chapter04 模倣品
一夜が明けた。
屋上で風に当たれば、この暗鬱な気分は紛れるかと思ったが逆だった。蒼天の空とは対象的な曇天の心境。この糸が絡まってモヤッとした募る気分の所在は理解していた。
頭の天辺から浮かぶ能天気な笑顔。思いも寄らぬ形で再会した幼馴染みに頭を抱えた。
「はぁ~、憂鬱だ」
深い溜息を吐き同時に頭も項垂れる。掩体に併設される形で建築された待機室の屋上で、体重を手摺りへ預けて突っ伏の姿勢をとる。
都留桜花との再会は喜ぶべきことなのだとは思う。何せ、5年ぶりの再会なのだから。
しかし、幼馴染みの彼女との再会が、俺の生活に大きな不和を与えた。それまで順調に稼働していた歯車が音を立てて崩れる、そんな比喩すら相応しい。
「アイツ………、アイツが小隊長なのか………」
組んだ腕の隙間より滑走路を望む。不満の念を含んで彼女を、桜花の顔を思い起こす。
「いや、マジか~」
やはり信じられなかった。白昼夢を見ている感覚だ。予想はしていたが、こんな形で巡り会うとは思わなかった。
幼馴染みとして長い時間、小中高と一緒に青春を過ごした仲だけに彼女の事を、少なくとも八王子駐屯地の中では誰よりも周知している。
一言で表すなら『純粋で正義心の強い奴』、他に付け加えるとするなら『真面目でテコでも動かない頑固者』か。
学校なら教師陣からの評価は高いし、模範的な人間の姿なのだとは思う。だが、社会に出れば評価はガラリと変わる。
彼女の性格は、特に軍事や公安職を生業とした組織の中では弊害を生むだろうし、真っ先に煙たがられる存在だ。ゼークトの組織論を用いるなら『無能な働き者』とでも言うべきか。
俺は自然と彼女を値踏みして評価したのだ───というより組織に組みしてから様々な出来事を堪能した上で桜花には向いていないと判断したのだ。
彼女は軍や警察ではなく、違う道があると考えていたし、性格も含めて人から疎まれる職種ではなく、人から慕われ憧れる職種へ進んで欲しかった。
それが幼馴染みからの最大限の優しさであり望みだった。結論として望みは叶わなかったが。
現実は彼女をこの道へ進ませた。『シティ・ガーディアン』となり、システムから不要と判断された犯罪者共の命を屠ることで都市の安寧と秩序を守る道へと進ませたのだ。
天を仰ぐように視線を青空へと向けた。
神様という存在が本当にいるのなら恨み節の一つでも言ってやる、そんな気持ちも相俟って「冗談が過ぎるな、全く」と、屋上を占める程の声で内心を曝露する。
「流石に、冗談はキツいと思うな~」
突然の声に身体がビクリと跳ね上がった。
ふとした拍子に柵を跳び越えかねないような驚く挙動を不覚にもしてしまう。クソを付けるほどの盛大な深呼吸をして、声のした方向を直視した。
階段の出入り口に背を預けた人の姿。体付きには恵まれ、その我が儘なボディは威厳のある制服を持ってしても抑えることはできていない。
一本線と一つ星の肩章を輝かせ、栗毛のポニーテールを流した彼女の姿があった。しかし、端麗な顔立ちが今では焼いた餅のように膨れている。
しかめっ面の彼女を察するに先程の独り言を聞かれたなとは容易に察することもできたし、もう少し気を張るべきだったと反省を胸中に浮かべる。
光景を目に焼き、昨日に見たドラマのデジャヴかよと独りでに思い出しながら、劇中同様のベタな質問を彼女にしてやった。
「さっきの独り言、聞いてたのか?」と澄ました顔で問う。
常套的な質問に反応した桜花は歩き出す。膝まで掛かるスカートを揺らし、コツリとプレッシャーをかける意味も兼ねて短靴を態と鳴らしながら。
いつの間にか彼女との距離は互いの息遣いが意識できる程だった。澄んだ目に潤んだ唇も、この距離なら肌の質感すら捉えることができる。
彼女はグイと更に顔を近付ける。
肌を重ねる程の距離まで迫り、勢いに気圧されてたじろぐ。
「お、おい。桜花……」と口にするも聞いては貰えまい。そして顔を近付けた彼女が一言「いいえ~、全然聞いてませんよ。アイツが小隊長かぁ~とか、冗談キツいってとか、何でこんな所に来たんだよ~とか、私、ぜ・ん・ぜ・ん、聞いてないから!」と余所行きに拵えた笑顔で強調させた。
笑顔だが内心は憤怒の様相を呈しているのだろう。
(全部、聞いているじゃないか)と野暮なツッコミを咄嗟に抑え込む。
彼女は売り言葉に買い言葉で喧嘩に乗ってくることがしばしばあったことを記憶より思い出す。鬱憤も溜まっていたし、ここで派手に口論の一つでも起こしたい気分であったが、そこはもう成人した身であるから無作為に争いなどしない。
けして彼女の反応が怖かったわけではない。ただし、膨れ面から一転して清潔感のある笑顔を作ったことには多少なりとも恐怖は覚える。
しかし、恐怖に勝って入隊した理由に興味が湧く。それなりの覚悟があって、ここへ来たと願う気持ちも携えて。
「桜花は、何でこんな処に来たんだよ」
「ほら、前から憧れていたのは知ってたでしょ? 武瑠君もご存じの通り、私のお父さんは陸軍の元操縦士だったしさ」
「それが動機なのか?」
桜花の父、都留光一郎は国防軍人なら、その名を知らない人はいない優秀な戦人の操縦士だった。度々軍事雑誌などにも取り上げられ、先の大戦では先陣を切って名を馳せた軍人の鑑のような人だ。
軍人の親を持つ子供が軍人になるのは、さして珍しいことではない。軍人の家系だった桜花だ、家業を継ぐという意味も込めて陸軍から派生した治安組織『シティ・ガーディアン』に入ったのだろう。
そうに違いないと確信しようとしたとき、彼女は、その後一言へ「オラクルに推薦されたのもあるんだ」と付け加えた。
俺は一瞬、聞き間違えたのかと思った。だが、次の瞬間に目へと差し込まれるウェアラブル端末の画面で正しかったのだと知る。
オラクル、正式名『システム・オラクル』。総務省と経産省に厚生省、技術供与に国防省も参加して作成された福利生活総合管理統括AI。
人はAIからもたらされる人生設計案によって得た幸福満足度から、国民はAIを『神託』と称え、いつしか代名詞から正式名称ともなった。
AIによって人生の全てを決定されているのが今の日本だ。就活も、進学も、結婚も、況してや子供の出産時期に、健康状態で自分の死期すらAIが教えてくれるのだ。
強制力はないにしろ人々は『オラクル』無しでは、生きられない生活を強いられている。たちの悪いSFのパロディだとは思う。目の前の幼馴染みですら、そのAIが下す神託を有り難がって、結果として桜花は『シティ・ガーディアン』に入隊したのだから。
俺は確認のために再度聞いた。
「まさか、オラクルの推薦ってのが入隊した理由なのか?」
彼女は躊躇うこともなく頷いた。
「いや、本当に冗談だろ?」と半笑いで答えたが、桜花の顔からスッと笑顔が消えた。
ジッと張り付く眼差しは彼女の真剣さを物語った。まるでシステムの導きこそが正当な人生だとでも言わんばかりに、真っ直ぐと俺を見詰めた。
理解できなかった。何故、皆AIに頼りたがる。自分の人生は自分が決めるものじゃないのか。だが、そんな考えが少数派なのだと理解はしている。自分の生き方を自分が決めるのが懐古主義的な考え方だということも。
だが納得いかない。学生の頃からそうだったように俺は、システムから与えられた人生が人生だとは思えなかったのだ。
システムに籠絡されてから線路を走って何になる。
大人の対応をしたかったが今度ばかりは限界を迎えた。やり場のない苛立ちを表面へ晒して「システムの言いなりになって、憧れの職場に来て、そんなに楽しいかよ」と当てつけるように言葉を吐いた。
言葉が効いたのか、ムッとした彼女は「言いなりって、私だって真剣に悩んで……!」と口調を強くしてきた。
俺を昔馴染みであり理解者として見てきた桜花にとってみれば、俺の言葉を聞いたことで酷く心外に感じたに違いない。
彼女にも彼女なりの考えはあったのだ。彼女に言わせてみれば、別段AIに従ったつもりは無いわけだ。確かに推薦候補の一つに浮上していたが、就職するのは強制ではないければ自由意思も尊重されていた。彼女は一候補に過ぎなかった『シティ・ガーディアン』を自らの意思で選択し入隊した。
だが、彼女の思いを否定してしまった。
「真剣に悩んだ結果がこれかよ。首都保安警察予備隊の実態も調べずに、よくもまぁシステムの言いなりになってさ!」
「何よ、私がまるでシステムの言いなりになったような言い方して!」
「違うのか?」
違う!と桜花は即座に否定した。『シティ・ガーディアン』への道は、一選択肢に過ぎない。しかし適応能力値は他の選択肢よりも秀でていたことで推薦された事実は揺るがない。
そこだけ見てしまえば、盲目的に彼女がシステムの言いなりになったとも取れる。
そんなことは分かっていた。だが自らの意志で進んだ結果を目の当たりにした自分にしてみれば、システムの推薦で進んだ彼女に苛立ちが湧く。
「自分で推薦されたって言ったじゃないか。これがシステムの言いなりじゃなくて、何て言うんだ? 教えてくれよ」
「人の気も知らないで言いたいことだけ言って!」
「あぁ知らないさ。だったら聞くけどよ、俺達が都市を守るためにやってきてる事ぐらいは知ってて、ここへ来たんだろうな?」
意地の悪いことを口にしてしまったと頭が判断するも、放出された言葉の数々を今更回収することなど不可能だった。喧嘩腰に放ったそれを聞いた彼女が意趣返しのように「し、知ってるわよ!」と放つ。
躍起になった声色が物語る。知っていることは知っているんだとは思う、ただ納得しているかは抜きにしてだ。だから、彼女の気持ちも逆撫でするのだ。
「知っているなら教えて欲しいな。俺達が都市を守るために、何をどうするのかを」
「い、いいわよ、説明してあげる。私は、私達は都市の治安を守るために、システムから不要と判断された人を………」
「人? 本当に人であってるか?」
「人、人の模倣品を…………撃つ」
最後の言葉に躊躇いがあった。言葉を選んだ結果、直接的な手段を言い表す他なかったのだろう。「撃つ」を吐き出すように口から出した彼女の表情は不満に満ちていた。
真面な反応と言える。外の世界から来た人間は皆、躊躇っていた。躊躇わなくなったが最後、その時は俺のように成り果てるだろう。
「よく言えました。まぁ、口では何とでも言えるか。じゃあ、もう一つ聞くがさ、都市を守護するためだとしても引き金を引けるか?」
「そんなの……」
面食らう表情の桜花を視界に納めて、まぁそういう反応を示すよなと納得する。
「まさか、撃てないのか? 組織に入る前にしっかりと宣誓はしただろ?」
「し、したわよ! でも人の模倣品、確かイ……、イミ……」
「……イミテロイド」
そうそれだ!と言わんばかりに、桜花は納得した面持ちをする。
「イミテロイドくらい、パッと言えるようにしてくれよな」
「わ、分かってるわよ! 人の模倣品、労働力確保のための人造人間。それがイミテロイド……だっけ?」
俺は腑抜けな拍手を鳴らした。よく答えられたと子供を褒める立ち振る舞いで彼女を皮肉も込めて称賛したのだ。
「イミテロイドは人間より知力・体力・思考力に長け、そのため感情も昂りやすく凶行に走ることが大いにある。そして俺達は、そんな社会から不必要と判断された模倣品に最終処分を行う──ってな具合だ」
「でも最終処分って、そんなの」
「できないとは言わせないぜ? もう宣誓はしちまってるんだからな、それにシステムのお墨付きで処理するんだからな」
「だけど、引き金を引くんだよ?」
「それがどうしたよ。狙いを定めて引く、簡単なことじゃないか」と吐き捨て、仰ぐように晴天の空へ視線を向ける。
人の模倣品を処分する。
高校の現代文の講義で習った近代SF作品に出て来そうな一文だ。模倣品とはいえ姿形は人間、それに最終処分を下すというのだから気色の悪い話である。
公にされている範囲でいうなら、奉仕用の提供遺伝子を基礎に製造された有機素材の混合率が100%で構成され、人間より優れて設計された人間の模倣品を『人造人間法』の定義により『イミテロイド』と呼ぶのだそうだ。
あくまでも模倣品、だが見掛けは人間。されど法律上では人権が与えられていない。使い潰すためだけに生み出される人為的な労働力、歯向かってシステムが不要と判断すれば俺達は即座に処理する。
「人の形を、人と姿が違わない彼等を処理するだなんて」
「まさか、殺せないとでも?」
「そんなの分からないよ、分からないよ! だったら聞くけど、武瑠君ならできるの?」
殺せる。
自分でも驚くほどに、口調は他人行儀でどこか冷めたものであった。染まりすぎた結果か、躊躇いもなく殺傷する意思が表せてしまう。
何故、殺せるのか桜花は問い質す。
「簡単さ。桜花も世話になったオラクルが────システムが不必要だと判断したからだ」
「システムが不必要だって、何よそれ……人を殺すことを認める社会がどこにあるのよ?!」
「あるさ。今住んでいるこの国さ」
冷たく突き放す。
桜花の意見は至って真面どころか、常識的であり道徳心に則った真人間のような模範解答だ。
人を殺める行為を寛容する社会がこの世に生まれた試しなんてない。警察力の最終手段、戦闘中から来るやむなしの状況を除いて、その命を故意に奪うことは今も昔も認可されていない。
「人殺しは今も昔もこの国では認められていないさ」「だったら!」
「だがイミテロイドは別だ」
言葉で突き放す。そう、人間とイミテロイドは別の人種だ。自然の中から発生した人型を人間と呼称するなら、人間の手によって使い捨ての労働力として作られた彼等を法律の上では人造人間として扱う。
人を模倣した人造人間、だから彼等をイミテロイドという。
「だけど、イミテロイドだって人の形をしてるじゃない!」
「だったら、戦人だって人間だ。人の形をしているんだからな」
冷淡に遇う。
人の形をしてるならばなと一蹴して俺は彼女へ目線を配る。
鋭利な眼をしていたのだろう。俺の目を見る彼女がいつになく怯えた目付きで見ていた。
桜花の目線で見るなら、その目は瞳孔の奧に野性味を潜めたものになったいるだろう。彼女のよく知る彼の目ではない、氷塊のように冷気を放っては獣のごとき落ち着き払ったそれ。
何人もの人をその手で殺めたであろう者の冷たく諦観した眼。
獲物を狩る猛禽の眼差しか。
「武瑠君、あなたは」
「…………時間か」
預けた背を戻す。
何食わぬ顔で桜花の横を擦り抜け、扉へ手を伸ばす。
「待って! 話しはまだ!」と制止を促すも、伸ばした手が触れる前に中へと消えた。
扉は空虚な音を上げて閉じられる。彼の気配だけを残した空間に彼女は只一人立ち尽くす。蟠った思考に心は乱れ、叫びたい気持ちを必死に抑えつけて彼女は南雲の消えた扉を睨める。
数年という時間が生ませた溝。過ごした環境によって派生した価値観の相違が彼女を惑わす。
「人の模倣品が何よ。結局はそんなの人殺しと、何ら変わりないじゃない……」
実直な念いが内外へと噴出する。念願の世界から受けた手酷い現実。それは希望を胸に飛び込んだ新社会人が味わう通過儀礼か。だとしても、表向きが治安維持に勤める第三の組織『シティ・ガーディアン』の本質が、人間社会を安定させるために結成した人狩り部隊。並大抵の人間なら受理できない真実に、彼女は戸惑うが受け容れ始める。それはオラクルが彼女を見抜いた上での結果か、それとも彼女が本来持っていた本質か。
どちらにしても彼女は想像と現実の差異に葛藤する。
「私は……、私は引けるの?」
震える右手を見た。そして空いた掌に銃が収まることも想像して状況を考える。
「引き金を……この手で?」
自分へ問う。覚悟はあった。しかし、その覚悟が現実の前では陳腐なものだと気付かされる。本当にイミテロイドなる人の形をした人の模倣品をした存在を前に、自分は銃が撃てるのかと。社会が求めるままに引き金を引けるのかと。
「そんなこと……!」できるわけないとは、口が裂けても言えなかった。
シティ・ガーディアンに入隊するとはそう言う事だ。社会が求めるままに公僕として、構成する治安システムの一つとして機能するために撃たなければならない。
頭は理解している。だが心が追い付かない。彼女は震えた右手をもう一度見た。そして、質問する。
「私は引けるの?」