閑話 暗殺
残酷表現があります。苦手な方はご注意ください。
王都から北方、ノースマーク、エルグランデ両侯爵領へそれぞれ続く街道の分岐点。宿場町グロハラーで靴屋を営むソクリーブの元へ、ある来客があった。
客に注文を付ける気はないが、それを考えてしまうくらいには、怪しい一団だった。
暗い色のコートの下に銃を呑んだ大柄の男2人を侍らせ、主であろう女はフードを深く被って顔を隠している。
ソクリーブの裏の仕事に用があるのだろうが、そんな後ろ暗さを宣伝する様な格好で出入りされては、また拠点を変えねばならなくなる。
隠しているつもりの様子だが、所作で貴族と丸分かりだ。世間知らずも大概にしてほしいと思う。
「特注品をお願いしたいの、できるだけ昏い色で」
想定通り隠語を口にした3人を裏の工房へ案内する。
狭く散らかった部屋に、女は顔を顰めたが、ソクリーブの知った事ではない。平民相手に靴を売るこの店に応接室なんてないし、見栄えより音の漏れない特殊構造の方が重要だからだ。
「対象は?」
余計な事は聞かない。
依頼の遂行、つまり暗殺に雇主の都合は関係ない――――筈だった。
「スカーレット・ノースマーク侯爵令嬢」
情報に疎くて裏の稼業は務まらない。国中の貴族、有名商会の家族構成がソクリーブの頭の中に入っている。だから、思わず聞き返してしまった。
「まだ、1歳の筈だが?」
子供を殺す事に抵抗はない。
だが、跡目争いならばともかく、明らかに他家の女が、態々女児の命を狙う理由が分からなかった。
「先日、我が家に娘が生まれたの」
その情報で女の素性には見当がついた。
降格を噂される落ち目の侯爵家、その第2夫人。
「第3王子が今、3歳。家格と歳が釣り合うのは、娘とノースマークの令嬢だけ。だから、生きているだけで邪魔なの」
王家と繋がりを持つ事で、傾いた侯爵家を立て直すつもりなのだろう。
呆れはしたが、納得できた。
思わず疑問を口にしてしまったが、元より暗殺の動機で依頼を断る事はない。
「報酬は?」
「300万ゼル」
「成人ならそれでいいが、赤子は外に出てこない。屋敷に潜入する必要があるが、侯爵家なら警備も万全だ。追加で手当てを貰わなきゃ、割に合わない」
「……そう言うと思ったわ」
貴族相手に報酬を釣り上げて己の身を危険に晒す気はないが、リスクに応じた支払いを要求すると、夫人が金を積み上げる代わりに、控えていた護衛が大型のケースを作業台に乗せた。
「悠長に潜入の時間を割いている余裕は無いの。だから、これを用意したわ」
そう言って開いた中身に絶句した。
SBLK-14GCスナイパーライフル。有効射程距離が3kmを超える化け物狙撃銃。
国軍でも一部の特殊部隊にのみ配備されたばかりの新型、ここにある筈のない代物だ。
どんな手段で横流しされた物か、ソクリーブに知る術はないが、その為に費やしたであろう資金だけで、彼への依頼料など軽く霞む。
確かに、こんな物があるならば、潜入を考える必要はない。敷地外、警備の意識の外から狙える。
「弾はこちらを用意したわ。特別に五重の貫通術式と、着弾後に消滅する術式を施してあります。これなら、引き受けて戴けるかしら」
狙撃銃だけで十分に驚いたつもりだったが、更に上を行かれた。
ソクリーブがどんなに伝手を当たっても、三重の術式が精々だろう。五重の術式を刻める人間なんて、魔法技術最高峰の“魔塔”に数人がいるのみだ。施した対象が小さな銃弾である事を踏まえれば、更に狭まる。
ノースマーク侯爵が同等の魔導士に防弾術式の付与を依頼していない限り、確実に対象の命を奪える。
子供一人をどれだけ殺したいのか。
その身勝手な狂気に、笑いが込み上げて、慌てて隠した。
忍ぶ事もできない馬鹿な客かと思っていたら、忍ぶつもりの無い怖い客だった。読み間違えた己を呪う。フードから覗いた赤い弧を描く唇が、血の軌跡に思えて仕方がない。
「ええ、喜んでお引き受けします」
要求されているのは狙撃の能力のみ。ここまでお膳立てされた楽な依頼は初めてだった。この条件で否は在り得ない。
もしも断った場合、口封じで殺されるのは当然として、加えてどんな報復、拷問が待つのか、考えたくもない。
実質、答えは1つしか用意されていなかった。
依頼を受けて2週間後の深夜、ソクリーブはノースマーク領都のとある商館の屋上にいた。
ソクリーブは変装し、偽造身分証で領都の門を通った。グロハラーの店には影武者を置いて、営業を続けている。足が付く恐れはない。
もっとも、彼は依頼遂行後、グロハラーへ戻るつもりは無かった。
過剰な殺意を漲らせていた雇主の夫人が、ソクリーブを生かしておくとは思えない。暗殺終了後は、これまでの身分を全て捨て、姿を晦ませる予定だ。
視線の先にはノースマーク家の屋敷が小さく映る。
距離は5km強、銃の射程を超えた場所であるが、ソクリーブは己の風魔法で射線を敷く事で、限界を超える自信があった。ソクリーブが暗殺者として20年を生き抜く事を支えた独自技術である。
銃の装填弾数は1発のみだが、外す気はなかった。
SBLK-14GCの弾丸速度は秒速900m。標的との間に厚さ3㎝の鉄板が備えられていたとしても、貫通し、盾になり得ない。おまけに弾丸まで貫通性能を極限まで高めた特別製、魔術的な防御も意味を為さない。
子供一人殺すには過剰戦力である。
バイポッドで銃身を固定して、うつ伏せの状態でスコープを覗く。
都合の良い事に、標的の部屋からは薄く光が漏れる。不寝番を置いているのだろうが、狙撃への警戒は認められない。
「暗闇に閉ざされてたとしても、外す気は無いが、な」
スコープも特別製の集光レンズで、闇に覆われようと、僅かな光を拾って標的を写し出す。
照準の先には、何も知らずに眠る幼い令嬢の姿。
「あばよ」
ソクリーブが必殺の引鉄を引く。
弾丸は轟く銃声より速く、スカーレットを襲った。
凶弾は屋敷の内外を隔てる窓ガラスに当たり――――
カン。
間の抜けた音と共に跳ね返った。
令嬢の死亡を確認しようと、スコープを覗き込んでいたソクリーブは、窓ガラスに反射された弾丸を顔面に受けて、状況を理解しないまま死亡した。
翌日、銃弾を受けて頭部を激しく破損した遺体が商館屋上で発見された。
損傷が酷く、身元の確認は困難であったが、傍らに、ここに存在する筈のない軍用特殊狙撃銃を確認し、入手経路の追跡が行われた。
また、銃身に残された魔力痕から、弾も特殊術式を刻んだ物と判明し、併せて付与術者を追跡。
国軍の横流しが確認された為、国を巻き込んだ大規模捜査となった。
結果、ある軍務官僚と“魔塔”の特級研究員に辿り着き、2人の証言から、侯爵家第2夫人まで捜査の手が伸びた。
第2夫人が容疑を否認した為、両侯爵家の政争に発展。
この事件を切っ掛けに、落ち目だった侯爵家の降格が確定するのだが、それはまた別のお話。
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