Chapter 31 役割
三カ月ぶりの投稿になります。
スローペースですが、書き続けますのでよろしくお願いします。
科捜研の設備が新しくなったのは三年も前のことだ。だから廊下はワックスが効いて鏡面のような光があり、部署ごとの部屋も綺麗そのものであった。証拠品の解析区画は無菌室と同等の清潔感が感じられ、埃の一つもない。
事件から二日後、府中元町署の刑事の木山は現場で回収した証拠品の精査依頼に訪れていた。
「相変わらず、ここは落ち着かねぇや。改築前の小汚い方が俺の性には合っていたな」
「そんな事言わないで下さいよ、念願叶って三年前に漸く改築したんですから。最新の設備と機器で、検挙率は上がってるんですよ」
「検挙率が上がったところで、犯罪が減ったわけじゃねぇ」
「犯罪の未然防止が出来れば私も木山さんも、今頃、職業安定所に通い詰めてますよ」
「ふん、違ぇねぇ」
解析官の荒俣との談笑に鼻で笑ってピリオドを打つ。
手にしたデータを空中投影しつつ歩きながらで情報を精査する。時折人に打つかりそうになっては木山が腕を引っ張る。
「で、その手形、やはり過去の事件とも一致するか?」
「まぁ、そうですね。喫緊の奴を除けば完全な一致ではありますが」
「四件目のは違うってぇのか?」
「不一致ではないですけど、指先の長さが違うんですよね……」
「指先?」
眉をひそめて荒俣からのデータに目を通す。最近の四件目を除けば、三件とも169ミリと女性の平均サイズの掌であったが、四件目は170ミリと1ミリ程長かった。
誤差。そう1ミリ程度なら誤差とも思えたが、木山はそれを只の誤差、若しくは計測ミスと判断しなかった。
「この手形はやっぱり女性用か?」
「やっぱりと言わなくても、紛れもなく女性用の義手ですよ」
「そうか………一つ聞きてぇんだが、義手ってのは1ミリ単位で売ってくれる物なのか?」
「物にも寄りますけど、普通量産品として売られている物は1ミリ単位でサイズ分けはしませんよ」
だろうなと、木山は言葉を捨てる。今のところ大方自分の予想通りではあった。
恐らく被疑者は量産品を購入すれば、購入履歴から足が着くと踏んでオーダーメイド製の物を使用したのだろう。
木山は被疑者が少し頭の足らない奴で良かったと安堵していた。オーダーメイド製なら量産品よりも簡単に足が着く。この手の注文を行う企業はアングラも含めれば山程あるが、それでも顧客情報から足取りは確実に掴める。
気分が良い。事が順調に進んでいる。
妙に上機嫌になっているのも荒俣から指摘されるまで気付きはしなかった。
「オーダーメイドを行っている会社は………有名企業だけだと、オメェ何件言える?」
「そうですねぇ、光菱重工、十和田技研、東京医療技研、トヨカワ、川端重工、それに最近ですと海外メーカーでニコラ・モーターズ、そしてサンセン・コーポレーションが順当なところですかね?」
「厄介なのは、そこら辺だな………。後は、都内と関東圏のアングラ系企業と」
「後、最近ですとリサイクルショップもその手のリユース販売始めましたよね」
「そこら辺は盗犯の知り合いにでも聞いてみるか」
慣れた手付きでウィンドウをフリック操作し、証拠品のデータをインストールする。次の行程は見えている、後は旧来の足で探す作業が始まる。千里の道も一歩からと言う諺があるが、捜査は千里どころか万里、若しくは億里とゴールが見えない道を進むのだ。
地を這い、嘗めるように全てへ目を向ける。全ては事件解決の只一つのゴールの為に。
「そういえば、木山さんは何で刑事になったんです?」
「あん?」
荒俣らしからぬ質問に木山はガン飛ばすように返事した。場違いな質問をしたとこの瞬間、彼は後悔する。場の流れ、雰囲気というものに身を任せればその手の踏み込んだ質問に答えてくれると期待したものだが、それが間違いだったと気付く。
親しき仲にも礼儀あり。無粋な質問をした、そう心に思った荒俣が場を切り替えようと、話の流れを修正しようと口を開く刹那に、木山がその年季の入った声で答えた。
「………オメェ、剥製事件って知ってか?」
ゾッとした感覚が背中を匍った。今から十五年前、日本を震撼させた猟奇殺人事件『剥製事件』。その概要は至って単純明快、通称名からも分かるとおり被害者の皮を剥ぎ剥製にして公共の面前に飾り付けるものだった。
「俺はあんとき、まだ新米の刑事でな、六歳になったばかりの息子と妻を養うために給料の良い刑事課へと言ったわけだったが、丁度そのとき担当した事件が剥製事件だった」
徐にズボンのポケットより縛着した警察手帳を取り出す。ホログラフィック機構と個人端末と化した警察手帳の外板を外すと、木山は中から一枚の紙片を取り出す。
荒俣は直ぐにそれが何であるかを察した。撚れた紙片を大事そうに手で抱えるその姿は、まるで我が子を抱くようにも見えたと同時に一瞬で崩れてしまいそうな砂結晶を取り扱う様にも見えた。
「家族の写真………ですか?」
恐る恐ると爪先を摺り足にして進むかのごとく投げた質問に対し、木山は「あぁ」と短く答える。
「俺はあの時、躍起になっていた。新米だから一人前として認められたい。そんな出世欲の虜になって色気を出した結果………………、俺は大事なものを失った」
ジッと焼け付く程に見詰め、撚れた紙片を大事に警察手帳の中に仕舞い込む。
「あの事件、最後の被害者は誰だと思うよ?」
察してしまった。それが察せないほど荒俣は馬鹿ではない。だが、その事実を荒俣の口から言ってしまうのは無粋であることも彼自身理解していた。
察してしまった故に言葉を詰まらせる彼を気遣ってか木山が淋しく笑う。
「俺の妻と息子だ」
やっぱりだと荒俣は息を呑んだ。
「な、何故木山さんの奥さんと息子さんが」
「何、簡単なことさ。俺が被疑者の怒りを買った……からだ。あの野郎を捕まえ損ねたあの晩、俺は奴と揉み合いになった。その際、持ってた警棒で野郎の顔を打ったのが悪かったんだろうな。大方綺麗な顔に傷でも入れられたって理由で報復でもしたつもりなのだろう」
「そ、そんな理由で………」
「理由はしっかりしてるさ。自分が大切にしているものを傷付けられた復讐なんだからな。結果、妻と息子は殺された。そして俺へ当てつけるように署の目の前へ、皮剥いた後の仏と一緒に遺棄されたわけだ。剥かれた皮はご丁寧に宗教画みたいに飾り付けられてたがな」
淋しく笑っているも、眼下の手には力が込められていた。微動する手の先々から熱冷めやらぬ怒りが漏れているのが分かった。
「ちなみに………その後は」
「その後? 俺は死に物狂いで野郎を捜した。半ば復讐に囚われ半狂乱にでもなりながら捜して、その末に野郎を追い詰めた」
「つ、捕まえたんですか?」
「フン、捕まえる? 殺したかったに決まってやがる。何せ家族の仇が目の前に、手を伸ばせば直ぐの距離にいたんだぞ? だがな、俺も刑事の端くれだ、野郎を逮捕して法の下で裁かせるのが俺等の仕事だ…………だがな遂には捕まえられなかった」
「まさか……」
息を呑む。俺は踏み込んではいけない領域に片脚を突っ込んでるのではと荒俣は思う。だが木山は怖じ気づく彼を前に、「ハッハ、殺しちゃあいねぇよ」と笑って場を柔らかくする。
「殺しちゃいねぇ………、殺しちゃいねぇが結局捕まえる寸前でよ、都安隊………シティ・ガーディアンの野郎が来やがって被疑者をイミテロイドだから何とか抜かしたと思ったら、一瞬で蜂の巣にしやがったんだ」
「シティ・ガーディアン……」
「あぁ、軍人警官って奴だよ」
ばつの悪い顔で木山は証拠品の手形を見る。血に塗れた手形に鬱血した手形の写真、それぞれを交互に見比べる。
「まぁ、そん時だな、俺の役割ってのを自覚したのは」
「役割?」
「そうだ、役割だ。俺はアイツらとは違う、法の下で裁く為にどんな極悪人だろうと、人間だろうとなかろうと捕まえて法廷に立たせる。そのうえで罪を償わせる、それが被害者の無念を晴らすことに繋がるってな………」
「じゃあ、そんな木山さんからしたらシティ・ガーディアンの人達は……」
「まぁ、言うなりゃ………外道……だな。イミテロイドだがアンドロイドだが知らんが、システムや社会が不要と判断したからと言って抹殺するのは人殺しと変わらんさ。そんな事を続けてたらいずれ、罰が下るだろうな………」
「罰………ですか」
息を呑む荒俣を余所に、木山は鑑定が終わった捜査資料を腕時計型個人端末にインストールする。
ホログラフィックに映るロード画面が百パーセントとなると、もたれた椅子より腰を上げる。
「少し長話し過ぎたな………。今の話は忘れとけよ。就業記憶から消さんと四半期のメンタル検診に引っ掛かるからなぁ」
しわがれ声の笑いが場の幕引きを行う。外まで送るという荒俣の親切を断って、木山は研究室のドアノブに手を掛ける。
「ほんじゃあな。何かあったら、また来るわ」
えっ、あっはい!と詰まった返事で木山を送り出す。
バタリと大きめの音を残して研究室のドアが閉まる。役目を自覚している男の背中は、どこかもの悲しさを感じさせる印象を与えた。
傷を負った男は今日も歩を進める。




