Chapter 33 交差
久々の投稿です。
待ってくれてた皆様方へ、お待たせしました。
初めましての方は、これからよろしくお願いします。
スローペースですが投稿はこれからも続けますので、どうかお待ちいただけると幸いです。
300メートル超えのビルディング、それを優に越すメガストラクチャーの集落。サバンナに突如として現れる蟻塚のように関東平野という平原に人という蟻が作り出した建築物の群。星の光を掻き消すほどの都市の光が国土を照らし、エネルギーの大量消費を可視化したメガロポリス東京。
その大大都市にも、昭和という人情だけで生きてきた時代を感じ取れる場所がある。ターミナル機能を持つ東京駅より三駅上野方面へと進んだ場所、商売人達の熱気でむせ返るアメ横の中に、それはある。
高架下の店舗。電車が通過する度に埃が滴り落ちるノスタルジーな味わいを見せる居酒屋、そこの個室に男が一人いた。
ネクタイを外し、襟元を開放した地肌には薄らと赤みを帯びる。半開きの目が覗く景色は、透明な清酒と引き立てる肴を載せた絢爛な模様の小鉢であった。
箸で小鉢の中よりたこわさを一掴み、口へと頬張る。山葵の辛さに負けじと香る蛸の磯臭さ、それをグッと酒で喉奥へと押しやる。突き抜ける辛さが鼻孔を抜けた。
味わう事もそのままに、遅いと男は苛立つ。
男は人を待っていた。その待ち人は時間に厳格な組織に席を置きながら、ルーズな性格の人間だった。
「らっしゃい」
店主のもてなしの掛け声を耳に、引き戸がピシャリと締まり外から来訪した男は空間へと足を進めた。コツリと革靴を粋に鳴らし、案内された個室の襖を開けた。男は、遅れて申し訳ない素振りを見せつつも、どこかいつも通りであるという流れを持って、表皮を赤化させた男の向かいに座った。
「遅ぇじゃねぇか」
「いやはや申し訳ない。なにぶん仕事が立て込んでしまってね」
顔を酒で真っ赤にした男、木山勘一郎は酒の周りで更に酷くなった江戸弁訛りで煽り立てる。隣に座った初老の男、司馬太一は宥めるような態度を示しながら、アルバイト感丸出しの学生店員に「生大とメヒカリの素揚げ」と抜け目なく酒と肴を注文する。
数分を待たずして、大ジョッキに7対3で注がれた黄金と白亜の泡が麦の香りを奏でて現れる。横に置かれた皿には、ししゃもよりは大きい細身の魚が丸ごと素揚げされた物が、7、8本と乗せられ切られたレモンと飾りのパセリが添えられていた。
「ほんじゃ乾杯~っと」
大ジョッキとお猪口の体格の違いすぎる乾杯。木山がグッと飲むとは対照的に、司馬は喉越しを感じてビールを流す。
「いい気なもんだな………。健康診断、C判定だったんだろ?」
「ん? あぁ、大丈夫、大丈夫。血液検査と循環器検査は問題無かったからさ」
「そうかよ。俺は肝臓が悪いと診断が出たさ。近々酒を控えようとは考えている」
「にしては、酒の進みが早いようだが?」
木山が「飲まなきゃやってられっかよ」と、言葉を吐いて酒を飲み干す。空かさず先程と同じ店員に日本酒二合を注文する。
それを見た司馬が「だいぶ荒れてらっしゃる」と肴を口に放り込む赤顔の初老を嗜める。
張り合うようにして流し込む泡と金が喉を潤す中、呂律の周りが悪くなり始めた木山は喉を潤す目前の男に言葉を投げる。
「オメェは、帰ってくるつもりはねぇのかよ」
「古巣にか?」
「そうだ」と、木山が返事を返すのを待って司馬は、「ない」と一言突き放す。
「いつまで軍人警官やってるつもりだよ………テメェ等のやってることはよぉ」
「覇道だと言いたいんだろ? そんなの分かりきったことさ。パブリックカスタムを受けているとは言え、軍と同様の正面装備を与えられた治安組織。真面じゃない、真面じゃないんだよ」
「だったらよぉ」
「過剰にしなければ守れない命もある」
一時の沈黙が流れる。襖障子が太鼓の張った皮と同様の機能を持って音を反響せしめた後のシンとした静けさ。ゴトリッとジョッキを机に置く音だけが木霊する中、木山が沈黙を破る。
「まだ、引きずってるのか。奥さんと子供のことをよぉ」
「自分だけが割り切れたような口振りをするなよ」
「俺だって、まだ整理出来たわけじゃねぇ。ただ手を動かさねぇといつまでも引き摺っちまう」
「だからといって許すわけにはいかない。欲のままに暴れる奴等の為に、誰かが犠牲になるなんて間違っている・・・」
「だからオメェは警察官としての、刑事としての誇りを捨てたんだ」
「だけど、お前はその誇りを捨てなかった。俺は限界を感じたから都安隊に志願した・・・」
吐き出したものを腹の内へ納めるようにビールを流し込む。同じ境遇の男が二人、机を挟んで向かい合う。絶望したか、それでもと言い続けたかの違いで、進んだ道は異なり、二度とは交わらない。
警察と都安隊、同じ顔をした異なる組織。
「どんな極悪人だろうと、そいつが人間じゃなかろうと、俺達のような宮仕えがやれることは捕まえて牢屋にぶち込むことだ。最終的な判決を下すのは法と裁判所だ」
「だが、イミテロイドや人造人間共はその場での執行が認められている。政府主導のAIシステム[オラクル]も、それを容認している。そこに疑う余地があるか?」
「だが人造人間だろうが、イミテロイドだろうが、人の形してんだろうが。だったら逮捕して人間同様に法に則って裁くべきだろうが」
「奴等の残忍さと狡猾さを知らないから、そんな事が言える。忘れたのか? 俺とお前の今を作ったのは・・・」
「分かってるよ」
瞬間的にカッとなった感情を全部呑み込むようにして、グイと御猪口に満ちた酒を流す。口元を拭い、刑事としての誇りを捨てて力を求めた元同僚を見詰める。被疑者へと向けられる筈の鋭い眼光で木山は司馬を睨める。対しての司馬は動揺もせず身を窄めることもなく、巌のように頑として佇む。
今更、進んだ道を止めることも戻ることもない。人の進む道ではない覇道の道だと言うことは、司馬も理解していた。しかし、人間の条理が通用しない人擬きから市政の人々を守るには絶対的な力が必要なのだと。そうでなければ、妻も娘も死なずに済んだのだ。
「確かに、腰に携えた鉄砲だけで、気が触れたイミテロイド共の凶行から全部守れきれるとは思っちゃいねぇ………。況してやこの間のように人型重機を掻っ払って工業地帯を荒らされちまったら、俺達に手出しは出来ねぇ」
丸腰の状態の腰に左手で鉄砲のジェスチャーを作る。
「その為に都安隊(俺達)がいる。社会が、システムが求めた結果だ」
「システムが不要だと判断すれば消すような社会か。その為のあらゆる障害を排除する力………そこに人の尊厳と正しさはあるのかよ」
「システムがあるからこそ今がある。でなければ、今頃この国は無かったさ」
酒の席には似付かわしくない小難しい話をしていると思う。埃っぽく黴臭い、時代遅れの初老同士の小競り合い。システムがどうだの、力がどうだの、正義がどうだの正直な話どうだっていい。だが木山も司馬も頭ではそう考えてはいても、面を合わせて酒が進めば自然と喧嘩のように小難しい話を捏ねてしまう。
笑って馬鹿話をするような事はこの先無いのかもしれない。それでも、刑事を捨ててでも力に縋った目の前の男と繋がりがまだ在るだけで、木山は胸を撫で下ろすのだ。
「そういえば話は変わるが、今お前が追っかけている山。もしかしたら、俺達が出ることになるかも知れないな」
「山? 何の話だ」
木山は一瞬惚けた口振りで答えるも、完全な素面の時と同じ眼差しで、目の据わった司馬を前にして全てを諦める。取り調べの時、この男は心まで見透かすような一点に集中した眼差しを向ける。そんな目をした男を前にすれば、どんな奴だって口を割る。例え、年季の入った刑事でもだ。
「誰から聞いた」
「さぁな。風の便りと言う奴だ」
「今回は、そう言う事にしといてやる………でだ、何故お前達が絡んでくる? まさか星が鉄人かジャイアントロボとでも言うつもりは無いだろうな?」
「まさか、今回の星は人間サイズさ。ただ、パワーは鉄人かジャイアントロボ並みだろう」
まるで目の前の男は自分の隣で捜査を追い続けてきたかのような口振りで、被疑者の大凡の特徴まで予想する。いったい何処から情報をと木山は考えたが、今は止そうと思考を遮る。別件に思考を割きたくもなかったし、胸倉掴んで問い質したところでコイツが口を割るわけないとも考えたからだ。それよりは、少なくとも刑事として場数を一緒に踏んできた司馬の見解を聞く方が優先度が高い。
小鉢の蛸わさを一口放り込む。舌上で踊る刺激を酒で流し、一つ息を溢す。
皺の寄る手を自身の懐へと手を伸ばし、一枚の紙片を蛍光灯の下へ晒す。
「若い……男だな」
「生田庄介、年齢29、歌舞伎町でウエストクレインとかいうガールズバーのオーナーやってる」
「………まさか、危ない界隈の人?」
「いや、身元を洗ったがデータベースに歴は無かった。ただ若い頃に女絡みで被害届が出されてるが、示談で終わってる………が」
「が?」
話を一旦止めた木山が再び懐から紙片を取り出す。今度は女が映った写真、それが計四枚。
「………ガイシャか」
司馬がポツリと溢す。粒揃いの女性達、それぞれが女優、読者モデル、アイドルと言われても信じてしまうほどに可憐な存在が一枚紙に映っていた。
「みんな可愛い子ばかりじゃないか」
「共通しているのは全員コイツの店の従業員だと言うことだ」
「まぁ美人さんばかりだから怨恨かなと思ったけど、あの損壊具合を見たらねぇ」
「全員が人間離れした殺され方をしていやがる………」
「暗殺ロボットなら、やっぱりウチの出番だな」
ロボットの線は合っていると言いつつ、木山はもう一つ懐から紙を取り出す。今度は小冊子程の大きさと厚さを持つ紙束だ。
「おいおい、さっきも言いはぐったが捜査資料を俺みたいな部外者に見せても大丈夫なのか?」
「まぁバレりゃ俺もお前もタダじゃ済まないだろうなぁ………だが、お前が捜査情報をどっかから入手しているんだから、今更気にしても仕方ないだろう」
それもそうかと妙に納得してしまう。今更引くに引けない状況だと踏んで、小冊子を捲って内容を上から下へと目で流す。
「科捜研の分析結果だ。ガイシャに付いていたうっ血した手形が何か引っ掛かってな」
「随分と細い指だな」
目に止まった赤い手形。若い女性のよりも少し細い指先、そして細さに見合った小さな手形。司馬の感想は成人女性ではない、まるで中高生ぐらいの少女ほどの大きさだと思わせるに至った。
「こっちは握り潰された肉片の間隔を数値化したものだ」
「うっ血した手形の、指と指の間隔が一致するか………」
「…………オメェ、どう思う?」
木山からの問いに、先ずは人間業ではないと言い放つ。そして次の瞬間には、イミテロイドの仕業でもないと口にする。
司馬の脳裏には一つの答えが既に用意されていた。予め用意された、写真が目に入った瞬間からの第一印象としてそうであると感じさせた。
「犯行に使われたのは………ロボットだな。それも小児性愛者向けに作られたセクサロイドと言ったところか?」
「オメェのその洞察力と勘の鋭さ、今日日の若い奴らに仕込みたいね」
グッと御猪口に座った酒を喉奥へ流し込む木山。ご名答と言わんばかりに机へ空の御猪口を当てる。
「しかし動機が分からないな。ロボットが何故この男の従業員を狙う、それも粒揃いの美人をだ」
「そいつは明日、生田本人に聞いてくる。あのバラバラ具合を見たら最初は誰かの怨恨だと思ったが、もしかしたら怨恨に見せかけた同業者の仕業の線もある」
「まぁ、ハッキングして頭ん中弄れば、直ぐに思い通りになるか」
「ロボットはそういうもんだろ。幾ら見てくれも中身も人間に似せても直ぐに操られる、それがロボットだ。まさかロボットが恋心を懐くとも思えまい」
肴である蛸わさを一口放り込む。科捜研の解析結果から木山の考えは、完全にロボットを使った同業者による犯行という思考へと落ち着いていた。
しかし、司馬は言葉では形容しがたい違和感に襲われていた。
「だが同業者の妨害があったと仮定して、同じロボットを使うだろうか。しかも態々皮膚の厚みを変える手袋までして」
「だからぁ、バレないように手袋で厚みを変えてたんだろうよ。それに何度も違うロボットを使うよりは、一度ハッキングしたロボットを使い回すのが手っ取り早いだろ」
それなら足は着かないかと司馬は無理に自分を納得する。闇バイト、裏社会、その他諸々と先の大戦であぶれた腕利きや技術屋どもは日本にも巣くっている。そういった連中の寄り合い所帯になりつつあるのが、東京でいえば新宿や池袋などの繁華街だ。
武装ギャングにマフィアの取締りも都安隊ことシティ・ガーディアンの仕事。司馬のいうシティ・ガーディアンが絡む事案に成り得るかも知れないという真意がある。が、それを口にした当の本人は業界絡みの怨恨、いわば妨害行為である線に懐疑的な眼差しを向ける。
「納得してねぇって顔だな」
「これでも元刑事だからな。それよりもこの分析データのコピー貰えるか?」
「と言うだろうと思って既に用意した」
懐から薄いカードを出す。記録媒体のミニマム化が進む昨今の中では珍しいクレジットカード大のストレージガジェットだ。
木山からそれを受け取ると何事もなかったように、自身の懐へと納める。
「全く、こう言うのは今回きりにして貰いたいんだがな?」
「まぁまぁ、この借りはいずれ精神的にお返しするからさ?」
ったくしゃーねーなと、言いたげな表情で木山はグッと酒を飲む。こういう場所でしか密会出来ない煩わしさもある。監視カメラも盗聴器もない、況してや客もいない、時代に取り残された空間に時代遅れの男が二人、フードプリンターではない人の手で作られた肴と酒を飲む。
酒が酔わす緩慢な時間がこのまま流れていくと思われた矢先、木山のモバイルに着信が入る。
懐からスマフォよりも小さい板状の端末を出し、通話へと入る。
「あぁ、俺だ。…………分かった、直ぐに行く」
「仕事か?」
「一人上がったらしい」
「例の奴のか?」
コクリと小さく頷いて、そのまま立ち上がる。ボディバックから一粒の錠剤と未開封のペットボトルを取り出す。
「分解済か?」
「そうだ。コイツさえあれば30分も待たずしてアルコールが全部排泄される算段ってわけだ」
錠剤を口に放り込み、ペットボトルの中の水で一気に胃へと流し込む。分解済の利点はアルコールを速攻分解することだが、難点は500ミリリットルの水を一気に飲み干さないといけない点だと木山は言う。
不自由な暮らしをしていると言いたげな眼差しを投げ掛ける元同僚を前に、それが俺の人生だと言ってのける。
「……………行ってくる」
「お互い歳だからさ、無理はするなよ」
「フン、………ぬかせ」
ガラッと引き戸が閉まる。
独りポツンと残った空間で肴と酒を嗜む。天を仰ぐように無垢なLEDの光を見つめる。虫も寄りつかない機械的な光を前に、司馬は一つのことを思う。
自らの歩んできた道。家族の仇を討つために刑事であることを捨て、軍人警官と揶揄される都安隊ことシティ・ガーディアンの色に自分を染めた。
供述を取ってきた手は操縦桿を握り、現場に踏み込んできた脚はフットペダルを踏むに至っている。法の名の下に被疑者を確保してきた生業は、今ではシステムが不要と判断した人造人間やロボット達を処分に置換した。
今更引き返せない。法律では守れない命があると知っている、人間性だけで裁けないとも思い知らされている。だから司馬は今一度、自分に問い質すのだった。
「何をしてるんだろうな……………俺は」




