閑話 情報漏洩者の独白
私は山の奥で周囲から隔絶した村に生まれました。
貧しい村でした。
村人の誰も車の一台所持していない。行商車両が年に1,2回来ればいい方で、特産もない村ですから来ない年もありました。
勾配のきつい山肌は農業に向いていません。足りない食料は森へ求めるしかありませんでした。運が良ければ獣が獲れる事もありますが、魔物もいる森です。入ったまま帰ってこない人もいました。
今でこそ、酷い生活だったと思えますが、外を知らない私はあれを当たり前だと思って過ごしていました。
父は狩人でした。
だからと言って、肉が回ってくることはほとんどありませんでした。兎や鹿、食用に適した猟果は、畑を持つ人達に麦や野菜と換えてもらわなくてはなりません。獣はいつでも獲れる訳ではありませんから、食料はいつだってギリギリです。残るのは皮や骨にこびりついた僅かな肉だけでした。
私が少し大きくなってからは、罠の作り方を教わって、鼠や蛙を獲っていました。
母は冒険者だったと言います。
しかし、私の記憶にある母は足を失い、父が獲ってきた獣の毛や皮を服や小物に仕立てていました。それらも物々交換に使われますが、数の少ない村人では消費しきれず、大半は行商人に売って食料と換えていました。
ですから、商人が来ない年は大変です。父母と私、弟の4人で賄うには足りず、雨水を飲み、良く分からない草を食べて凌ぎました。
来ない行商人を恨んだこともありますが、今になって思うと既製品が出回る中、見栄えが良いものでもなく、かといって値段も下げられない売りにくい代物だったのでしょう。希少な魔物素材で作った訳ではありませんから、お貴族様が顧客になる筈もありません。
勿論、買い叩かれてもいましたが。
村では、私達家族が特別貧しかった訳ではありませんでした。畑を持っていても、収穫量が悪ければ、冬を越す為に子供を売った話も聞きました。
私と弟は、両親に愛されていたのでしょう。どんなに状況が悪くなっても、どちらかを手放す話は上がりませんでした。もっとも、それは苦しい状況が長く続くと言う事でもあります。
いつか破綻するのは、必然だったと思います。
ある秋の日、山に入った父が帰ってきませんでした。
途端に生活は変わりました。働き手を亡くして、冬を越せる筈がありません。生きる為と、母は私を連れて山に入りました。
拙いなりに、獲物を狩った事もあります。兎の塩スープを泣きながら飲みました。
しかし、幸運がいつまでも続く筈もありません。
何度目かの狩りでゴブリンに襲われ、私を庇った母が投石を頭に受けて倒れました。
薬も無く、まだ10にもならない私には母を抱えて戻る体力もなく、動かなくなる母を震えながら見守る事しかできませんでした。
村に帰った私は、母の遺体を運んでほしいと村の人間に頼み込みましたが、戻った場所に母の姿はありませんでした。恐らく、ゴブリンが先に持ち去ったのでしょう。
そして、予定より大きく遅くなって家に戻ると、弟が冷たくなっていました。
良かった―――
動かない弟を見て、最初に思ったのがこれでした。
当時の幼い私が、更に幼い弟を養うのは重過ぎます。責任を背負う前にいなくなってくれて、ホッとしてしまいました。
弟の埋葬を終わらせた後、親戚を名乗る男が家にやってきました。
狭い村ですから、全員どこかしらで血は繋がっています。その時になって、縁者として私を保護しに来た訳ではありません。村の力自慢だった両親がいなくなって、家を奪いに来たのです。村長宅の次の次くらいに、隙間風の入らない家でしたから。
そして、狩って来る獲物を横取りされる前に、私は村を出ました。
1人分の食い扶持を得るだけなら、場所にこだわる必要はありません。弟の為に泣く事もできなかった私は、家族との思い出の残る村にいるべきではないと思いました。
何より、いつ死んだところで構わなかったのです。
結果として、私は山を越えて町に辿り着きました。
毛皮を抱えて寒さを凌ぐ術があった事、山で生きる術を学んでいた事、そしてあり得ないほどの運に恵まれました。
1ゼルも持っていませんでしたが、軒下の隅に丸まるだけで山の生活より楽でした。
意図した訳ではありませんでしたが、山を越えた事で隣の領地に入っていました。それだけで、村とは比べものにならないほど町は発展していたのです。
魔導灯があるので、夜、完全な闇に閉ざされる事はありません。並び立つ石の家は風を防いでくれます。公園というところで蛇口をひねれば、何とタダで水が飲めるのです。
山の過酷さは想像以上でしたから、もっと早く家族で移動していれば……とは思えませんでした。しかし、生きる希望を失った私に、生きられる環境が与えられたのですから、その理不尽に一晩中泣いてしまいました。
ただし近くの森の魔物は強力で、私が狩りに立ち入れる場所ではありませんでした。
お金がなければ路上生活もできないのだと、すぐに知りました。
そこで私は、身体を売ったのです。
治安の悪い区画へ行けば買い手はすぐに見つかりました。
思い出したくもない記憶ですが、変態の金払いは悪くありませんでした。たった一晩で、私は手にした事もない金額を手に入れたのです。きっと1年村で過ごしても、あれだけのお金は手に入りません。
とは言え、それで味を占めて夜の街を渡り歩く真似はしませんでした。行為自体を嫌悪した事もありますが、当時の私を買う変態は多くありません。僅かな可能性に縋るより、人の悪意が多い場所を避けたのです。
私は手に入れたお金で装備を揃え、冒険者として登録しました。
やりきれない話でしたが、私が村でむさぼり食べていた草のいくつかを摘んでくるとお金になるのです。見慣れたものが多く、毒草を摘む真似もしません。毒草の怖さは身をもって知っています。
子供1人暮らせる蓄えを得るのはすぐでした。
路上の生活から解放され、宿に泊まるだけの収入を手にした私は、初めて外食というものを経験しました。
衝撃でした。
苦いだけの雑草と違って甘い野菜、食用に育てられた豚の柔らかさ、しっかり出汁を取ったスープの旨味、全てが初めての経験でした。何より、塩以外の調味料の存在を知ったのです。味わいに深みがあるのだと思い知りました。
毎日外で食べる余裕はありませんでしたから、この日から料理が私の趣味になりました。
あの村で耐えた日々は何だったのかと思うと、また涙が零れました。
町での生活が1年、2年と続くと、分かった事もありました。
私が育った村、あの場所があった領地は領主が酷く、特に悪い環境にあったようです。お貴族様なんて遠い存在だと思っていましたが、領主の優劣で生活に違いが出るものだと理解しました。
それから、故郷の村は魔物に襲われて壊滅したのだと聞きました。
けれど驚きはありません。
村最後の狩人だった父、元冒険者の母がいなくなった時点で、村を守る術はなくなったと知っていましたから。
何の後ろ盾も持たず、群れる事もなく冒険者活動を続ける私の話は、そのうち歓楽街の元締めのところに伝わりました。
少し綺麗な顔立ちをしている事、そして以前に身体を売った事から情報が流れたようです。
声を掛けられたのは、10日に一度の外食を楽しんでいた時でした。
「もっと旨いものを食いたいと思わないか?」
その誘い文句が気に入りました。
村を出た私は、倫理観から犯罪行為を避けていた訳ではありませんでした。法を破るのは危険性を伴います。小銭を稼いで、たまに美味しいものを食べて、お酒の味も覚えて、漸く生きる楽しみ方を知ってきたのに、欲張ってそれを失う事を避けてきました。
しかし、危険性に釣り合う利益があるなら、躊躇う理由もなかったのです。
私がついて行った先で、その連中が必要としていたのは、呪詛魔石に適合する者でした。
聞いた話では、普通の魔石と違って、使用者と魔石の相性を考慮する必要があるそうです。その為、身寄りがなく消えても不審に思われない者を、片端から当たっていたとの事でした。
そして偶然、私はその条件全てを満たしました。
あの頃は呪詛魔石がどういったものかも知りませんでしたが、生きる事に執着していなかったのが良かったのかもしれません。
以来、私は呪詛魔石の使い手として裏の社会の住人になりました。
魔石を染める側に回ろうとは思いませんが、染まったものはただの道具と割り切っています。
呪詛の適合者は希少で、仕事には困らず、いつも大金が保証されています。裏社会のしがらみには面倒な部分があっても、十分な見返りが得られます。
冒険者生活も悪くはありませんでしたが、実入りは少なく、街の外に出る以上危険も伴います。大金を得てしまうとあの生活には戻れませんでした。危険性は段違いなのですが、実入りが良いなら構わないと思ってしまうのです。
道を踏み外した自覚はありましたが、後悔はしませんでした。
元より、弟の死を悦んだ時点で、神の御許に行けるとは思っていません。既に人の道を外れた身、残った時間を少しでも楽しむだけです。
そうして私は、呪詛使いとしていろんなところを渡り歩きました。
スカーレット・ノースマークのところへ潜り込み、研究の情報を流してほしい。
王都で私がその依頼を受けたのは、ニンフと名乗った人物の金払いが良かったからです。
基本、私が仕事を請け負う動機は、お金の多寡だけです。
望んで人道を外れた身、高尚な理念は持ち合わせていません。
しかし、いざ潜り込んでみると、守りが堅く、碌に情報を拾えませんでした。しかも、何とかいくつかの情報を流してみると、依頼人側がそれを吹聴して回ったようです。すぐに間者がいると、スカーレット様に知られてしまいました。
正直、やっていられません。
私が危険を冒しているのに、どうして依頼人側が警戒を強める事をするのか。
あまりの馬鹿馬鹿しさに、手を引く事を決めました。
けれど一度潜り込んでしまうと、姿を晦ますのは簡単ではありません。
呪詛魔石で認識を上手く歪めている為、疑われる可能性は低いですが、身を隠すと追われてしまいます。しかも相手は侯爵令嬢、楽に逃げられる訳がありません。
更に、呪詛に関連した研究を始めるとまで言い出しました。収穫祭でも呪詛が使われたそうなのでそちらの対策だとは思うのですが、どんどん危険度は上がっていきます。
どうしたものかと策を講じていた時、意外な名前が上がりました。
アセット・パノン。
見習いで経験が浅い事から、警戒が緩いのではないかと接触した事があります。金をちらつかせていくらか情報を引き出しましたが、碌な内容はありませんでした。
それが、ここに来て効いてくるとは思いませんでした。
私は、すぐさま学院寮へ忍び込む計画を立てます。
幸い、容疑者の監視を第9騎士隊にも任せると言います。それなら、監視に乗じて彼女の疑いが強まる証拠品を置いておけばいい。
疑われるだけで済むのか、平民だからと問答無用で処分されるのか、どちらにしても私が逃げるだけの時間は稼げるでしょう。アセット嬢には悪いですが、スカーレット様なら後者を選ぶ可能性は低いと思っています。運がよければ冤罪も晴れるでしょう。
それより、研究が始まる前の今しか、逃げる機会はありません。
監視から3日目の夜、私は同僚―――と言う事になっている男の目を呪詛で惑わせると、エッケンシュタイン令嬢の部屋へ滑り込みました。
夜に明かりのない村で育った私には、こういった状況でも動きが遮られる事はありません。
金銭のやり取りを約束した文書。
これを使用人の部屋に紛れ込ませるだけ、1分もあれば終わる仕事です。それで、私が消える時間を確保できます。あとは事故に見せかけて死んだ事にすればいい。
そして私が偽の文書を箪笥の裏に忍ばせた瞬間―――
「残念です、フォーゼ副長」
誰もいなかった筈の部屋に騎士が現れ、私は魔道具の光で煌々と照らされました。
嵌められたのだと、瞬時に理解できました。
焦るあまり、冷静ではなかったのでしょう。随分ありきたりな手に掛かってしまったようです。
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