PM18:27
電車の中で書いたので短いです。
精神科に行ったら、久しぶりに薬を処方された。
発達障害という肩書きで通っていたのに、今回出されたのは精神安定剤だ。
最近どうにもメンタルの浮き沈みが激しくて困るんですよね〜という内容をウキャウキャ笑いながら三ヶ月くらい話していたら、とうとう「服薬してみようか」という話になったのだ。
一応、まだ病名はついていない。
私は帰りの電車の中でこれを書いているんだけれども、ある一つの大きな不安に襲われている。
「もしこれで病むのが治ったら、私の価値は無くなってしまうんじゃないか」という、贅沢なお悩みである。
私は今まで「かわいそうな子」として生きてきた。
親と不仲でかわいそう、発達障害でかわいそう、精神弱くてかわいそう、生きてるの向いてなくてかわいそう。
「かわいそう」という世間様からの同情を必要最低限かき集めてやっと呼吸の権利を得ているのに、それすら無くなってしまったらどうなるのか。
お情け無しで生きていけるほど、私は強くないのだ。
母は恐らく酷く怒るだろう。五体満足で我が子を産み、苦労して育ててきたことを誇りに思っているらしい人である。
そんな子供が発達障害であることにプライドを潰され続けているのに、これでさらに精神まで病みかけだとわかったら。
彼女の「健康な我が子を育てた立派な母親」という理想が崩れてしまうのではないか。
こんなことを考えるから生きづらそうでかわいそうなどと言っていただけるのだろうか。
子供を自己肯定の道具にするような親なんて捨ててしまえばいいとは私も思うけど、私のせいで彼女が余計な苦労をしたのは確かだ。
それをまだ親元にいる私が切り離してしまうというのは、あまりにも失礼じゃないか。
それでも取り敢えず今は家に帰りたくない。どこかに殴ってこない優しい寝床は無いかなとかずっと考えてるけど、最寄り駅に着いたのでまずは歩こうと思います。
帰る場所が一つしかないってわりとしっかり絶望ですね。
最後まで読んでくれてありがとうございました。