友達の婚約話
渋々ではあったけれど、アノイアス殿下の許可は取り付けた。
とは言え、これですぐに虚属性の研究に入れると言う訳じゃない。社会秩序維持会議の審議、国王陛下の承認を得て、初めて研究をできる体制が整う。
禁忌を起因にした技術だからこそ、万全を期してから臨みたい。
そんな訳で、しばらくは待たないといけない。
アノイアス殿下とお父様を引き込んで、会議の審議を突破できないとは思ってないので、他の事をしながら待っていればいい。
だから翌日は研究室に顔を出した。報告書の山が私を待っていたけども。
うん、知ってた。
2ヶ月以上、これまでにない期間を空けたからね。急ぐものは急行連絡便で送ってもらっていたけれど、それ以外は積み上げられてたに決まってる。
どっち道これを捌かないと、虚属性の研究どころじゃないよね。
「レティ、お帰りなさい」
「うん、ただいま!」
でも、漸く息をできた気がするよ。
この2ヶ月も好き放題をしていた事に違いはないけれど、やっぱりここが私の居場所だなって思う。王都邸でも寮でもなく、研究室に足を踏み入れた時、帰ってきたって実感できた。
思っていた通り、私がいなくても皆、やるべき事を進めてくれていた。相談する事はあっても、私がいない事で止まっていた案件はない。実に頼もしいよね。
グリットさん達も素材を色々集めてくれていたから、滞る心配もない。彼等の遠征に、黒の魔犬が同行するようになって、更に効率が上がったよね。
普段愛想のないクロも、散歩の代わりなのか彼等の遠征にはいそいそとついて行く。聞いた話では、指示に従ってちゃんと魔物を追い込むらしい。
飼い主は私だけど、烏木の牙へ出向させたままでもいいんじゃないかな? 丁度黒いし。
「レティ様、少し、少し宜しいですか?」
これなら狭域化実験への準備は皆に任せて、私は虚属性の研究に集中できるかな、と思っていたら、変に改まったマーシャに声を掛けられた。
マーシャに任せている属性変換器の効率化についての進捗は聞いたし、何だろうね。
「個人的な報告なのですが、私、この度婚約いたしました」
「あ、そうなんだ。おめでとう!」
「ありがとうございます」
そっか、それは良い事だね。
マーシャもお年頃だし、本当におめでたい。
私はほっこりした気分になりながら、報告書の確認に戻る。
狭域化実験で想定している移動手段は、かなり特殊な車両になる。設置する魔道具の準備はキャシーが進めてくれているけれど、車両の設計については、もう少し職人さんと詰めておいた方が良いかな。何と言っても前例のない代物になるし。
ん?
今、マーシャは何と言った?
気のせいでなければ、婚約したと聞いたような……マーシャが!?
「ごめん、何か聞き間違えをした気がする。今、婚約したとか言わなかった?」
言葉の意味するところが浸透するのに、時間がかかってしまった。でも、そんな事ってあり得るの?
随分遅れて聞き返す私へ不思議そうな顔を向けながら、でも幸せそうな様子でマーシャは復唱してくれた。
「はい。私、私この度、エルプス男爵家のカーレル様と婚約しました」
……困った事に、聞き間違えではなかったらしい。
マーシャガ、コンヤクシタ???
え? だって、マーシャだよ?
風の少年神の加護年が終わったとか、理解できない理由で落ち込んだ。風神様に一目惚れしたせいで性癖が歪んで、可愛い男の子を見るとフラフラついて行く、あのマーシャだよ?
犯罪に走る気配はなかったし、顔には一切出てなかったから友達として止めなかったけど、ヴァンを眺めていたら寝食を忘れたのが、マーシャだよ?
カミンの昔の写真に見惚れた後、当人を見て深い溜め息を吐いたマーシャだよ?
それが婚約?
あの婚約だよね。
将来的に結婚するって事だよね?
私が知らない新しい意味とかあったりしないよね?
まさか、私が留守の間に、王国の結婚年齢が引き下げられたりした?
スカーレット・ノースマークは混乱している。
友達の婚約は祝福するべき事で、こんなふうに驚く事自体失礼だって分かってはいる。貴族の結婚は家と当人が決める事で、私が口を挟む余地なんてない。
キャシーは時間の問題って気がしてるし、オーレリアから聞かされたとしても、これ程驚く事はなかったと思う。ノーラの場合は、厄介事を疑うけれど。
でもマーシャの場合は事情が違う。
彼女の興味は10歳未満くらいに限定されていて、美し過ぎる帝国皇子を見てすら、観賞用の興味も抱かなかった。世の男性のほとんどは、背景くらいに思っている節がある。
なのに婚約?
普通にあり得ないと思ってしまう。
「あ、良かった。あんまりあっさり流したものだから、レティ様が広い心で受け入れてしまったのかと思いました」
「ええ、レティも私達と同じ心境になってくれて、ホッとしました」
キャシーとオーレリアが、私の反応はおかしくないと言ってくれる。ウォズも安心した様子だったし、ノーラもコクコク頷いている。受け入れ難いのはみんな同じみたい。
「皆は既に知っていたの?」
「ええ、正式に婚約を結んだのは先週だったそうですから」
「それからずっと、マーシャってば、あんな調子ですよ」
あんな、と言われて本人を見ると、信じられないと異口同音に騒ぐ私達へ不思議そうな視線を向けながら、でも、幸せそうに微笑んでいる。
「未成年の男の子と結婚の約束をしたって訳じゃないよね?」
「婚約自体、エルプス男爵とキッシュナー伯爵が会って、正式に結んだものだそうですよ」
「お相手のカーレル様は、エルプス家の三男で、既に成人しておられます」
ますます訳が分からない。
「前みたいに、マーシャの結婚を急いで、キッシュナー伯爵が縁談を持ってきたって事?」
政略結婚に使おうとした前例がある。マーシャの性癖を知っている伯爵が、その事が明るみに出る前に婚約をまとめたい思惑もあったみたいだけど。
「いえ、話を持ち込んだのはマーシャからだそうです」
え? そんな事ってある?
「エルプス男爵家って、領地はエッケンシュタインの西にあって、近年、発展が著しいってくらいは知ってる。おかしな噂を聞いた覚えもないよね。でも、最近何処かで名前を聞いた気がするよ。何だったかな?」
「ほら、あれですよ。収穫祭で風神様に扮した男の子が仕えているって話の」
「あ、大火で私が助けた子だっけ。そういや、収穫祭の式典の後、マーシャが声を掛けに行くって言ってた気がする」
それで縁がまとまったの?
でも、結婚するのはその男の子って訳じゃないんだよね。
カーレルさん、関係なくない?
「まさかとは思うんだけど、その子の傍に居たくて婚約の話を持ち出したって事はないよね?」
「……ごめんなさい。その可能性を否定できないのが、マーシャです」
だよね。
キッシュナー伯爵家とエルプス男爵家の婚姻。
伯爵にとっては、行き遅れの可能性すらあったマーシャが片付くし、男爵としては豊かなエルプス家って選択は、貴族籍に残らないマーシャが嫁ぐ先として悪くない。
男爵家としては伯爵との縁ができるし、マーシャを介して私と、更にはノースマークとのつながりが持てる。
両家にとって、良縁には違いない。
見る限り、マーシャに不満もなさそうだよね。
でも、マーシャは自分の事をきちんと話してる? カーレルさんの方は納得してるの? 結婚って、今が満足ならそれで済むってものじゃないんだよ?
これは、カーレルさんに会ってきちんと確認した方が良いかな? マーシャの欲求を満たす為の犠牲になっているかもしれないカーレルさんの為にも。
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