Chapter 34 印象
お久しぶりです。
約5ヶ月ぶりの投稿になります。
前回からだいぶ開いてしまいましたが、細々と書き続けています。
物語の着地には、まだまだ時間が掛かりそうなので温かく見守って頂けると幸いです。
椎名里久という若い女の司法解剖が終わったある日の昼下がり。原型を留めぬ仏のバラバラさ加減に大抵の人間、特に新米達は夕食、或いは今朝の朝食とご対面し、また昼飯との面会を拒む者が多数であった。
そんな中、あの司法解剖に間近で立ち会ったというのに顔色一つ変えず、況してや昼飯にハンバーグ定食を注文し剰え完食した木山勘一郎という男の豪胆さ、或いは無神経故の図太さを真上理人は感じていた。
「どうしたぁ? 顔色が冴えないな?」
「冴えないも何も、あんなお六を見た後でよくハンバーグなんて食えますね?」
「刑事を何十年もやってるとな、神経が人間のそれを超越しちまうんだよ。幽霊だって信じねぇし、神様も奇跡って奴も疑っちまう。信じられるのはそこにある物言わぬ仏様だけだ」
木山の言葉の端々から感じられる長年培った経験と言うよりは、ある種の妥協、諦めというものが聞いて取れる。荒みきった心根が純粋さを帯びることがないように、男の心底には割り切ってしまった妥協の境地がそこにあった。
「もう直ぐで例の男の店か」
「歌舞伎町一番街の通りにあるみたいですが、確か店の名前はウエストクレイン……」
真上が一言落とす言葉が指す方向に、歌舞伎町一番街と飾られたアーチ状の電光看板が目に入る。しかし、真っ昼間だったためか看板に精気は無かった。
夜の街が色気づく夜とは対照的な昼の日差しが通りを白けさせる。人波に溶け込むための一般人と違わぬ服装をしていても、閑古鳥が鳴くほどに人気の無い大通りでは二人の姿は嫌に際立った。
昼からやっているお店は少ない。しかしながら幸運なことに、二人が捜す男がいる『ウエストクレイン』という店は火曜日だけ昼間から営業している。
「ここか」
「はい」
一目で入った情報を簡単に述べるとするなら、ウエストクレインという店は喫茶店と差ほど変わらない佇まいだった。張り出た軒先は金属の骨とビニールの皮で作られ、看板は古臭いネオン管だ。とてもこの店がガールズバーを経営しているとは、真上の頭では考えられなかった。
カランと入店を告げるベルが響き渡る。
鈴を転がすような「いらっしゃいませ」の声が耳に入る。
出迎えた若い女性は木山と真上を見た瞬間、常人から発せられることはない違和感なるものに感付く。
「あの………勧誘とかでしたらお断りしているんですが」
「あぁ~、いやいやそっち系の人じゃねぇんだけど、とりあえずオーナーか店主いるかな?」
若い女性がこの店のオーナーを呼ぶ。店奥の簾から、髭を蓄えた優男の面がひょっこりと顔を出す。
「あぁ、あんたが生田庄介さんかい?」
「そうですが………おたくら何者?」
「いやね、私ら二人こう言う者なんですよ」
初老と新米、息を合わせたかのように懐から手帳を取り出す。スッと下へのスライド機構をもって二人の顔写真と氏名、所属、階級、そして金に輝る旭日章が現れる。
「府中本町署刑事課強行班係の木山って言うもんだ。悪いけど、ちょっとだけ話聞かせてくれないか?」
◇◇◇◇◇
若い女の人型が、押しかけてきた二人にアイスコーヒーを振る舞う。店内に客が居なかったために、広々とした空間で生田庄介は二人の刑事を机一つ挟んで対峙した。
疚しさは微塵も無かったが、モノホンの警官それも刑事を相手にすれば妙な余所余所しさが生まれるものだ。今の自分は二人からすれば挙動不審な男に見えるのだろうと、生田は客観的に判断した。
「しかしまぁ、何とも趣味の良い店ですな。あのジュークボックス、けっこうなビンテージ物と見えるが?」
口を開いたのは木山だった。しかし開口一番に出たそれは、任意聴取というよりは世間話をするような話題であった。
身構えていたばっかりに、いきなり梯子を外されるような質問で拍子抜けしてしまう。悪い人ではないのかも知れないと、どこかで判断した生田が口を開く。
「あれは元々、知り合いが経営するリサイクルショップで見つけた物なんですよ。店の雰囲気にも合ってますし、何より私アナログレコードが趣味なもので……」
「だからジュークボックスと言うわけか。いや、俺もアナログレコードは好きでな、ベタではあるがジャズをよく聞くんだ」
そういうと腕時計型の端末を弄り、ホログラフィック化した画面に自分のプライベート写真を映し出す。
子供程の大きさはある木目調のスピーカーと金属感溢れるレコードプレーヤーに真空管が何本も刺さったアンプ、そして壁となった本棚にビッシリと収まったアナログレコードの数々。人が見れば延髄ものの光景である。
生田は驚嘆した。
「す、凄いコレクションですね」
「まぁな。棚のやつは俺のとっておきのレコードでな、それ以外のやつは保管庫で眠らせてある」
「いや、す、凄い。本当に凄い。アナログレコードの殆どが先の大戦の戦火で消えたか経年劣化で消滅したかで、物凄い価値の高い物なのに………いったいどうやってコレを?」
「コレか? まぁ、コレクションの半分は死んだ爺さんと親父の申し送りなんだが……、それ以外となると仕事で縁が出来た人達から譲り受けた物ばかりでな」
と、話を遮る形で木山は自身の端末のホログラフィックを一旦消した。
「人っつうのは、どうも孤独にはなれない生き物でな。俺なんかは孤独願望があるにも関わらず何故だか縁が出来ちまう。さっき見せたアナログレコードの山がそれだ」
隠していたものがいよいよと見え始める。それは緞帳が降りた舞台のようであり、木山という一人の男が語り部となって生田なる客に収まった男へ迫る。
「生田さんだっけか? アンタもオーナーなら分かるよな。そういう縁という目に見えない繋がりがよ」
「それは………私もオーナーですから従業員を雇う立場にあるわけですし、少なからずキャストももちろん客とも縁は出来ます」
「なら、一つ聞きたいんだが良いかな?」
生田は「なんでしょう?」と質問に対して答えた。
結露したアイスコーヒーのグラス────緩慢な動きで口へと運び、程よく喉を鳴らす。苦味が口内から喉奥へと貫き、酸味が鼻から抜ける。気の済むまで飲み、そして飲み干してグラスをコースターへ置く。
一息漏らし、鋭利な視線が眼前の優男を刺す。
「アンタ、人を殺したか?」
沈黙。秒針だけがヤケに煩く聞こえる。しんと静まり、外からの音も耳に入りはしない。
睨めつける視線、蛇に睨まれた蛙のごとく生田は硬直していた。開いた目は瞬きできず、合わせた視線は泳げず木山を見つめ、閉ざした口は息も吸えない。全身の筋肉が巌のように固く、解れようとする意思を見せない。
下手な事を言えば、何を言われるか分からない。揚げ足を取るとか姑息な手段ではない、真っ向からの理論武装で捲し立てられる。
生田の中に疚しさはない。人を殺してもいない、犯罪も犯してない、だけど凄みを効かせた目の前の初老を前にして、彼は黙秘を行うしか手段がなかった。
何分、いや何時間経った。腕時計を見たくても体が言うことを利かない。
このまま沈黙だけが続くと焦る最中、目の前の初老が突然ニッコリと巌のような表情を崩した。
「すまん、冗談だ」
全てが緩解した。固着したものが動き出し、息を吸い、汗を吹き、目線が外れた。
「お、驚かせないで下さいよ」
「いやぁ、すまん、すまん! 俺も刑事だけどよ歳食ってっからさ、どうしても嘗められがちでな? 嘗められないようにやってみたわけだ」
「ま、全く人の悪い刑事さんですね。心臓が飛び出るかと思いましたよ」
「ハッハッ、いやぁ失敬、失敬。そしたらな生田さん、この人等知ってるか?」
バッと勢いよく飛び出たホログラフィックを見て、今度こそ生田の心臓が飛び出た。薄く発光した画面に浮かんだ女性達、その全員に見覚えがある。
椎名里久、天笠樹里、そして………全員が全員、自分がナンパした又は店の従業員の女性達だと生田は一瞬で理解した。
「葬式には出席してたんだから、顔ぐらいは知ってるだろ? 生田さんよ?」
初老の口角が僅かばかりに上がる。嫌みたらしく上がった口角から先、木山は眼前の男から血の気が失せていくのを感じ取った。しかし、それは生田自らが殺害したという意思表示ではない。
木山が感じ取ったそれは、何故、お前がそこにいると言わんばかりの驚愕のソレであった。
「椎名里久さんは昨夜無惨な姿で発見された………」
「彼女は無断欠勤なんてするような娘じゃなかったんだ………気立てが良くて、愛想が良くて! どうして……どうしてこんな事に……」
気付けば生田の目からは大粒の涙が溢れ出ていた。抑えようと思っても溢れ出てくるそれを必死に拭って、捜査資料の証明写真としてしか存在し得ない彼女の姿を見ようとした。肩を大きく震わせ、大の男が嗚咽さえ交えて泣いていた。
「彼女は……彼女は! お店のナンバーワンで、大事な従業員の一人で、そして、俺の……俺の!」
木山はホログラフィックを消した。ボックス席に預けてた背を立ち上がらせ、男一人咽び泣く青年の背中を優しく触れた。年季の入った手で慰めながらポツリと呟く。
「生田さんよ、失った命はどう足掻いたって取り戻せねぇ。そいつは世の常みたいなもので神様が逆立ちしたって戻らねぇ。なら、残された人達が失った命のために出来ることがある………なんだか分かるか?」
「…………何です、それは。彼女を失った僕に出来ることなんて!」
自暴自棄な声が激しく木霊した。擦った手を除けて、生田の横を木山が立つ。
「あるさ………」
「あるって…いったい何が」
「簡単だ。無念を晴らすことだ」
無念を晴らす。生田の中をこの言葉だけが広く反響した。
彼女には夢があった。店の休憩の合間によく聞かされていた。それはもう耳にタコが出来るほど。愛想良く振る舞って店を切り盛りしてた彼女の夢、いつか自立して自分の店を構えること。
輝いていた。薄汚い自分が触れるには罰当たり過ぎるほどに。思えば天笠樹里もそうだった。貯めたアルバイト代はいつかブロードウェイの舞台に立つための渡航費として、夢の実現に向けたものだ。
他の犠牲になった子達もそうだ。みんなそれぞれに夢があった。なのに、その子達はもう存在しないのだ。
「協力するよ。あの娘達の無念が晴らせるなら、俺何でも協力するよ!」
「その言葉をな、待ってたぜ坊主」
そう言うと木山は懐から一枚の紙片を渡す。
「俺の私用端末の電話番号だ。何かあったら、ここに掛けるといい。………あと、それとだ、そこでボーと突っ立ってる木偶はなんだ?」
パッと顎で指したその先には、先程アイスコーヒーを配膳した若い女の人型がいた。
自分のことを言っているのだと、その人型はギョッとした顔で木山をフォーカスした。
「店長、これもアンタの趣味か?」
「ん? あぁ、いや趣味ではなくて………人件費削減で導入したキャスト型アンドロイドですよ。一応、ナナという名前は付けましたが」
木山は訝しげな表情でナナという人型を見据えた。
端的に持った感想は「よく出来てる」だった。合成皮膜は、それまで取り扱ってきた押収品でも見てきたアンドロイド達とは違い、血の通った人間のソレに見えた。目もよく見ればガラス玉と同じ硬さを感じ取れたが、遠目から見たら潤いのある瞳にしか見えない。
しかし、ナナと名付けられたアンドロイドがこうも人間と同等以上に模倣されながらも、アンドロイドっぽさを木山は感じ取たか。
「しかしまぁ、よく出来た木偶だ。主人に言われなければ直立不動で微動だにもしねぇ。見てくれは人間そのものだが、仕草は模倣できないようだな……それに」
スンスンと鼻をひくつかせ臭いを感じ取る。微かに得た鼻孔を指す焼けた臭い。何度も感じたことある臭いだ。
「少しばかり鉄臭い……最近のアンドロイドは少しばかり人間身を出すために鉄臭くするのか?」
「そんなまさか。ナナの構成品に鉄は入ってませんよ。錆びやすいですし剛性にも優れてないですから」
「そうかい……まぁ、ちと気になっただけだ」
木山がナナへと近付きマジマジと眺める。その間ナナは微動だにせず、まるで銅像かのごとくシンと静まり返って動かない。
「木山さん、そろそろ」
「あぁ、分かったよ。そしたら生田さん、また伺いますんでそん時はもう少し込み入った話をしまいやしょう」
真上に急かされるようにして木山は店を後にした。
未だ椎名里久が殺されたという事実を受け止めきれず項垂れる生田。その生田を見据えるナナ。
ナナの中に沸いた感情はグラグラと不安定だった。あの女は死んだ。私が殺したから。邪魔だったからだ。あのお邪魔虫が死んだことであの人の愛は私一人が独占できる………はずだったのに、目の前のあの人は何故、死んだ女のために涙を流す。
何故…………何故なのか。分からない。私が死んでも涙を流してくれるのか。
そしてあの刑事達、私が殺したことを少しは感づいてるみたいだった。
処理能力がタイミング遅れを産み出している。降って湧いた不安感がナナの中を掻き乱す。
どうすればあの人の愛は手に入る。その課題だけが繰り返し繰り返しと、ナナの中で計算されていく。
◇◇◇◇◇
「おめぇ、あの男をどう思う?」
密閉された公衆喫煙室で煙草を吹かす木山からの質問を受け取る。
ガンガンと話し声を掻き消す程に回り続ける換気扇の音を頭上で感じ取りながら、真上は骨伝導内蔵式の思念通話機器で木山と会話する。
「あの男は黒に近いと思います。あのアンドロイドを利用して犯行に及んでいるとしか」
「まぁ、普通はそう思うよな」
通話機器にサンプリングされた木山の声が自動音声として骨伝導を伝い頭の中で響く。支給品とはいえ巷で話題の最新モデルだけあって、音声にノイズが乗らない。それ故にストレスなく清んだ思考で物事を整理できる。
「大方はあの嘘泣きで泣き落とし、裏では邪魔になった女どもをアンドロイドを使って間接的な犯行に及んでいる………一つの可能性としては間違ってはいない推理だ………がしかし」
木山は吸い尽くした煙草を灰皿に擦り付ける。白煙が上がって火は消え、小汚い灰の中にシケモクだけが転がる。
懐から二本目を取り出す。手慣れた動作でサッと火を付け、煙が上へと吸い込まれる。
「今回の山、もしもの話だが………あの生田の後ろにいたキャスト型アンドロイド、あれ単独による犯行だとしたら………真上お前どう思うよ?」
「いや、そんなまさか………」
あり得ない!、と言いたかった。アンドロイド技術は先の大戦の影響もあって急進的に進歩した。最早人間と違わぬ姿と動作、しかしそこに人間的理性を持つ心が発芽するなどあり得ないのだ。
アンドロイドが抱える心は予めプログラムされたデータだ。キャスト型なら客を喜ばせるための感情が与えられ、セクサロイドなら持ち主を愛すための心を用意される。
「心が自然萌芽することはあり得ませんよ! 況してや殺意なる衝動を生み出す心がアンドロイドから生まれるはずがない。生まれたとしても深層にインプットされた三原則がストッパーとなって……!」
「真上、少しは落ち着け。そうと決まったわけではない、そういう可能性だってあるという話だ」
「し、しかし、それでしたら木山さんはどう思ってるんですか? 本当にアンドロイドから殺意が芽生えるって思ってるんですか?」
ふうと一蹴するかのように息を吐く。エテニルピリジンの臭さが充満する。若い故に囚われた考えに木山は一言で返す。
「………山川草木」
ポカンと真上が口を開く。意味でも調べとけと言わんばかりに二本目を灰皿に擦り付け、公衆喫煙室を後にする。
「ちょ、ちょっと木山さん!」
「お前はあのアンドロイドの製造会社を調べろ。俺は少し行くところが出来た」
早足で歩く木山の後ろを真上が追いかける。
何かが分かり始めている。初老の刑事はそんな予感を肌に感じながら、暑い日射しを受け止める。
桜が散った5月の終わり、刑事はただ一人歩く。




