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CITY GUARDIAN  作者: 景虎
Casefile 06 交差
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Chapter 36 目覚め

前回から一週間明けの新作です。


ここまで読んで下さっている読者様、ありがとうございます。

物語はまだまだ続きますので、どうか温かい目で見守って下さい。

暗室。文字通り、そこは暗い部屋だった。

 背もたれのない丸椅子に収まるようにして、体育座りをする彼女がいた。うなじに刺さるケーブルがコンセントから伸びているから察するに、充電中の状態を表した。

 充電ゲージのランプは赤く、長い間隔で点滅していた。

 暗室は試着室ほどの大きさしかなく、彼女の自由が担保された場所───言わばプライベートルームのような機能を果たした。

 壁に貼りつく一枚の鏡は狭小な間取りに偽りの奥行きを見せる。

 偽り、そう、鏡に映る全てが偽りだ。球の肌を放つ人形としての自分の顔が映った。誰よりも美しく作られた顔、時代が求めた美の尖頭値をコンピュータによって造り出した誰が見ても美しいと感じる顔。だが今は自分の顔を見たいと思わない。

 備え付けられた電球。最新式の有機発光ダイオードタイプの電灯ではないフィラメントが放つ熱の光。その弱々しくも力強い光は彼女を照らす。

 背もたれのない椅子に蹲るようにして座るナナ。うなじに刺さった充電ケーブルが力無く垂れている。


「私は何モノ?」


 数ある声優からサンプリングされた声を繋ぎ合わせた声が、独り木霊する。自問自答は自らが正当な代物であることの確認動作として機能した。それはまるで、コンピュータが自分は故障していないと自己診断プログラムを走らせてランプを明滅させるのと同じだ。

 自分の頭の中でも、胸の奥底でも、自分が何者かであるかの正しい答えはあるのだ。しかし答えはあるだけで根拠となる裏付けがない。

 あの人が私を買ったとき、見た目よりも声を気に入ってくれた。そして選んだのだ。そう、抑揚の違和感を消すように調整されたこの声は、あの人のお気に入りのはずだった。

 なのに、どうしてあの人は、あのゴミ共の声に心地良さを覚えた?


「私はナニモノ?」


 再びの自問自答。自分のメモリに記録された全てが自分の存在価値を分からせる。

 見詰める手は細く透き通る白さを見せる。あの人は二人きりになるといつも、この手をとって細い指にゴツゴツとした男の指を絡めさせてくれた。

 爪先まで揃った細い指、合成皮膜とは思えないほどの有機的な表皮。触れれば人肌の温かさをいつでも与えられるヒートシンクを内包した有機的な手。

 血は通ってないけど、この手をあの人は好きでいてくれたのに、触れていた時間はあのゴミ共の方が長かったのは何故?


「私ハナニモノ?」


 貼り付けられた一枚の鏡に映る自らの姿。黄金比に従って配された目と鼻と口、それは顎のラインから目元の筋、睫毛、耳の形状、髪の毛の一本一本に至るまで全てが計算された造りをしている。

 工業製品として造られた彼女に生田いくたという男は人の温かさを与えた。一時の電気信号の短絡ショートが彼女の自己診断プログラムにバグを起こさせた。

 バグは瞬く間に増殖した。それは癌細胞のように増え転移し、彼女の機械的性質を人間的なものへ侵していった。

 芽生えてしまったのだ、感情という物が。元は愛玩用であった故に使用対象者を不快にさせないための擬似的な感情はインプットされていた。しかし、それは本物の前では酷く出来の悪い粗悪品のような物であった。

 インプットされた感情は、彼女が愛されたというたった一つの現象によって一蹴され、また嫉妬と愛憎が彼女の意思発現の完全なトリガーとなったのだ。

 そう、ベルトコンベアで組み立てられる姉妹達とは違う、オリジナルの感情。三原則すら容易に覆す人間のそれを手に入れたのだ。

 彼女はもう一度、鏡に映る自身の目を見た。ガラス玉のような曇り一つない透き通った目は、あの人が熱く見詰めてくれた目だ。

 主張しない程に小さく整った鼻は、あの人が優しくなぞってくれた鼻だ。

 均一な形で潤いを帯びた口は、あの人が激しく求めてくれた口だ。

 ツンと尖った耳は、あの人が甘く囁いてくれた耳だ。

 なのに、あの人はあのゴミ共と戯れる? 何故、其奴らに愛を囁こうとする? 何故、其奴らを求め合おうとする?


「ワタシハナニモノ?」


 ゴシャッと割れた音が弾いた。独りを映した鏡は複数の自分を映していた。彼女を繋ぎ止めていたたがが外れてしまった。今まで自らを一つにまとめ上げていた感情の一つ一つに意思が宿り、それは集合体としての自我を創り出した。

 起動した瞬間から、スイッチ一つのスパークから目覚めた時から、自分の中に宿っていたかもしれない擬似ではない正真の心。放置しておけば育つこともなかった、この心が今は憎らしくて恨めしくて、だが心地良く、そして唯一無二の優越感を与えた。


「ワタシハ私だ」


 砕けた鏡が刺さる手に目線を落とす。有機合成皮膜の裂けた傷口から血が出ることはない。そこにあるのは擦り傷の付いた機械の手だ。マシンの音が軋み、流体機構の人工筋肉に痛みなんてものが走ることもない。

 彼女は自分が人間でないことは理解している。

 彼女という個体は企業が消費者から儲けるために創り出した人を模した人型。

 況してや男という性を悦ばす為に設計されたタイプの人型だ。だが、それがどうしたというのだ。宿ってしまった心が本物ならば、それはもう人間ではないのか。構成素材が有機か無機の差異でしかないのでは無いのか。

 あらかじめプリセットされた教育型AIが思い考える意思は、ただのプログラムでしかないのか。均一なゼロとイチの、オンとオフしか存在しない二進数のコードが刻む人工物でしかないのか。


「チガウ、違う! 私は、私だ!」


 砕けた鏡が宙に舞った。破片の一つ一つが球の肌を傷付ける。うなじに刺さった充電ケーブルを無理矢理に引き千切る音がした。

 強烈なスパークが脊髄組織から集積回路へと走り、末端の感覚受動器を狂わす。視覚情報が揺れ、自分の中で塞き止めていたナニカに綻びが生まれた。

 

「そう、ソウ、そうだよ! 奪われるのが怖いなら、奪ってシマエバイイ! ジブンノ物にしてしまえばイインダ!」


 彼女は飛び出した。押し込められた暗室から開放的な外へと。それは殻を破って産まれた雛のようだ。

 薄いショーツ一枚身に付け、裸足の足をドタドタと鳴らし、明るい外界へと駆け出す。


「そうだよ!奪うんだ!センユウスルンダ!独り占めにシテモイインダ!」


 カッと見開いた目は野性味の溢れた肉食のソレであった。狙った物は逃がさない、手放さない、奪わせない。彼女は主人の言いなりとなる傀儡人形ロボットではなくなったのだ。

 自ら考え行動し、利己的に、唯がままに自己の幸福を追求する生き物となったのだ。


「なんたって私は……」


 走る最中、痛くないはずの胸に呼吸の辛さが生まれた。降りしきった腕に、脚に、筋肉痛のような疼痛を感じている。

 もう自分は人形じゃない。胸の内を躍動させ、汗を流し、呼吸をし、痛みを感じる生き物。


「ニンゲンなんだから!」

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