちになった。
姉ジローシアは、アドラクシア殿下と婚約した時点で、己の全ては国に捧げると決めた人だ。実家を省みない訳ではないが、国と殿下の利益を何より優先する。俺や父はおろか、侯爵家を継いだ兄の意見すら届く事はない。
殿下の周辺や国の重要役職をエルグランデの類縁で固める事はある。しかし、それはあくまで殿下の影響力を高める為で、推薦の際にはその者の才覚を詳細に調査し、単なる縁故で優遇する事はない。血の濃さや身分より、適性を優先して遠縁の子爵を財務省の補佐官に推した事もあるくらいだ。
つまりその姉に、俺はアドラクシア殿下の護衛に相応しくないと、騎士である事すら似つかわしくないと、切り捨てられたと言う事だ。
これ以上統督騎士に噛み付く気力も失い、気が付くと俺の人事は確定していた。
勿論、そのまま受け入れられるものではなく、姉のところへ苦情を言いに行った。
「私は、貴方の武力は認めています。しかし、誰かに仕える事に、致命的に性質が向いていませんでした。物事を深く考える事も苦手な貴方は、誰かに戦場を用意してもらい、存分に腕を振るった方が良いと判断しました」
しかし、面会に10日もかかったというのに、姉は取り付く島もなかった。
いつもの事ではあるが、反論も碌に許されないまま面会は打ち切られるのだった。
そういった訳で、俺は騎士団を追われた。
確かに、姉の言う事にも一理ある。俺の火魔法は周囲と比べて群を抜いていた。騎士団の鍛錬場などでは加減しないと施設に被害が出ていたから、思うままに振るえるなら気分がいい。
だが、相手が魔物では面白くない。
間伐部隊に参加して、盾と銃を構えた部隊の後ろから魔法を使ったが、思ったほど気分は晴れない。毛を燃やしながら逃げ惑うゴブリンには少し溜飲が下がったが、オーガ、リザードマンとなると俺の出番はなくなる。強力な魔物には接近されると危険だからと、狙撃や、より強力な魔導兵器の出番となる。
いくら俺が魔法の才能に溢れていても、榴弾砲の威力には並べない。
加えて、軍では騎士団以上に連携魔法が実戦に取り入れられている。個人としては秀でた俺の魔法も、5,6人と重ねた魔法には劣ってしまう。更に、才能が異なる俺の魔法は、連携させるのに向かないらしい。
平民数人で代替できてしまうなら、俺の存在意義って何だ?
「はっ、結局は魔物相手のお遊びだ。やはり、俺の居場所は軍なんかに無かったと言う事じゃないか」
そして今日も酒に浸る。
今の立場を不満に思ったところで、それを変える方法など無い。姉が意見を変える筈もないし、軍も辞めるとなると、騎士爵の立場を失ってしまう。兄の子も順調に育って、爵位が回ってくる可能性がない以上、貴族の末席に残り続けるには今の立場にしがみつくしかないのだ。
幸い、貴族子弟として扱われている為、耐えられないと言う事はない。
結果、酒くらいしか楽しみがない。
「来る日も来る日も、訓練、訓練、訓練、訓練! 所詮は、戦争ごっこじゃないか。こんな事を続けて、何の意味がある?」
初めのうちは俺の境遇に同情し、愚痴に付き合ってくれる同僚もいたのだが、話に飽きられたのか、断られるようになってしまった。
生意気だとは思うが、それくらいを許容できないほど狭量ではない。
それに、侯爵令息である事に気を使ったおべっかも、度を過ぎると不快だからな。
連中が行くような安酒の店には俺が耐えられない、というのもある。それに比べてこの店は、酒の取り揃えが豊富である上に、有象無象が立ち入らないから静かでいい。
俺は薫り高いワインを胃に流し込んでから、王国軍の状況に思いを馳せる。
カロネイア将軍は、確かに英雄と称えられるだけの貫録を持つ人だった。
しかし、考え方は相容れない。
「軍人が、戦争を望まないなんて間違っている。他国を攻め、国土を広げるのが、国軍の役割ではないか」
だというのに、今の王国軍にそんな空気はない。
むしろ、魔物を狩り、貴族に睨みを利かせる事こそが軍人の本分とすら思っている節がある。
何の為の訓練だ?
厳しいのはいい。だが、その意義が見出せない。結局は、間伐部隊でくらいしか生かせないのだ。俺の魔法は、魔獣を蹴散らす為にあるのではない。
獣を相手にするなら、冒険者に任せておけばいいではないか。
第一、魔物の相手などしていても功績には繋がらない。戦場で手柄を立てるくらいでないと、騎士爵以上に成り上がる手段はないのだ。
「いっそ、俺が勉強会を立ち上げるか?」
思い付きだったが、悪い考えではない気がする。
「帝国に宣戦布告して、どのように攻めれば効率的に領土を切り取れるか立案する。完璧な計画を叩きつければ、日和見の将軍だって意見を変えるんじゃないか?」
そう考えると、なんだか楽しくなってきた。
「宣戦布告だって、単なる通告では面白くない。大戦では一方的に攻められたんだ、意趣返しがあってしかるべきだよな。だが、最終宣告無しに攻めたのでは、蛮族国家と同じになってしまう。使者は正式に送る……しかし、同時に兵を潜伏させるんだ。十分な間諜を忍ばせるのも良いな、慌てて戦争準備を始める帝国の動きをつぶさに観察して、対応策を固めるんだ。開戦と同時に、備えの周到さで圧倒する」
「何やら、面白い事を考えていらっしゃいますね」
「……誰だ」
折角気分が乗っていたのに、水を差された気分で、低く睨んでしまう。
「誰、とは酷いですね。ニンフですよ。同僚の顔を忘れるほど飲んだのですか?」
「ニンフ……ああ、そうだったか」
なんて答えたが、そもそも同僚の名前なんて覚えていない。
胡散臭い笑みを張り付けているが、恰好からして嘘は言っていないだろう。
「で、そのニンフ少尉が、どうして俺の酒を邪魔する?」
「邪魔なんて考えていませんよ。いえ、私も訓練ばかりで実戦に繋がりそうにない今の状況が不満でしてね、勉強会で意見を同じくする者を集めようってあなたの試みに興味が湧いたのですよ」
「ふん、所詮は酒の席の戯言だ。粗が多過ぎて、作戦とは呼べん。カロネイア将軍が取り合う事もないだろうよ」
将軍の立ち位置からすると、耳を貸す事すらないだろう。
英雄と呼ばれるようになった直後から、戦争反対の意思は一貫している。
「いえ、案外将軍は、貴方のような意見を待っていたかもしれませんよ。毎日厳しい訓練を積みながら、戦争は望まない―――そんな意見が時流になっていますから口には出せません。そうであるなら、将軍の本心も分からないのではありませんか?」
「そんな事……」
「将軍は伯爵です。貴族としてのしがらみに囚われて、本音など言えないのでしょう。しかし、常に有事に備えた状況が、本心を物語っているとは思いませんか? ご自分では戦争を始めるなどと、決して言えない。だからこそ、その内心を汲んでくれる者を待っているのですよ」
不思議だ。
この男の言葉を聞いていると、本当にそうなのではないかと思ってくる。
さっきまで怪しげに思っていた筈なのに、湛える笑顔を頼もしくすら感じる。
「どうでしょう? 貴方が次の戦争を支える、陰の英雄になってみませんか?」
「英雄? 俺が? はは……、悪くない。悪くないな……、俺をこんなところに追いやった姉を、俺を、認めなかった殿下を、……見返してやるんだ」
蛇のように横長に吊り上げられた笑み、チラチラと覗く舌先、誘惑に絡め捕られた俺は、否定の言葉を持たなかった。
酔いだけじゃない。心地のいい陶酔が体中を巡っていく。
すっかり篭絡された俺は、ニンフと名乗った男と、酒場のオーナーが視線で合図を交わしている事には気付かないのだった。
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