Chapter 40 変貌
一ヶ月ぶりの投稿になります
物語はいよいよクライマックスに突入!ここまで読んで下さった方々へ感謝するとともに、この投稿ペースを崩さず最後まで書いていきます!
生田庄介という優男は、端末に入ったメッセージの内容に導かれるままに、大井埠頭のコンテナターミナルに足を運んでいた。
コンテナ船の汽笛が低く木霊し、無人のガントリークレーンやうずたかく積まれた40フィートコンテナの山々が、男の警戒心を煽った。
日は落ちて満月が昇り、月明かりが少ない街灯の光量を補うように辺りを照らす。男の小さな影は、まるで夜中の台所で餌を探すネズミのように動き、辺りを何度も見回し警戒している様を在り在りと晒す。
懐のタブレット型端末に入ったショートメッセージ───送り主はナナからであり、内容は『ここに来て』の短文と添付ファイルにGPSで位置情報をポイントされた大井埠頭のマップだけであった。
「ナナ……一体なんだってこんなところに」
男の中を疑念と恐怖心が巣くった。生命の根幹にある本能が危険信号を鳴らしている。ここから先に進めば命の保証が無いと言わんばかりに、頭の中はネガティブな未来でいっぱいとなる。
何故、ここに呼ばれた。何故、彼女が俺を呼んだ。何のために、どんな理由で。もしかして俺は殺されるのか?
カーンと冴えた音が鳴り渡った。音に弾かれる生田の体は目で見て分かるほど跳ね上がり、心拍数も異常に上がった。ドクンドクンと言うあからさまな擬音が聞こえるほど鼓動は早く、またいきなり跳ね上がった脈拍で胸が突っぱねるように痛い。
目が光り足らない世界を所狭しと見回し、音の出所を探る。安心させろと脳に脅迫されているとも思えるような程の眼球の動きで、辺りを見回す。
『ミャ~』
か細く鳴いた声で安堵した。音の出所が猫だと認識したからだ。生田はそっと胸を撫で下ろす。
「な、なんだ猫か……脅かせやがって」
悪態を付きつつも、一安心したことで脈拍が落ち着いて来てるのが分かる。張っていた琴線が解けて、力が抜けるのが感覚で知れた。
猫だ。そうだ、あの音は猫が出したものだ。猫が空き缶を飛ばした音なのだ。そうに違いない。
実際に見たわけではないのに、生田の頭の中は安心させるため起きた事象を勝手に紐付ける。自分を落ち着かせるために。
「だから、こんな古典的な罠と嘘に直ぐ引っ掛かるのよね」
心臓が止まった気がした。収まりかけた脈拍がガーンと跳ね上がるのが分かった。
「フフッ、辺りを見回して可愛い…。まるで貴方が猫みたいね」
カツン、カツンと歩む音が暗闇から聞こえた。靴底を鳴らす、そんな小気味良い音なんかではない。金属の嫌な打音だ。それも時折、砂利の噛んだ擦れる音も混じっているから、なおさら耳心地は悪い。
ゆっくりと迫ってきてるのが分かる。スーと暗がりから足先が露わとなり、その体躯とシルエットが視認できた。
「な、ナナ……なのか?」
男の発言が物語っていた。現れた姿は、ただ単に女体を維持しているだけの機械の産物であった。均一、均整、均等、などと人間が好感と美的を感じ取れる黄金比は、今は既に無くジャンクアートと言っても差し支えのない程に彼女の体は損壊していた。
抉れた合成皮膜、創痕が目立つチタン合金のパネル、そして一際目立つ弾痕。
生田は最初ボロボロのナナを見て駆け寄ろうとしたが、その損壊具合が認識できた頃には歩みを止め、あろう事か後ずさりをしていた。
「どうしたの? どうして逃げるの? 貴方の私がここにいるのよ?」
ナナは変わらぬ音質で、ただし前よりかは人間味を感じる抑揚で問いかけた。
「どうして…って、お前、その傷どうしたんだよ…」
「あぁ…これ? ちょっとね。でも生田さんは心配しなくて大丈夫だよ!少しの時間があれば元通りになるからね?」
「元通りって、何があったかも話せないのか?」と、問い質すと「うん!」とだけ元気な返事が返ってきた。
「うん……って、それに一昨日から店の子達全員と連絡が取れないんだ! ナナ、何か知ってるんじゃないのか?」
いつもの飄々とした風体とは打って変わって、男は声を荒げていた。
「君を買ってから、俺の生活が狂い始めてるんだ…!店の子は殺されて、売上は低迷して、そして今は連絡が取れない!何か知ってるなら、教えてく…「殺したよ☆」」
被さった一言に「えっ?」と返した。なんて言った、今なんて、今なんて言ったんだ!
「だ~か~ら~殺したんだってば!私の恋路を邪魔して生田さんを誑かすゴミ共は全部、私が処分したんだって」
何かが崩れるような音が体の中から聞こえた。積み上げてきた物が、繋がりが、軌跡が綺麗さっぱりになってしまったのだ。このたかだか愛玩用のドロイドたった一体にである。
「なにその顔? 呆けちゃってさ、恋に障害は付き物だし、それを取っ払うのは当たり前でしょ?」
「ふざけるなよ!」
男は咆えた。コンテナの山が音叉となって生田の声がよく響いた。
両の目から熱いものが垂れる。自分の中の良心があり得ないほどに叫んでいた。
返してくれ!と絶叫し、ドロイドに掴みかかる。フッと体を反らして避けた彼女の横を擦り抜け、地面にドサリと体重を預ける。擦れた痛みを肌に覚え、アスファルトの香りを鼻に感じた。
立ち上がろうとする刹那、腹部に重い衝撃を感じた。
「ッ……!」と肺から息が強制的に出された。声にならない声が痛みを表現した。
「なによ、その態度は………私がアナタとの幸せのために邪魔な障害を取り払っただけなのに!」
感情の昂りからの撃が腹部に刺さる。合成皮膜が剥けた脚は、もはや鈍器そのものである。
手加減されていたのは一瞬で理解できた。あれが普通に打ち込まれていたなら、今頃は腹部の柔い表皮が裂けて臓物とともに周囲は血溜まりになっていたに違いない。
「ナナ、俺を殺す気なのか……」
「殺す? それも良いかもね。私の物にならないなら壊しても良い………けどね、私はそんなんじゃ満足できないんだ」
襟首をガッと掴まれた。力強く引き寄せられ、衣服がミチリと音を立て千切れかけては、距離が拳一つ分ほどに縮まった。
半壊した彼女の顔が目前と迫る。片眼を失って、ところどころが煤を遇って表皮が抉れてるのに、依然として彼女の顔は美しさを保とうとした。
恐怖で生田は唾を飲む。
彼女の光のない瞳はせせら笑い、今にも頭から齧り付こうとする毒蛇のソレを思わせる狩猟的な意思で満ちていた。
「アナタは私に愛を教えてくれた。人を愛し、愛されること、その悦び、快感、だから私はその全てが欲しい。自分の物にしたい」
「な、なにを………」
「簡単よ、アナタを手籠めにするの」
その瞬間、ナナは唇を差し向ける。小さな女性の唇は男の唇を奪おうとした。生田は藻掻き、首を振り、何としても口吻をしまいと抵抗する。
「俺は、お前の物になんか………」
「ならないって? 散々、私を所有物として捌け口として犯し続けたのに? なのにアナタを私の物にしようとしたら抵抗するの? 随分虫のいい話ね」
ナナは襟首をギリギリと絞めて生田の抵抗力を奪う。自分の物にする、全てはそれだけのために。生きてさえいれば形はどうだって良い、後は私が全て面倒を見てあげる。
薄れる意識の中で、男の断末魔が叫びが響き渡る時──────鼓膜がはち切れんばかりの爆発音が生田の目の前で花開いた。
破断とそれによる衝撃波が両者を後ろへ吹き飛ばす。生田は窒息しかけた意識で状況を把握しようとするが、脳がまだ思考出来ない。
「あ、あ、アタシの腕がぁぁぁぁ!!」
耳鳴りを掻き分けて彼女の絶叫が劈いた。何事と思った矢先、状況の全てを一瞬で解することのできる人物が現れた。
「無事か!?」
擦れた声色で叫ぶ初老の男。その姿に見覚えがある。
「あ、アンタ、府中本町署の刑事さん?!」
「木山だ。とりあえず話は後だ!ずらかるぞ!」
力の入りが悪い生田を木山が介添えする形で立たせる。そのまま、その場を後にしようとする刹那、後方で絶叫にも近い、縋るような怨嗟が這えずった。
「待って、生田さん! 生田さん! 生田さん! 私を置いてかないでぇぇぇぇ!!!」
澱んだ声が残響として響き渡る。その声に敏腕の刑事は戦慄した。
愛憎が怨みを孕んだ。孕んだ怨嗟は願いを呪いに変えさせる。咆えた彼女の怨恨が埠頭のコンテナ群を鳴動させた。
「な、なんだありゃ、一体?!」
木山の狼狽が状況の異質さを物語った。鳴動するコンテナ群は独りでに揺れた。まるで巨大な音叉である。そして振動が高潮に満ちた一瞬、鉄板の一枚板を蹴破って中から人影らしき物がワラワラと躍り出る。
「な、なんじゃこりゃあ!?」
「ど、ドロイド?!」
コンテナから現れたソレは、ナナと同型もしくはオールドモデルのセクサロイドだった。新品、中古、ジャンク、産廃、それらを問わず、コンテナの中に輸出向けとして敷き詰められたドロイド達は溢れ出し、ナナを中心に集合し始める。
『木山さん!状況が最悪過ぎます!早くその場から逃げて下さい!』
通信機越しの鬼気迫る真上の声に弾かれ、木山と生田は逃走を図った。
腰の抜けた男を引き摺りながら無理矢理走らせる。何の役にも立たないだろうが、とりあえず左脇に忍ばせた骨董品の拳銃《S&W SAKARA M360J》を引き抜く。
背後を振り返るのは得策ではない。ひたすらに前を向いて走る、でなければ犠牲になるのは目に見えて分かった。しかし、ようやく力戻って走り続ける生田は見てしまった。
「あぁぁぁうぁぁぁ、ば、ば、バケモノぉぉぉ!!」
絶叫に弾かれ木山も見てしまう。その姿は、簡単に述べるなら最早ドロイドではない。闇夜に蠢く塊は怪異の類いであった。ガチャガチャと金属フレームやプラスチック、シリコン皮が合唱し、暗がりに映える赤い斑点はドロイド達の目であった。火花を咲かせ、ナナと呼ばれるドロイドを中心にありとあらゆるドロイドが櫓を作って彼女を持ち上げる。
「コイツは、出るもんが出たな………察そう怪異や妖怪、物の怪の類いじゃねぇかよ」
木山が引き攣って笑う。冗談だろと言いたげな笑みは余裕のなさを表し、手に持った拳銃が本当に役立たずになってしまった諦観の念も交えた。
ドロイドの群生は、土台となる躯から八つの巨脚をシンメトリーに生やし、土台上部より伸びた櫓となったドロイドの絡まりの先端に、帆船の女神像の如くナナは迫り出していた。
「逃げナイデぇぇ! 私ヲ置いテカナイでェェ! 生タ(いくた)さァァァァンん!!」
執念が織られた咆哮とともに巨躯がゴトリと動き出す。八つの巨脚は二足歩行よりも速い挙動を生み出した。
「畜生ォ! アイツの方が動きが速い!」
「うわぁぁ! 死にたくないよぉ!!」
横のバカを黙らせたい。そう思った矢先、無線機に真上の声が滑り込む。
『木山さん! 今応援を呼びました! 心臓が破れるかも知れませんが、とりあえず大井埠頭のJ23コンテナ区画に向かって下さい』
無線機に短く了の旨を返し、木山は「だったら走ってやろうじゃねえか畜生が!」と捨て台詞を吐く。
目的地までは1.5キロ、初老の男はバケモノとの鬼ごっこに興じる。




